発表・掲載日:2012/11/01

イッテルビウム光格子時計が新しい秒の定義の候補に

-秒の高精度化に貢献する次世代原子時計-

ポイント

  • イッテルビウム光格子時計がメートル条約関連会議で秒の新定義の候補として採択
  • 装置の改良により精度が10倍以上向上し、採択の基準を達成
  • 高精度重力場測定センサーへの応用や物理学などの基礎科学への貢献にも期待

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)計測標準研究部門【研究部門長 千葉 光一】時間周波数科 洪 鋒雷 研究科長、安田 正美 主任研究員らが開発したイッテルビウム原子を用いた光格子時計が、2012年10月18~19日にフランスの国際度量衡局で開催されたメートル条約関連会議において新しい秒の定義の候補(秒の二次表現)として採択された。

 光格子時計は秒の高精度化に貢献できる次世代の原子時計として期待され、世界の計量標準研究機関において開発が行われている。産総研は、イッテルビウム光格子時計の開発に取り組み、2009年に世界で最初の測定を行った。

 今回、時計信号の雑音を低減させることによって精度を10倍以上向上させ、秒の二次表現の採択基準を上回る精度を実現した。また、米国国立標準技術研究所がこの研究成果と整合性のある測定データを示した。このように、複数の国際計量標準機関が整合性のあるデータを測定したことが高く評価され、秒の二次表現への採択となった。メートル条約関連会議の決定にイッテルビウム光格子時計の研究成果を反映させたことは、国際的な標準技術への貢献といえる。また、イッテルビウム光格子時計は高精度重力場測定センサーへの応用や、物理定数の恒常性の検証など基礎科学への貢献も期待される。

光格子中に捕捉されるイッテルビウム原子のイメージ図
図1 光格子中に捕捉されるイッテルビウム原子のイメージ図

開発の社会的背景

 時間・周波数は、あらゆる計測量の中で最も正確に計測可能で、長さや電圧など、他の基本単位の精度を支えている。現在、時間の単位である1秒は、セシウム原子のマイクロ波領域の周波数によって定義されている。しかし、これよりも約10万倍高い光領域の周波数を利用すれば、より細かく時間を刻むことができるので、より高精度な原子時計が実現できる。2006年のメートル条約関連会議では、秒の再定義を視野に入れた検討が開始されるとともに、各国政府や研究機関に対して次世代原子時計関連研究の支援に関する要請が出されていた。

 光格子時計は次世代原子時計の有力候補として期待され、現在、世界の計量標準研究機関で研究開発が行われている。その中で、ストロンチウム光格子時計の開発が大きく進み、2006年にメートル条約関連会議で「秒の二次表現」として採択された(2006年10月16日産総研主な研究成果)。

 イッテルビウム原子を用いた光格子時計は、光源の開発が困難であるが、黒体輻射の影響が小さいことや、核スピンが小さいことにより、ストロンチウム光格子時計の性能をしのぐ可能性が理論的に示されており、その開発が強く求められていた。

研究の経緯

 産総研は、次世代原子時計の研究開発を通じた秒の再定義への貢献を目指して、独自の光源開発やシステム設計を行い、イッテルビウム光格子時計の開発に取り組んできた。2009年に開発した光格子時計は、60万年に1秒の誤差で動作した。この結果を同年に開かれたメートル条約関連会議で報告したものの、その精度が秒の二次表現の基準(誤差が300万年に1秒以下)に達していなかったため、より基準の緩い周波数標準として採択された(2009年7月29日産総研主な研究成果)。

 なお、本研究開発は、独立行政法人 日本学術振興会の最先端研究開発支援プログラム(FIRST)「量子情報処理プロジェクト」による支援を受けて行った。

研究の内容

 光格子時計は、約百万個の原子をレーザー光によって空間に巧みに捕捉することで、従来の原子時計と比べて信号が大幅に増加し、それによって精度も大きく向上する。光格子は複数のレーザー光を重ね合わせて作る原子を入れる容器(図1)で、そこに閉じ込められる多数の原子が時計の信号を発生する。図2にイッテルビウム光格子時計の超高真空装置を示す。この真空装置の中で原子を閉じ込める光格子が作られている。

 今回の研究では、レーザー光源について周波数制御を行うなどの改良を施し、イッテルビウム原子による時計信号の雑音を減少させた。その結果、時計の周波数の測定精度を大幅に改良することに成功した。今回改良を加えた光格子時計で測定されたイッテルビウムの周波数の値は、518,295,836,590,863.1 Hzで、誤差が2.0 Hzであった。これは、900万年に1秒の誤差に相当する。

