- 水になじみやすい性質と水が流れ落ちやすい性質を兼ね備えた透明皮膜を作製する手法を開発
- 従来の親水処理とは異なり微量な水滴すらもスムーズに滑落
- 本技術を用いることで、窓ガラスの汚れ付着の抑止や空調機の省エネルギー化に貢献
(左)一般的な親水処理を施した基板上の水滴の状態と滑落性
(右)開発した親水性皮膜+アルカリ処理した基板上の水滴の状態と滑落性
国立研究開発法人産業技術総合研究所 (以下「産総研」という)極限機能材料研究部門 材料表界面グループ 中村 聡 産総研特別研究員、穂積 篤 研究グループ長、は、水になじみやすい性質(親水性)と水滴が流れ落ちやすい性質(滑落性)という相反する機能を兼ね備えた、透明な皮膜を作製する手法を開発しました。これは、産総研が従来開発してきた液体の滑落性に優れた皮膜について、さらに原料と作製プロセスを改良した手法です。市販の原料を最適組成で混合し成膜した後、酸やアルカリで処理すると、得られた皮膜は親水性であるにも関わらず、わずか0.5 μL(0.0005 mL)の微量の水滴でも表面に付着せずにスムーズに滑落しました。この相反する性質を兼ね備えた皮膜を基材にコーティングすることにより、水切れがよくなり、水滴が表面に残りにくくなるため、水垢やカビ、臭気の発生の抑止効果が期待できます。この皮膜はガラス以外の基材にも応用可能で、例えば熱交換器へコーティングすることにより、汚れの付着防止に加え、冷房時の凝縮水の付着による熱交換効率の低下などを防ぎ、省エネ効果も期待できます。この技術の詳細は、2022年10月28日(金)に名古屋で開催される「産総研中部センター社会実装フェア」にて発表される予定です。
親水性を付与する表面処理法は、基材表面を曇りにくくし、付着した汚れを洗い落としやすくすることができるため、自動車や建築用の窓ガラスなど幅広い用途で用いられています。そのほかにも、例えば、空調機に搭載される熱交換器に親水処理を施すことで、冷房時に発生する水滴が狭い通風路をふさぐ”水滴ブリッジ”の形成を抑制することができます。これにより、通風抵抗の増加や水滴の飛散、騒音の発生、熱効率の低下、電力の損失といった水滴ブリッジに起因する好ましくない現象を未然に防ぐことができます。
親水性表面はこのような有用な特性をもたらしますが、一方で、付着した水滴の滑落性が良くないことでも知られています。これは、基材表面の親水性が高くなればなるほど(静的接触角が小さくなればなるほど)、水分子とその表面の相互作用が強くなり、水滴が滑落しにくくなるからです。その結果、ぬれ広がった水は長く基材表面にとどまることとなり、かえって水垢やカビ、不快な臭いの発生の原因になってしまいます。そのため、高い親水性と滑落性を兼ね備えたコーティング法の開発が必要とされていました。しかし、このような相反する性質を一つの表面に共存させる表面処理法に関する研究は成功していませんでした。
産総研では、上記課題の克服を目指し、新しい表面処理技術を開発してきました。これまでに、アルキル鎖を含むシランカップリング剤とテトラアルコキシシランをゾルーゲル法により結合させた透明な皮膜を開発してきました(2012年3月13日 産総研プレス発表)。この皮膜には、水だけでなくさまざまな油や低表面張力液体をスムーズに滑落させる性質があることを見いだしてきました。しかし、この技術を、例えば、熱交換器のフィンへの表面処理に応用すると、得られる表面は水滴の滑落性に優れるものの、親水性が低い(水滴の静的接触角:約100°)ため、水滴ブリッジを形成してしまいます。また、親水性官能基を含むシランカップリング剤を用いて、同様の手法で皮膜を形成しても、エアコン用フィン材の製品化に求められる性能の指標値(水滴の静的接触角:約30°以下、滑落角:13°以下(10 μL))を実現することは困難でした。
今回、私たちは、原料となるシランカップリング剤を見直し、高い親水性と水滴の滑落性を兼ね備えたコーティング法の開発に取り組みました。具体的には、1つの親水性官能基の両末端に反応性官能基としてトリアルコキシシリル基を有する双頭型のシランカップリング剤を候補として選びました(図1)。これまでの私たちの取り組みと同様に、ゾルーゲル法によって、この双頭型のシランカップリング剤とテトラアルコキシシランを最適量で混合し、皮膜表面の親水性官能基の密度を下げ、親水性官能基が自由に動ける表面状態にしたところ、接触角ヒステリシス(前進接触角/後退接触角の差)の小さい親水性皮膜(水滴の静的接触角:約37°、接触角ヒステリシス:4°)が得られ、基材を10°傾けるだけで10 μLの水滴が滑落することを確認しました。さらに、この皮膜をアルカリや酸溶液に所定時間浸漬したところ、得られた皮膜表面では、親水性がさらに高まり(水滴の静的接触角:15°)、水滴は表面にピン止めされることなくスムーズに動き、水滴がさらに滑落しやすくなることを見いだしました(0.5 μLの水滴が19°、10 μLの水滴が4°で滑落)。この処理により、エアコン用フィン材の製品化に求められる性能の指標値よりも、静的接触角、滑落角を飛躍的に小さくすることが可能となりました。
