国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)極限機能材料研究部門 電子セラミックスグループ 伊藤 敏雄 主任研究員、崔 弼圭 研究員、増田 佳丈 研究グループ長は、公益財団法人 函館地域産業振興財団 北海道立工業技術センター 研究開発部 食産業支援グループ 吉岡 武也 専門研究員、緒方 由美 研究主査、ものづくり支援グループ 菅原 智明 研究主幹と共同で、魚肉の鮮度をニオイから判定するセンシング技術をブリをモデルに開発しました。
すしや刺身といった魚の生食が世界的に浸透しつつあり、新鮮な水産物が日本から海外にチルド状態で空輸されています。海外では、魚の生食に精通する職人が少なく、生食用と加熱用の区別が難しいため、取り扱いの多くは日系の店舗であるのが現状です。日本の水産物の輸出量の拡大には、品質を客観的に保証する指標とその測定方法が必要であり、生鮮水産物の鮮度指標としてK値が提案されています。しかし、魚肉の採取が必要で、K値の導出のための化学測定には、特別な技能と一定の時間が必要です。そのため、手軽に鮮度を判定する新たなセンシング技術の開発が求められていました。
産総研は、新たなセンシング技術として、ニオイ判定の手法を開発しました。魚のニオイを対象とするため、魚肉の採取が不要の非破壊試験です。産総研は北海道立工業技術センターと共同で、魚肉の鮮度ごとのニオイを分析し、この結果に基づき、模擬の鮮度指標ガスを作製しました。当該指標ガスの計測結果を学習データとし、機械学習で実際の魚肉のニオイから鮮度を判定しました。
この技術の詳細は、2023年8月23~25日に東京ビッグサイト(東京都江東区)で開催される第25回ジャパン・インターナショナル・シーフードショーにおける「鮮度流通技術実証コンソーシアム」の出展ブースで発表します。
和食がユネスコ世界文化遺産に登録されたこともあって、すしや刺身といった魚の生食が世界的に受け入れられつつあり、日本から東南アジアなどに新鮮な水産物がチルド状態で空輸されています。水産物の品質要素として鮮度は特に重要で、新鮮なものほど高値で取引されています。日本の産地・消費地市場には、魚の品質を経験と感覚で判定する“目利き”が活躍しており、生鮮状態の水産物は消費者との信頼関係に基づいて生食用として販売・提供されています。“目利き”のいない海外では、生食用と加熱用を現地の人が区別するのは難しく、取り扱いの多くは日系の店舗であるのが現状です。日本の水産物の輸出量を拡大させるには、品質を客観的に保証する指標と、その測定方法が必要です。
北海道立工業技術センターは、生鮮水産物の科学的な鮮度指標として最も一般的であるK値の試験法の日本農林規格(JAS)制定を農林水産省に申請し、2022年3月に「魚類の鮮度(K値)試験方法−高速液体クロマトグラフ法」が試験方法JASに制定されました。ただし、K値の導出には、精通した作業員が適切な施設で化学測定を行った場合でも、数時間程度が必要です。流通現場で迅速に鮮度状態を知るには、新たなセンシング技術により、鮮度を“見える化”する鮮度測定デバイスの開発が求められています。
産総研では、揮発性有機化合物(VOC)向けの半導体式センサー素子や複数個の半導体式センサーでニオイを計測するポータブル測定器を開発しています。
複数個の半導体式センサーに、一般的な半導体式センサーだけでなく、産総研で開発した湿度の影響を受けにくいバルク応答型センサーを加えることで、 高湿度下でのニオイの識別能力を飛躍的に向上させました(2019年1月29日 産総研プレス発表)。現在、機械学習と組み合わせたニオイの解析技術の開発を進めています。
なお、本研究開発は、生物系特定産業技術研究支援センターのイノベーション創出強化研究推進事業「輸出促進を目指した生鮮水産物の品質制御と鮮度の“見える化”技術の開発(2021~2023年度)」による支援を受けています。
産総研と北海道立工業技術センターは、魚肉のニオイを定量的に分析した結果に基づき、模擬の鮮度指標ガス(以下、指標ガス)を調製し、ポータブル測定器の学習データ取得に活用しました。
