国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)分析計測標準研究部門 X線・陽電子計測研究グループ 木野 幸一 主任研究員、大島 永康 研究グループ長、放射線イメージング計測研究グループ 田中 真人 研究グループ長、藤原 健 主任研究員、黒田 隆之助 研究グループ付、マルチマテリアル研究部門 軽量金属設計グループ 渡津 章 主任研究員は、株式会社 日産アーク 解析プラットフォーム開発部 伊藤 孝憲 テクニカル・マネージャー、大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構 物質構造科学研究所 神山 崇 名誉教授、米村 雅雄 元特別准教授、一般財団法人 総合科学研究機構 中性子科学センター 石川 喜久 研究員と共同で、新品と劣化品のリチウムイオン二次電池(LIB)に対する中性子線の透過スペクトル解析による結晶構造イメージング(ブラッグエッジイメージング)計測に新たに開発した解析手法を適用することで、非破壊で電池電極の劣化を可視化し、結晶相の種類と密度の定量に成功した。
中性子線は透過力が高く、LIBの筐体を透過して内部を非破壊で観察することができる。さらに中性子線の透過スペクトルを解析することで、負極材料であるグラファイトなどの結晶構造の情報も得られる。今回本研究グループはグラファイトの結晶配向性を考慮した新規の解析手法を考案し、これを用いることでグラファイト負極へのリチウムイオンの挿入・脱離状態と密度、さらにはその2次元空間分布を可視化し、LIBの新品と劣化品での差異を定量的に明らかにした。本技術を、充放電によるLIBの劣化過程の非破壊かつオペランド観察に活用することで、より高性能な電池開発への貢献が期待できる。なお、この発表の詳細は、科学論文誌 Applied Physics Expressに2022年2月4日(日本時間)にオンライン掲載される。
LIBの結晶相・リチウムイオン密度の中性子による非破壊・定量イメージング
カーボンニュートラル社会の実現には、繰り返し充放電できる二次電池の性能の向上が必要である。LIBは蓄積できるエネルギー密度が高く、小型化、大容量化に適しているため、携帯電話やコンピューターだけでなく、電気自動車や再生可能エネルギーの電力貯蔵などへの利用が進んでいる。LIBを長期にわたり使用する上で、充放電の繰り返しによる劣化を抑制することが求められている。
LIBは、リチウムイオンが正極材からグラファイトなどの負極材中に移動することで充電される。LIBの充電能力の劣化原因の解析には、負極材中でリチウムイオンを保持する結晶の種類やその密度といった情報を、筐体から取り出すことなく得ることが求められてきた。これまでも、透過力に優れたX線や中性子線を用いた非破壊分析技術が世界中で精力的に開発されてきたが、結晶の配向性の強さなどからLIB負極材中の結晶情報を広範囲かつ定量的に取得する技術は実現していなかった。
産総研と日産アークは、LIBの充電能力の劣化を非破壊かつ定量的に解析するための技術開発を共同で進めてきた。その中で産総研と日産アークは、高エネルギー加速器研究機構、J-PARCセンター、総合科学研究機構と共同で、LIB内部の結晶構造情報を2次元的に得られるブラッグエッジイメージング実験を行った。試料として、市販LIBの新品および劣化品を準備し、充電および放電状態でそれぞれ計測した。さらに、このブラッグエッジイメージングの実験結果から、負極材の結晶相の各種の特徴を高精度に定量解析する技術の開発にも取り組んできた。
同一型式の市販スマートフォン用の平板型LIBの新品と劣化品(蓄電容量が新品に比べ約20%にまで減少)を使用した。大強度陽子加速器施設(J-PARC)内の物質・生命科学実験施設(MLF)に設置されている電池などの計測に特化した中性子解析ビームライン(SPICA)において、非破壊でLIBの充電および放電状態(図1(a))におけるブラッグエッジイメージング計測を行った。なおLIBは図1(a)に示すように、正極材、セパレータ、負極材が層状に配置され、かつこれらが何重にも巻かれている。本実験ではこの全層全体を測定した。図1(b)に負極材であるグラファイトの情報を有する波長範囲におけるブラッグエッジスペクトルの測定例を示す。ブラッグエッジスペクトルは、試料内の結晶情報(結晶の種類、結晶の配向性、結晶構成元素の密度など)を反映している。
