国立大学法人 東京大学【総長 五神 真】(以下「東大」という)大学院工学系研究科物理工学専攻 長谷川 達生 教授(兼)国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)フレキシブルエレクトロニクス研究センター【研究センター長 鎌田 俊英】総括研究主幹、荒井 俊人 講師らは、国立大学法人 山形大学【学長 小山 清人】(以下「山形大学」という)学術研究院 栗原 正人 教授、冨樫 貴成 助教と共同で、超微細回路を簡便・高速・大面積に印刷できるスーパーナップ法(注1)について、技術の鍵となる、銀ナノ粒子の吸着性とインクの安定性が両立する不思議なメカニズムを解明しました。
塗布や印刷によりフレキシブルな電子機器を製造するプリンテッドエレクトロニクス技術は、大規模・複雑化した従来のデバイス製造技術を格段に簡易化できる革新技術として期待されています。スーパーナップ法は、線幅1マイクロメートル以下の銀配線を簡易に印刷できる画期的な印刷技術として、現在、これにもとづく透明で曲げられるタッチパネルセンサの量産化が進められています。スーパーナップ法では、インク中に含まれた特殊な銀ナノ粒子が、基材表面に選択的に吸着する新たな仕組みが技術の鍵となっていますが、高活性な銀ナノ粒子を大量に含んだインクが、印刷に至る過程で安定なままたもたれる理由は不明でした。今回、インク中で銀ナノ粒子が凝集するメカニズムを詳しく検討した結果、銀ナノ粒子表面を保護するため、わずかに含まれている脂肪酸(注2)の分子鎖の挙動が、銀ナノ粒子の吸着性とインクの安定性を両立させるため、巧みに機能していることが明らかになりました。
本研究成果は英国科学誌Scientific Reportsに2018年4月17日(英国夏時間)掲載されます。
本研究は、国立研究開発法人 科学技術振興機構の戦略的イノベーション創出推進プログラム(S-イノベ)の研究開発テーマ「有機材料を基礎とした新規エレクトロニクス技術の開発」の研究課題「新しい高性能ポリマー半導体材料と印刷プロセスによるAM-TFTを基盤とするフレキシブルディスプレイの開発」から一部助成を受けています。
①研究の背景
人間とコンピュータがより心地よく繋がった未来社会の実現に向けて、身体にフィットしたウエアラブルでフレキシブルなエレクトロニクスの開発が求められています。既存のシリコン技術が不得手とするこれらデバイスの実現には、常温・常圧付近の塗布や印刷により金属導配線や半導体を形成し、様々な電子回路を構築する、プリンテッドエレクトロニクス技術が有利になると期待されています。
電子回路を構成する基本となる金属導配線を印刷法で製造するには、インクとして、10~100ナノメートル(ナノメートルは10億分の1メートル)程度の粒径を持つ金属ナノ粒子を多量に含む、金属ナノインクの利用が適しています。現在までに、各種の金属ナノインクや印刷法の開発が進められてきましたが、なかでも一昨年開発されたスーパーナップ法は、基材表面に真空紫外光(注3)をパターン照射し、その表面を特殊な銀ナノインクで短時間濡らすだけで、基材に強く固着し、かつ線幅が1マイクロメートル以下の、高精細で高品質な銀配線を製造できることが明らかになっています。紙幣の高精細画の印刷などに用いられる既存の高精細印刷法と比べ、その精細度は二十倍以上にも達しています(図1)。このため用いられる銀ナノインク中には、活性の高い特殊な銀ナノ粒子が、40~60重量パーセントもの高い濃度で含まれています。この銀ナノインクが前述の基材表面に接すると、インク中の銀ナノ粒子がパターン表面上に素早くかつ選択的に化学吸着(注4)し、吸着した銀ナノ粒子どうしが常温で自己融着していくことで、銀配線の形成が進みます。しかし、このように活性の高い銀ナノ粒子を高濃度に含むインクが、印刷に至る過程では各粒子が高速にブラウン運動(注5)する状態を保持したまま、長期間(~数ケ月)にわたり凝集することなく安定に保たれる理由は不明でした。
②研究内容
スーパーナップ法では、アルキルアミン(注6)を主な保護基(注7)とし、これに脂肪酸をごく少量添加した、半径約7ナノメートルの銀ナノ粒子が用いられます(図2中)。インク化するための分散媒(注8)には、オクタンとブタノールの混合液(注9)が用いられます。安定なインクは特定の配合比の保護基・分散媒により得られますが、それらの役割やインク中の銀ナノ粒子の分散挙動は不明でした。インクは光を通さない真黒な液体であるうえ、希薄にすると銀ナノ粒子どうしが直ちに凝集し沈殿が生じるなど、通常の動的光散乱(DLS)法(注10)により、インク中の粒子の運動挙動を調べることは不可能でした。そこで本研究では、液体界面近くの微小領域からの散乱光を高感度に捉えることが可能な共焦点DLS法(注11)(図2上)を適用し、上記インク中の粒子の分散挙動を調べることに初めて成功しました。
