国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)生物プロセス研究部門【研究部門長 田村 具博】生物共生進化機構研究グループ 二橋 亮 主任研究員、同研究部門 深津 武馬 首席研究員、物質計測標準研究部門【研究部門長 高津 章子】バイオメディカル標準研究グループ 川口 研 主任研究員らと、国立大学法人 浜松医科大学【学長 今野 弘之】(以下「浜松医大」という)光尖端医学教育研究センター ナノスーツ開発研究部 針山 孝彦 特任教授、総合人間科学講座 生物学 山濵 由美 博士、国立大学法人 名古屋工業大学【学長 鵜飼 裕之】(以下「名工大」という)大学院工学研究科 生命・応用化学専攻 石井 大佑 准教授、学校法人 東京農業大学【学長 髙野 克己】(以下「東京農大」という)生命科学部 矢嶋 俊介 教授、生物資源ゲノム解析センター 川原(三木) 玲香 博士研究員らは共同で、トンボ由来の紫外線反射物質を同定した。
日本全国に広く生息するシオカラトンボは、オスが成熟過程で紫外線を反射するワックスを分泌する。今回、その紫外線反射ワックスが、従来知られていた他の生物のワックスと異なり、極長鎖メチルケトンと極長鎖アルデヒド(いずれも具体的な機能や性質はほぼ未解明)が主成分であることが分かった。さらに、極長鎖メチルケトンを化学合成して結晶化させたところ、強い紫外線反射能と撥水性が再現された。
なお、この研究成果は、2019年1月15日(英国時間)に英国の学術誌eLifeにオンライン掲載される。
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シオカラトンボ(左及び中央)が分泌する紫外線反射ワックスの微細構造と撥水性(右)
中央の写真(紫外透過・可視吸収フィルターを通した写真)では紫外線の反射が白く表現されている。 |
地球上のさまざまな動物や植物は体表で紫外線を反射しており、視覚によるコミュニケーションや紫外線からの防御において重要であると考えられている。こうした生物の紫外線反射は、これまでは主に体表の微細構造の解明という側面から研究が進められており、紫外線反射物質の化学組成や紫外線反射構造の産生に関わる遺伝子に関しては不明な点が多かった。
シオカラトンボは日本中に生息するなじみ深いトンボであり、成熟オスは日差しの強い水辺でよく見られる。シオカラトンボの成熟オスは体表が紫外線を反射するワックスで覆われていることが知られていたが、ワックスの組成やワックス産生に関わる遺伝子は全く不明であった。
産総研では、さまざまな昆虫類を対象として高度な生物機能の解明に取り組んできた。生物プロセス研究部門は生態的に重要な機能を持つ昆虫の体色に関しても成果を上げてきた(2010年11月19日、2012年7月10日、2015年2月24日 産総研プレス発表)。物質計測標準研究部門は、物質の精密分析の実績がある。浜松医大は、昆虫の構造色や生物素材に関わる研究に実績がある。名工大は、生物の表面微細構造やその利用に関する研究に実績がある。東京農大では、「生物資源ゲノム解析拠点」として、次世代シーケンサーを用いた生物の遺伝子解析に実績がある。今回、各研究機関の従来の研究蓄積を生かし、共同でトンボの紫外線反射ワックスの研究に取り組んだ。
なお、本研究の一部は、独立行政法人 日本学術振興会の科学研究費助成事業 新学術領域研究(18H04893)、基盤研究B(JP18H02491)、挑戦的萌芽研究(JP26660276)による支援を受けて行った。
シオカラトンボの未成熟の成虫は麦わら色(ムギワラトンボとも呼ばれる)であるが、成熟過程でオスは体表にワックスを分泌して全身が白っぽい水色へと変化する(図1)。シオカラトンボの体表の光の反射率を測定したところ、成熟オスではワックスを分泌すると同時に背側を中心に短波長(特に紫外線(UV)領域)の光の反射率が大きくなっていた(図2)。
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図1 成熟過程におけるシオカラトンボの体色変化
紫外透過・可視吸収フィルターを通した写真(下段)では紫外線の反射が白く表現されている。 |
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図2 シオカラトンボ雌雄の成熟に伴う体色と光の反射率の変化
Nは個体数を示す。グラフの実線(背側)・破線(腹側)は平均値を、着色領域(エラーバー)は標準偏差を表す。 |
また、体表のかすり傷によってワックスが剥がれた部分では紫外線の反射率が激減することから、ワックスが紫外線反射に必須と確認された。さらに、体表面を電子顕微鏡で観察したところ、ワックスを分泌した成熟オスでは体表面が鱗片状の微細構造に覆われていた(図3)。
