国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)生物プロセス研究部門 植物機能制御研究グループの中村彰良および菅野茂夫の両主任研究員らは、凸版印刷株式会社(以下「凸版印刷」という)と株式会社インプランタイノベーションズ(以下「インプランタ」という)と共同で、チタン酸カリウムからなる針状結晶(ウイスカー)と超音波を活用して、ゲノム編集ツールであるCRISPR-Cas9のリボヌクレオタンパク質(RNP)を植物へ導入する新しいゲノム編集手段として、ウイスカー超音波RNP法を開発しました。
いままでの研究で、マイクロサイズのウイスカーという「針」を用いて、植物細胞に孔を直接開け、DNAを導入する技術は知られていました。しかし、ゲノム編集ツールのRNPを導入可能かは明らかになっていませんでした。本研究では、RNPを導入できる条件を見いだし、ゲノム編集イネを作出しました。ウイスカーによるゲノム編集ツールの植物への導入手法は、バクテリアを利用した遺伝子導入手法に比べて、植物の生物学的特性に依存する度合いが低いため、さまざまな植物種において、RNPを用いてゲノム編集の実施が可能になります。ウイスカー超音波RNP法を用いると、DNAを全く用いずにイネ細胞のゲノム編集ができることも明らかになりました。
本編集技術は、一般的に形質転換が難しい植物に対して、DNAを全く用いないでゲノム編集を行う基盤を構築する新たな一歩です。
なお、この技術の詳細は、2023年9月7日(日本時間)に「Scientific Reports」に掲載されます。
地球温暖化や食糧問題が注目される中、持続可能な社会の実現には、これまで以上に植物の力を活用することが必要です。そこで、植物を改良するためのゲノム編集技術に、期待が集まっています。植物におけるゲノム編集では、植物に感染性をもつ細菌であるアグロバクテリウムを使用して、編集対象を指定するガイドRNAやゲノム編集ツールCas9を細胞内で発現させるDNAを細胞に導入することが一般的でした。しかし、アグロバクテリウムを用いる場合、植物のゲノムにDNAを組み込むため、植物に対して予期しない問題を引き起こす可能性があります。また、社会的リスクの観点から、植物感染性の細菌を使用することは、一部の国では制限されています。このような背景から、できるだけDNAを使わず、アグロバクテリウムも使わない植物のゲノム編集技術が求められています。いままで、いくつかの手法が考案されてきましたが、これらは高度な技術の蓄積を必要とするため、本格的な普及には至っていません。
産総研は、植物の機能を改良する研究開発において、遺伝子組み換えにより、もともと植物が持っている遺伝子の機能を制御することを主な実現手段としています。例えば、おしべやめしべを作る遺伝子の機能を抑えることによる多弁咲シクラメン(2010年3月16日 産総研プレス発表)、葉の表面にある気孔の開閉を制御してオゾン耐性のある植物(2016年3月29日 産総研プレス発表)などを開発してきました。
上記の成果を社会実装するには、遺伝子組み換えだけでなく、ゲノム編集技術が有効です。その結果、植物における新たなゲノム編集技術である超音波ウイスカーRNP法を開発するに至りました。
2005年に開発されたウイスカー超音波法(Terakawa et al., 2005)は、直接的にDNAを植物細胞内に届ける技術であり、ダイズやイネ、トウモロコシ、ゴム、トレニアなどさまざまな植物種に適用可能です。本手法は、イネの胚などに由来する細胞の塊を対象として、細長い針状結晶であるウイスカーを使い、細胞に孔をあけて遺伝子を導入します(ポイント概要図)。ウイスカーと細胞の塊を混ぜ合わせる際に、超音波をかけることで、遺伝子導入の効率が上がります。本手法は、アグロバクテリウム法(生物的手法)とは異なり、直接的に細胞に孔をあけるため、さまざまな植物に適用できるのが特徴です。しかし、今までの事例では遺伝子(DNA)の導入のみが行われており、タンパク質やその他の分子を植物に導入できるかは分かっていませんでした。