図1 (a) LIB内部と負極材の結晶構造変化の模式図、(b)LIBの新品・劣化品における充電・放電状態でのブラッグエッジスペクトルの変化
図1(b)に示した波長領域で、放電状態では新品・劣化品ともに負極のグラファイト結晶に起因するエッジ構造のみが観察される。一方、充電状態において、新品ではリチウムイオンがグラファイト結晶に挿入されて生成した結晶(Li1C6やLi0.5C6)に起因するエッジ構造が確認された。劣化品では新品とは異なり、Li1C6よりもリチウム濃度が低いLi0.5C6に起因するエッジ構造が大きくなり、さらに、リチウム濃度が低い結晶(Li0.04C6結晶など)に起因するエッジ構造もわずかながら検出された。
これらの結果から定量的に各結晶の密度を測定するには、スペクトルを解析モデルにより近似する必要がある。これまでの解析モデルには、グラファイトやLi1C6などの結晶の配向性が考慮されておらず、正確な近似ができなかった(図2青線)。今回、この結晶配向性を取り入れた新たなモデルによる解析手法を開発し、実験結果に適用することで、正確なエッジ高さおよび各結晶の密度を決定することができた(図2赤線)。
図2 新規解析手法と従来手法による放電状態での中性子透過率の比較
さらにこの手法を用いて、ブラッグエッジイメージングの解析を行った。図3(a)に測定に用いたLIBの模式図を示す。本LIBは正極、セパレータ、負極が何重にも巻かれており、中性子線の透過方向の厚みは約3.5 mmである。本測定では、正極タブ付近の箇所を、約16 mm×65 mmの視野で観測した。なお平面方向の空間分解能は約1 mmである。測定の結果、生成量が少ないLi0.04C6結晶なども含めて各結晶の密度の平面分布を決定することができた。図3(b)に充電状態における結果の例を示す。ここでは、得られた結晶密度をリチウムイオンの密度に変換して示した。新品のLIBでは最もリチウム量の多いLi1C6結晶が支配的であり、かつ一様に分布している(右端は電池の巻回部であるため、グラファイトの量が少ない)。
劣化品では、Li1C6結晶の密度が低くなり、分布も一様でなくなる。密度の低下は、正極タブ(図3(a))より遠方の箇所で顕著であることがわかった。さらに、劣化品ではLi0.5C6結晶の密度がほぼ全体的に高くなるとともに、密度が低いままの箇所が正極タブの遠方に筋状に分布することが判明した(図3(b))。この筋状の分布は長さ約3 cmにもわたり、この箇所にリチウム量の少ないLi0.04C6結晶やLi0.2C6結晶が偏在するという傾向が観測された。この箇所の総リチウムイオン量は新品の半分以下であった。
このように電池内部で一様に劣化するのではなく、センチメートルオーダーで部分的に劣化していくことや特に劣化が激しい箇所が存在することがわかった。これらの箇所からさらに劣化が広がっていくと推測されるため、非破壊かつオペランド観察により劣化箇所をマクロに特定することは重要であり、その結果を基にしてLIBの設計や製造過程などの見直しを行うことで、LIBの長寿命化などの高性能化につながると期待される。
劣化したLIBではリチウムイオン量の小さい結晶が生成し、それらが偏在して分布することを中性子線による非破壊イメージングで初めて明らかにした。さらに、結晶の配向状態を考慮した解析手法で、詳細な結晶種毎の定量解析を実現した。
図3 (a)測定に用いたLIBの模式図とX線CT断面図の例、(b)新品と劣化品の充電状態における各結晶構造のリチウムイオン密度分布の比較。見やすさのため、Li0.04C6では新品・劣化品とも50倍した。
今後は、電池が劣化する過程の充放電サイクル中における時系列的なオペランド観察、さまざまな条件で劣化したLIBの解析、X線・中性子線CTや他分析法を組み合わせた解析手法の構築などを行う。また非破壊計測・解析技術の改良を進め、正極材料や固体電池などへの適用範囲の拡大を行う。なお産総研では、ブラッグエッジイメージング測定が可能な中性子解析施設(AISTANS)の運用を最近開始している(2020年1月22日 産総研プレスリリース)。