独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)計測標準研究部門【部門長 岡路 正博】時間周波数科 波長標準研究室 洪 鋒雷 室長及び 安田 正美 研究員らは、171Yb(イッテルビウム)原子を用いた光格子時計を世界で初めて開発した。
光格子時計は「秒」の高精度化に貢献できる次世代の原子時計として期待され、世界の標準研究機関において開発が行われている。現在、研究が先行しているのは87Sr(ストロンチウム)原子を用いた光格子時計であるが、黒体輻射の影響が小さいことや、核スピンが小さいことによりさらに有望とされている171Yb(イッテルビウム)原子を用いた光格子時計の研究は後発でまだ実現されていなかった。
今回、独自の光源開発やシステム設計を行い、さらに光周波数コムなどの技術を応用し、171Yb(イッテルビウム)原子を用いた光格子時計を実現した。開発した光格子時計は、現状では60万年に1秒の誤差で動作するが、改良を施すことにより原理的には宇宙年齢137億年間時計を動かし続けても誤差は1秒もない時計が実現できる。
イッテルビウム光格子時計が、6月の始めにパリ郊外の国際度量衡局で開催されたメートル条約関連会議において時間標準候補の1つとして追加採択され、国際的な貢献を果たした。また、イッテルビウム光格子時計は地球重力の超高性能センサーやGPSの高性能化への応用も期待されている。
本技術の詳細は6月19日にApplied Physics Express誌電子版に掲載された。
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図 冷却されたイッテルビウム原子が発する蛍光 |
時間・周波数は、あらゆる計測量の中で、最も正確に計測できるもので、長さや電圧など、他の基本単位の精度を支えている。現在、国際単位系(SI)における1秒は、セシウム原子のマイクロ波領域の振動によって定義されている。しかし、これよりも約10万倍高い振動数の光領域の振動を利用すれば、より細かく時間を刻むことができるので、より高精度な原子時計が実現できる。このような光領域での次世代原子時計の研究開発などにより、2001年頃からメートル条約の関連会議において、秒の再定義を視野に入れた検討が開始され、また各国政府や研究機関に対して次世代原子時計関連研究を支援するように要請された。
2001年に東京大学の香取秀俊助教授が提案した光格子時計は次世代原子時計の有力候補として期待され、現在世界の標準研究機関において開発が行われている。その中で、87Sr(ストロンチウム)原子を用いた光格子時計の研究が大きく進み、今では16桁の精度をもつストロンチウム光格子時計が誕生している。
171Yb(イッテルビウム)原子を用いた光格子時計については、光源の開発が困難であることから、まだ実現されていなかったが、黒体輻射の影響が小さいことや、核スピンが小さいことにより、87Sr(ストロンチウム)原子を用いた光格子時計の性能をしのぐ可能性が理論的に指摘されており、その開発が強く求められていた。
これまでに産総研と東京大学の共同研究チームが、87Sr(ストロンチウム)原子を用いた光格子時計の技術開発を大きく前進させ、その周波数を世界最高精度で決定することに成功した(2006年10月)。この研究成果はメートル条約関連会議に報告され、ストロンチウム光格子時計は「秒の二次表現」(秒の再定義の候補)として採択された。(2006年10月16日主な研究成果記事)
171Yb(イッテルビウム)原子を用いた光格子時計がストロンチウム光格子時計の性能をしのぐ可能性があると指摘される中、産総研は、光格子時計の性能について相互検証を行うため、独自にイッテルビウム光格子時計の開発を行ってきた。
本研究は独立行政法人科学技術振興機構(JST)のチーム型研究(CREST)「量子情報処理システムの実現を目指した新技術の創出」による支援を受けて行ったものである。
原子時計とは、原子中の電子の振動を、振り子として利用する時計である。その中でも原子中の電子の非常に速い振動(光)領域を振り子として利用するものは、光時計と呼ばれている。光格子時計は、光時計の一種で、多数のレーザー光を重ね合わせて作る光格子という容器に原子を閉じ込め、長時間多数の原子を観測できるような新しい手法を採用している。これは、従来の一つの原子を利用する光時計と比べて、信号が格段に大きくなり、その結果性能も大幅に向上した。
今回開発したイッテルビウム光格子時計では、独自に光源を開発し、光周波数コム技術や、周波数安定化レーザー技術を応用してシステム設計を行った。イッテルビウム原子を極低温まで冷やすことで、光格子に入れることができ、光格子中のスペクトルの測定から、イッテルビウム光格子時計の周波数を決めることができた。
今回、光格子時計で測定されたイッテルビウムの周波数値は、518,295,836,590,864 Hzで、不確かさは28 Hzであった。これは、60万年に1秒の誤差に相当する。今後更なる精度の向上を行うことにより、原理的には宇宙年齢137億年間時計を動かし続けても誤差は1秒もない時計が実現できる。
イッテルビウム光格子時計が6月の始めにパリの国際度量衡局で行われたメートル条約関連会議において時間標準候補の1つとして追加採択され、イッテルビウム光格子時計も「秒の二次表現」として採択される道が開き、秒の再定義への動きが加速されると考えられる。
さらに精度と信頼性を向上させ、標準器としての完成度を高めていく。また、国際比較のために必要なポータブル光格子時計の開発も進める。時計の精度が向上すると、従来問題にならなかったような、ごく小さな環境外乱(電磁場、重力場)による影響が見えてくる。逆に言えば、超高精度の時計は、環境外乱の超高感度センサーとしても働くので、この技術は、地球重力の超高性能センサーやGPSの高性能化への応用も期待できる。