現在の科学技術は、精密に計測するための基準、いわゆる「計量標準」が社会に提供されることによって成立している。独立行政法人産業技術総合研究所(以下「産総研」という)では、電圧、抵抗といった電気関連の量から、力、圧力といった力学関連の量、さらにはモル濃度のような化学関連の量まで、必要とされる分野の計量標準を開発し提供している。このような活動により、同じものを計測したとき、日本中のどこで計っても、さらには海外のどこで計っても同じ計測結果が得られる仕組みが実現されている。
これらの計量標準は、分解してみると、「長さ」、「質量」、「時間」、「電流」「熱力学温度」、「物質量」、「光度」の7つの基本量と、それらを組み合わせた組立量で成り立っている。基本量の標準の定義やその実現法などは、計量標準の根幹にかかわるものとして、「メートル条約」の活動の中でも極めて重要な課題である。それらの中で、特に最先端の科学技術と直結して発展を続けている「時間標準」に関して、次のような新しい動きがあった。
東京大学(以下「東大」という)大学院工学系研究科の香取秀俊助教授の研究グループと産総研計量標準総合センターの研究グループからなるJST/CREST(科学技術振興機構/チーム型研究(CREST))共同研究チームが、ストロンチウム(Sr)原子を用いた「光格子時計」の技術開発を大きく前進させ、その周波数を世界最高精度で決定することに成功した。
この研究成果は9月14日に国際度量衡委員会の諮問委員会の一つである「時間周波数諮問委員会」に報告され、Sr原子を用いた「光格子時計」は「秒の二次表現」の候補として採択された。この結果は、2006年10月10~13日に開催された国際度量衡委員会に上程され、審議の結果、正式に「秒の二次表現」に追加することが決定された。
「秒の二次表現」への採択では、本研究成果とともに、今年になって米国JILA、仏国SYRTEの2グループが、相次いで整合性のある測定データを示したことが高く評価された。なお、本研究成果の測定値がその時点でもっとも信頼されるデータであった。同方式が提案されてからまだ5年にすぎないが、このように複数機関から高精度な報告がなされるまでに至っている。これまで試みられてきた他の方式に比べてその発展は極めて早く、我が国で生まれたアイデアが、科学技術の基盤である計量標準を支える日が来ることを期待させる。
現在、この「光格子時計」の手法は次世代の原子時計の有力候補として注目されており、世界各国の標準研究所を巻き込む熾烈な開発競争が続いている。今回の決定は、これらの動きをさらに大きく加速する契機になると見られている。
計量標準の国際的な決定機関である国際度量衡委員会は、光の周波数を用いて原子時計とする技術が急速に発展している状況を受けて、SI単位の秒の定義を所掌している時間周波数諮問委員会の下に「秒の二次表現」共同作業部会を設置し、秒の再定義を視野に入れて、検討を開始した。
このような中、現在、次世代の原子時計の有力候補として注目されているのが「光格子時計」である。産総研は、当時からこの方式の優秀さに着目し、その性能評価のために、東大と協力して絶対値の測定に取り組んできた。その最初の成果は2005年のNature誌に掲載され、大きな反響を呼んだ。
その後、東大では光格子時計内の原子の衝突を抑制して、その共鳴周波数を精度良く測れるようにするなど、技術的にも大きく前進し、また産総研は、東大の光格子時計の絶対値を測定するために「光周波数計測システム」や「GPS搬送波位相利用時刻比較システム」などを開発して東大に持ち込み、国際原子時に基づく測定を可能にした。それらを用いた新しい測定結果が、今回の決定につながった。この成果はJournal of the Physical Society of Japan誌(日本物理学会)に掲載されており、その論文が上記の諮問委員会において採択するための根拠として扱われた。なおこの論文は、同誌のPapers of Editors' Choice(論文表彰)に選ばれている。