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図3 シオカラトンボの雌雄の成熟に伴う体表面の微細構造の変化
(腹部背側、図2のトンボの実線矢印の部分) |
次に、シオカラトンボの紫外線反射ワックスを同定したところ、3種類の極長鎖メチルケトンと4種類の極長鎖アルデヒドが主成分であった(図4)。これらの物質を主成分としたワックスは、これまで他の生物には見られず(他の生物では脂肪族炭化水素、長鎖エステル、アルコール、遊離脂肪酸などが主成分として知られる)、シオカラトンボが分泌するワックスは特殊な組成であることが分かった。また、近縁種のオオシオカラトンボ、ナツアカネでも同様にワックス成分を分析したところ、いずれの種でもワックスの分泌によって紫外線の反射率が大きくなっていたが、ワックスの成分と反射率はトンボの種や雌雄、腹部の領域によって異なっていた。日向で活動する種ほど紫外線反射率が大きい傾向が見られ、日向で静止しながら交尾する種(メスの腹部腹側が上を向く)ではメスの腹側でワックスを分泌するなど生息環境や行動との関連性が見られた。今回調べた範囲では、日差しに強いシオカラトンボの成熟オス背側が最も強い紫外線反射率を示した。
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図4 トンボ3種の腹部から同定されたワックス成分
種間だけでなく、雌雄や腹部の背側と腹側でもワックスの成分が異なっていた。
代表として2-ペンタコサノンとテトラコサナールの構造を示す。
図中の「+」の数およびセルの着色は、ワックス成分の量の多少を表す。 |
最も強い紫外線反射が見られたシオカラトンボ(成熟オス・背側)のみ、極長鎖メチルケトンがワックス主成分であったことから、極長鎖メチルケトンは紫外線反射率の向上に寄与している可能性が示唆された。そこで、極長鎖メチルケトン(2-ペンタコサノン)を化学合成して、再結晶化させると、トンボの体表面とよく似た微細構造が自己組織的に生じ、強い紫外線反射能や撥水性(接触角がおよそ160°)も再現された(図5)。なお、紫外線反射の強さや撥水性は再結晶化の手法によっても異なり、ヘキサンに溶解して微量滴下と乾燥を繰り返して再結晶化させた場合(滴下)に、最も強い紫外線反射と撥水性が確認された(図5)。
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図5 シオカラトンボ(成熟オス・背側)のワックス(左)と化学合成した2-ペンタコサノンの表面微細構造、撥水性、光の反射率の比較
2-ペンタコサノンは3通り(滴下、急冷、徐冷)の方法で再結晶化させた。
2-ペンタコサノンでも特に滴下で再結晶化させた場合にトンボと似た微細構造、高い撥水性と紫外線反射が確認された。
Nは個体数もしくはサンプル数を示す。 |
シオカラトンボの雌雄の成熟過程における遺伝子発現を次世代シーケンサーで網羅的に解析した。その結果、オスの背側ワックスが産生される時期・領域と非常に強い相関のあるELOVL17遺伝子を同定した(図6)。この遺伝子は、シオカラトンボの半成熟オスの腹部背側で非常に強く発現していた。通常のメスではほとんど発現が見られなかったが、野外で稀にみられるオス型のメスでは発現していることが確認された。ELOVL17遺伝子は、極長鎖脂肪酸の合成に関わる遺伝子ファミリーに属することから、この遺伝子がシオカラトンボの紫外線反射ワックス合成を担う遺伝子の有力な候補と考えられる。
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図6 シオカラトンボのワックス産生と強い相関がみられた遺伝子の発現解析
縦軸は次世代シーケンサー解析による発現量を表す。 |
今回、トンボは他の生物とは異なる組成のワックスを用いて紫外線反射や撥水性を獲得していることが明らかになった。これは生物の紫外線反射に関する新たな知見であるとともに、化学合成したワックスでも紫外線反射や撥水性が再現できたことから、将来的には生物由来の新素材として利用できる可能性がある。
今後は、安定性や抗菌性などを含めたシオカラトンボの紫外線反射ワックスの生態学的特徴をより詳細に調べる。
論文名:Molecular basis of wax-based color change and UV reflection in dragonflies
著者:二橋 亮1、山濵 由美2、川口 研1、森 直樹3、石井 大佑4、奥出 絃太1,5、平井 悠司6、川原(三木) 玲香7、吉武 和敏5、矢嶋 俊介7、針山 孝彦2、深津 武馬1,5, 8
所属:1. 産業技術総合研究所、2. 浜松医科大学、3. 京都大学、4. 名古屋工業大学、5. 東京大学、6. 千歳科学技術大学、7. 東京農業大学、8. 筑波大学
雑誌名:eLife
DOI:10.7554/eLife.43045