北海道立工業技術センターにて、魚肉の入荷直後と生食(0 ℃の保管で入荷から5日後)、加熱調理で可食(0 ℃の保管で入荷から11日後)、腐敗(30 ℃の保管で入荷から1日後)の目安となる四つの鮮度状態に対して、魚肉のニオイ成分を含む空気を吸着剤(TENAX TA)に吸引してサンプリングしました。産総研では、送付された吸着剤からニオイ成分をガスクロマトグラフ質量分析計(GC/MS)で分析しました。分析で得られた成分のうち、養殖ブリのフィレの四つの鮮度状態からは、合計27成分もの化学物質を検出しました。魚肉のニオイを再現させるために、数十種のガス成分を魚肉のニオイと同じ濃度比で混合するのはコストの面で困難です。半導体式センサーは、同族の化学物質には類似するセンサー応答を示す特徴を有するため、各族の代表的な成分4種類で濃度比を調製して指標ガスとしました。
試作したセンサー素子は、一般的な市販の半導体式センサーと同一の直径10 mmで、一度に4種類の半導体式センサーを載せることができます。産総研で開発したポータブル測定器には、8種類の半導体式センサーを2個のセンサー素子にそれぞれ4つずつ搭載しました(図1)。一つは一般的な半導体センサー4種類、もう一つは一般的な半導体センサー2種類と「バルク応答型」センサー2種類を載せました。
図1 (左)ポータブル測定器(寸法:235 mm×215 mm×65 mm)、
(右)ポータブル測定器に搭載したセンサー素子(直径10 mm)
ポータブル測定器で養殖ブリの四つの鮮度状態に対応した指標ガスを吸引して、8種類の半導体式センサーの抵抗値を計測しました(図2)。抵抗値は、四つの鮮度状態のそれぞれで指標ガスの四つの構成成分の濃度比によって変化します。n型半導体特性を持つセンサーでは抵抗値が減少し、p型では抵抗値が増加します。指標ガス吸引前の抵抗値を基準に、これらの抵抗変化量がセンサー応答値です(図2参照)。センサー8個分の応答値が1データになります。センサー応答値から四つの鮮度状態に分類するため、機械学習としてニューラルネットワークを用いました。
まず、四つの鮮度に対応した指標ガスを同じ工程で製造してガスバッグに充填し、繰り返し測定を行い、四つの鮮度で合計240データを蓄積しました。交差検証で指標ガスを正しく分類できるかを検証したところ、144データが正解(正答率0.600)となりました。
次に、正答率を高めるため、1個のセンサー当たり複数の応答値を用いる方法を検討しました。指標ガスの導入を終了させて半導体式センサーの電気抵抗値が復元する区間(図2参照)から得られるセンサー応答値も解析に利用しました。1データ当たり、センサー8個×複数点のセンサー応答値になります。同じく交差検証で、畳み込みニューラルネットワークで分類したところ、240データのうち229データが正解となり正答率が向上しました(0.954)。
指標ガスで学習した畳み込みニューラルネットワークで、養殖ブリ刺身の鮮度の判定を行いました。ブリ刺身をガスバッグに入れ、購入直後のニオイを室温下(約22 ℃)で測定し、家庭用冷蔵庫(2~5 ℃)で1日保管して、室温下に戻して再度測定しました。購入直後は生食で可食、1日保管後は加熱調理であれば可食との判定結果となりました。
図2 8種の半導体式センサーのうち3種の電気抵抗値の変化と学習データに用いたセンサー応答値
入荷直後、生食、加熱調理、腐敗の目安となる指標ガスを計測。図中の黄色の区間で指標ガスを導入
赤は一般的なn型半導体式センサー、青は一般的なp型半導体式センサー、緑はバルク応答型センサーの抵抗値を示す。
今回は、養殖ブリ魚肉の鮮度をニオイから判定できることを示しました。今後は、他の魚肉に対しても検証していきます。生鮮水産物の入荷直後や生食の目安といった客観的な鮮度の評価にとどまらず、科学的な鮮度指標であるK値と半導体式センサーのセンシング技術による出力とを突き合わせることで、ニオイからK値を判定する技術の開発を行います。多様な魚肉のデータを蓄積してK値を判定できるデータベースの構築を行います。ポータブル検知器からリアルタイムにK値を出力する改良などを順次行い、早期の実用化を目指します。また、魚介類の干物等の熟成度合いのモニタリングへの適用可能性も検討します。