産総研と凸版印刷、インプランタは、イネを研究材料として、まず初めにウイスカー超音波法がタンパク質とRNAから構成されるゲノム編集ツールの導入に適用可能かを検証しました。産総研が所有するタンパク質およびRNAの大量調製技術によって、イネPDS遺伝子を破壊するように設計したガイドRNAおよびCas9タンパク質を準備しました。これらからリボヌクレオタンパク質(RNP)を作製後、インプランタが実績を有するウイスカー超音波法でRNPの植物細胞への導入が可能かを調べました(ポイント概要図)。薬剤耐性遺伝子をもつプラスミドDNAとRNPを同時にイネの胚由来の細胞塊へ導入し、RNPが導入された細胞を薬剤により選抜しました。さまざまなRNP濃度を調製し、薬剤で選抜されたイネの細胞を調べたところ、ある濃度でゲノム編集効率が高まり、アグロバクテリウム法と同程度の効率でゲノム編集イネを作出できることがわかりました。RNP濃度を最適化したこのゲノム編集方法を“ウイスカー超音波RNP法”と命名しました。
次に、ウイスカー超音波RNP法が今までゲノム編集が試みられていない遺伝子においても適用可能かを調べるために、カロテノイド合成系遺伝子であるイネLCYB遺伝子のゲノム編集による破壊を実施しました(図1)。ウイスカー超音波RNP法を用いて、RNPおよび薬剤耐性遺伝子発現プラスミドDNAを同時に導入した細胞では、ゲノム編集が見られるとともに、リコピンの蓄積量が上がり、赤色の色素が沈着していることがわかりました。本結果は、イネLCYB遺伝子がゲノム編集により破壊された場合に、イネでリコピンが蓄積することを示した初めての例になります。イネLCYB遺伝子は、リコピンからβカロテンを合成する際に必要な遺伝子と考えられており、その実証ができたと言えます。
図1 ウイスカー超音波RNP法を使用して作製したイネLCYB変異体とその色素沈着の様子
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。
最後に、薬剤耐性遺伝子プラスミドDNAを同時導入せず、ウイスカー超音波RNP法によりゲノム編集ができるかを調べました。イネPDS遺伝子を対象としたガイドRNAを含むRNPのみをウイスカー超音波RNP法によって導入し、凸版印刷提案の次世代シークエンスでゲノムを調べたところ、低効率(0.3%程度)ではあるものの、ゲノム編集が検出されました。この結果は、ウイスカー超音波RNP法を用いると、DNAを全く導入せずに、植物のゲノム編集を実施できる可能性を示しています。今後、薬剤耐性分子をRNPと同時に加えるなどの方法によって、効率の改善が期待できます。DNAを全く用いないゲノム編集は、植物のゲノムに対して予期せぬ遺伝子組み換えが起こる可能性を最小化するため、社会受容性が高い技術として注目を集めています。本研究成果は、DNAを使わない植物ゲノム編集技術への新たな一歩です。
ウイスカー超音波法は、さまざまな植物種に適用可能なことが知られています。したがって、ウイスカー超音波RNP法も多くの植物種におけるゲノム編集技術となり得ます。
今後は、ウイスカー超音波RNP法によるゲノム編集をダイズやムギ、トウモロコシなどの穀類および牧草や各種樹木などのゲノム編集が困難な品種に適用し、遺伝子機能の解明に貢献します。また、DNAを全く用いないゲノム編集の効率を高めることで、社会にとって安心・安全なゲノム編集品種の作製のための技術基盤を提供します。
掲載誌: Scientific Reports
論文タイトル:The sonication-assisted whisker method enables CRISPR-Cas9 ribonucleoprotein delivery to induce genome editing in rice
著者:Akiyoshi Nakamura, Tsubasa Yano, Nobutaka Mitsuda, Maiko Furubayashi, Seiichiro Ito, Shigeo S. Sugano, Teruhiko Terakawa
DOI: 10.1038/s41598-023-40433-x
「植物のゲノムを編集する方法、それを用いてゲノム編集された植物体及び植物種子、並びにそれらの製造方法」
国際出願番号:PCT/JP2022/043204
出願日:2022年11月22日