機能性官能基の運動性の高さが滑落性の向上につながると表面科学の分野では考えられているため、私たちはガラスの原料となるテトラアルコキシシランとの混合によって親水性官能基密度を最適化することができるゾルーゲル法によって親水性皮膜を作製してきました。しかしながら、これまで使用してきたシランカップリング剤では親水性官能基の末端部位の影響から、エアコン用フィン剤の製品化に求められる性能を示す皮膜を作製することは困難でした。そこで原料となるシランカップリング剤を見直し、図1に示すように、市販で入手できる、両端に-Si(OR)3基が付いている双頭型のシランカップリング剤とテトラアルコキシシランを混合して前駆溶液を調製しました。この溶液をガラス、ポリマー、金属などの各種基材表面にスピンコートし、加熱・乾燥させると、膜厚300 nm程度の透明な皮膜が得られました。この皮膜は、可視光透過率が90%以上の優れた透明性を示すため、各種基材に対し、意匠性を損なうことなく成膜できます。また、密着性も良好でした(JIS K 5600-5-6クロスカット法による剥離なし)。この皮膜表面は親水性(水滴の静的接触角:37°)であるにも関わらず、水滴がスムーズに滑り落ちました(10 μLの水滴が10°で滑落)。さらに、この皮膜を、アルカリや酸溶液に所定時間、浸漬すると、親水性がさらに高まったうえ(水滴の静的接触角:15°)、水滴の滑落性も大きく向上しました(10 μLの水滴が4°で滑落)。この高親水性表面では、わずか0.5 μLの微量な水滴さえもテールを引くことなくスムーズに滑落します(写真C、動画1)。一般的に表面の水酸(OH)基が増えると親水性が高くなりますが、水が皮膜表面に強固に付着するため、水滴は滑落しにくくなると考えられてきました。今回の研究では、双頭型のシランカップリング剤を用いることで、親水性官能基を表面でブリッジさせつつ、テトラアルコキシシランの添加量を制御して表面の親水性官能基密度を最適化しました。そのことにより、皮膜表面の親水性官能基が密になりすぎず、適度な駆動性を示すことで、水滴の滑落性に優れた親水性皮膜を実現しました。さらにこの皮膜をアルカリや酸で処理すると、皮膜表面に残存していた疎水性のアルコキシ基がOH基になり親水性が高まると同時に、皮膜骨格のガラス成分の一部が溶解して親水性官能基が表面に現れることで、さらに駆動性が高まり、その結果、水になじみやすいのに水滴が滑落しやすいという相反する性質が発現したものと考えています(図1)。現在、メカニズムの解明のため、詳細な検討を進めています。
図1 開発した皮膜の作製プロセスと水が表面を滑落する想定メカニズムの概略図
今回開発した透明皮膜を大気中に放置しておくと、浮遊している有機物の付着で親水性が低下するものの、水で軽く洗浄するだけで、親水性が速やかに回復し、優れた防汚性を示しました。また、この皮膜は指紋の除去も容易です。
写真A ステージを傾斜した際の水滴(着色した水を使用)が滑落する様子(傾斜:50°)
(a)一般的な親水処理を施したガラス、(b) 開発した皮膜+アルカリ処理したガラス
写真B 水滴を噴霧した際の表面の様子(傾斜:90°)
(a) 一般的な親水処理を施したガラス、(b) 開発した皮膜+アルカリ処理したガラス
写真C アルカリ処理を施した皮膜上を微量の水滴(0.5 µL)が滑落していく様子(傾斜:90°)
動画1 アルカリ処理を施した皮膜上を微量の水滴(0.5 µL)が滑落していく様子(傾斜:90°)
今後は機能発現メカニズムの解明を進めながら、企業に連携を呼びかけ、水になじみやすい性質と水滴が流れ落ちやすい性質を兼ね備えた皮膜の機能強化(皮膜の硬度、耐久性の向上など)を実施します。また、前駆液の寿命(ポットライフ)評価、各種基材に適した下地処理、広い面積や複雑な形状の基材に適した塗装方法などの検討を実施し、連携後3年以内の実用化を目指します。