 この測定誤差は、2009年開発当初の誤差の10分の1以下であり、これによって秒の二次表現の採択基準を満たすことができた。また、米国国立標準技術研究所がこの研究成果と整合性のある測定データを示した。このように、複数の国際計量標準機関が整合性のあるデータを測定したことが高く評価され、イッテルビウム光格子時計は2012年10月18~19日にフランスの国際度量衡局で行われたメートル条約関連会議において秒の二次表現として採択された。これにより、今後イッテルビウム光格子時計が新しい秒の定義として採択される道が開かれるとともに、秒の再定義に向けた世界的な検討が加速されることが期待される。

イッテルビウム光格子時計の超高真空装置の写真
図2イッテルビウム光格子時計の超高真空装置

今後の予定

 イッテルビウム光格子時計は、原理的には現在の宇宙の年齢に相当する137億年間動かし続けても1秒も誤差のない時計が実現できると見られており、今後精度と信頼性をさらに向上させ、標準器としての完成度を高めていく。また、時計を高い精度で評価するためには、高精度時間周波数比較技術を用いて、光格子時計の比較実験を進める必要がある。

 時間・周波数は、あらゆる計測量の中で最も正確に計測可能であることから、時計の精度の向上により、これまで知ることができなかったごく小さな環境外乱(電磁場、重力場)による時計周波数への影響を観察することが可能となる。逆にいえば、超高精度の時計は、環境外乱の超高感度センサーとしても働くので、この技術を高精度重力場測定センサーや物理定数の恒常性の検証などに応用することにより、基礎科学のさらなる発展に貢献することも期待される。

問い合わせ

独立行政法人 産業技術総合研究所
計測標準研究部門 時間周波数科
研究科長    洪 鋒雷    E-mail:f.hong*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)
主任研究員  安田 正美  E-mail:masami.yasuda*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)



用語の説明

◆光格子時計(ひかりこうしどけい)
2001年に東京大学大学院工学系研究科の香取 秀俊 助教授(当時)によって提案された手法である。およそ100万個の原子をレーザー光によって空間に巧みに捕捉することで、1秒の精度を現在の定義であるセシウム原子時計の精度15桁を18桁台にまで向上させることが可能とされる。[参照元に戻る]
◆国際度量衡局
国際度量衡局の任務は、世界中の計測の同等性と国際単位系SIへのトレーサビリティを確保することである。国際度量衡委員会の直接監督下に置かれ、同委員会の事務局であると同時に研究機関でもある。[参照元に戻る]
◆メートル条約
1875年に17カ国の署名で成立し、現在、加盟国は56カ国、準加盟国は37カ国である。日本は1885年に加盟した。国際的に計量単位を審議する組織(国際度量衡総会、国際度量衡委員会)やキログラム原器などについて定めている。[参照元に戻る]
◆秒の二次表現(Secondary representations of the second)
現在の秒の定義であるセシウム原子時計に対して、今後、その性能を上回る可能性を持つ原子時計の候補のリストである。このリストの作成は、将来の秒の再定義を視野に入れた活動となる。現在、光による原子時計としては、中性原子を用いたストロンチウムとイッテルビウム光格子時計、イオンを用いた原子時計5種類の計7種類がリストに載っている。[参照元に戻る]
◆原子時計
原子の共鳴周波数を利用して、正確な時間を測定する装置。現在秒の定義を実現しているセシウム原子時計は、セシウム原子の約9.2 GHzの共鳴周波数を利用している。原子のより高い共鳴周波数を使うと原子時計の精度が上がるので、近年、原子の光領域の共鳴周波数を利用した光原子時計の研究が盛んになっている。[参照元に戻る]
◆黒体輻射(こくたいふくしゃ)
全ての物体は、それぞれの温度に対応した強度と波長分布を伴う電磁波(熱輻射)を放出している。黒体は、全ての波長の電磁波を吸収するもので、温度のみで決定される最大の熱輻射を放出する。この熱輻射を黒体輻射と呼ぶ。[参照元に戻る]
◆核スピン
原子核内部の全角運動量のこと。これに伴って、原子核は磁気モーメント(小さな棒磁石のようなもの)を持つ。この大きさが小さいほど、時計遷移スペクトルの本数が少なくなり、原子の量子操作が容易になる。また、残留磁場による原子共鳴周波数への影響も小さくなる。[参照元に戻る]
◆周波数比較技術
遠方にある原子時計の周波数を電波などの媒体を用いて比較する技術である。現在、世界中の原子時計は、GPS衛星、通信衛星などにより、15桁台の精度で比較が行われている。近年は光格子時計のように18桁台の時計が研究されていることから、比較技術も一層の高精度化が必要となる。このため、光ファイバーを用いた超高精度比較技術などが検討されている。[参照元に戻る]

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