まず、印刷に適した安定なインク中の粒子の粒径分布を調べた結果を図3に示します。各粒径の粒子の数密度分布の解析結果(図3左)から、もとのサイズの銀ナノ粒子が多数を占める状態は、数ケ月にわたって保持されることが分かります。ただ大きな粒子からの散乱光をより強く反映する散乱光強度分布(図3中)には、銀ナノ粒子が凝集してできた粗い粒子(半径50~200ナノメートル)が時間とともに増えていく様子が見てとれます。実際、インク調整3ヶ月後にインクを乾燥し電子顕微鏡観察したところ、調整1日後には見られなかった粗い粒子が、多数確認されました(図3右)。
次に、銀ナノ粒子表面を保護する2種の保護基のうち、粒子表面と比較的強く結合する脂肪酸の含有比が異なる3種類のインク(脂肪酸/全保護基比 = ① 1.7%、② 2.2%(最適値)、③ 2.5%)を用意し、インクの安定性と印刷性を調べました。その結果、脂肪酸の含有比が大きいほど粒径分布が鋭く、インクの安定性が高まることが分かりました(図4上)。ところが、これらインクによる印刷性を調べたところ、高精細(線幅数マイクロメートル以下)な印刷は、脂肪酸の含有比が②の場合にのみ可能で(図4下)、その電気抵抗値も最小となることが分かりました。一方、脂肪酸の含有比が少ない①のインクは銀ナノ粒子どうしが凝集しやすく、粗い粒子がパターン表面に付着し、銀層が劣化していました(図4左下)。また脂肪酸の含有比が多い③のインクは、あらかじめ形成したパターンよりかなり幅広の銀配線が得られました。これより、保護基の含有比としてはごくわずか(表面銀原子46個あたり1個)な脂肪酸が、印刷の精細度と電気伝導度に、決定的影響を及ぼすことが分かりました。
さらに銀ナノ粒子をインク化するため用いる分散媒の組成比を変えたインクを調整し、インクの安定性を調べました。インクは、分散媒の成分であるオクタンやブタノールを単成分の分散媒とした場合は著しく不安定で、調整直後に二相分離(図5左上)や、十数分程度で沈殿(図5右上)が生じました。組成比が異なる分散媒で調整したインクの粒径分布を調べたところ、最適組成(混合比4:1)からずれると、いずれも銀ナノ粒子どうしが凝集しやすく、粗い粒子がインク調整直後に観測されました(図5下)。
以上から、銀ナノ粒子の分散安定性は、保護基と分散媒の組成比が最適な値でバランスした場合にのみ得られ、かつこのとき初めて、スーパーナップ法による超高精細印刷が可能になることが明らかになりました。コロイド(注12)の分散安定性理論にもとづく検討から、従来のコロイドにないこれらの特異な挙動は、以下のメカニズムによるとの結論が得られました。インク中でブラウン運動する銀ナノ粒子どうしの衝突に伴う粒子の凝集を防ぐには、銀ナノ粒子間に強い立体反発力が働く必要があります。スーパーナップ法で用いられる銀ナノインクでは、その反発力は主として脂肪酸により担われていると考えられます。またこれらの反発力が有効となるためには、銀ナノ粒子を取り囲む溶媒分子と保護基の脂肪酸の馴染み(親和性)が良好で、脂肪酸の分子鎖が剛直性を示している必要があります(図6上)。実際、脂肪酸と分散媒の間の親和性は、オクタンの体積分率が0.74のとき最大になることが理論的に予測され、実験で得られた最適組成比(体積分率0.8)とほぼ一致していました。分散媒がこの組成比からずれると、脂肪酸と溶媒分子の間の馴染みが悪化して分子鎖が折り畳まれ、結果として銀ナノ粒子間の反発力が失われて、銀ナノ粒子どうしが凝集していくと考えられます(図6下)。このように、銀ナノインク中にごく微量に含まれた脂肪酸がインクの安定性を主として担うとともに、分散媒等の環境によりその挙動が大きく変化し、銀ナノ粒子の吸着性が活性化するという不思議なメカニズムの一端が明らかになりました。
③今後の予定
今後は、基材表面近傍における銀ナノ粒子の挙動をさらに詳しく調べることにより、銀ナノ粒子の表面化学吸着メカニズムの解明を進めていきます。さらに以上の理解をもとに、優れたポテンシャルを有するナノインクの利用にもとづくイノベーションの出現を目指し、新たな高機能ナノインクの開発と高度印刷技術への展開を推進していきます。
雑誌名:「Scientific Reports」(オンライン版:4月17日)
論文タイトル:Unique coexistence of dispersion stability and nanoparticle chemisorption in alkylamine/alkylacid encapsulated silver nanocolloids
著者:Keisuke Aoshima, Yuya Hirakawa, Takanari Togashi, Masato Kurihara, Shunto Arai, and Tatsuo Hasegawa
DOI番号:10.1038/s41598-018-24487-9
アブストラクトURL:www.nature.com/articles/s41598-018-24487-9