国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)工学計測標準研究部門【研究部門長 高辻 利之】 藤井 賢一 首席研究員、同部門 質量標準研究グループ 倉本 直樹 主任研究員、水島 茂喜 主任研究員、物質計測標準研究部門【研究部門長 高津 章子】 表面・ナノ分析研究グループ 張 ルウルウ 主任研究員らは、シリコン単結晶球体の超精密な形状計測を通じて、基礎物理定数の一つであるプランク定数を世界最高レベルの精度で測定し、キログラムの定義改定に向け大きく貢献した。
キログラムは現在、世界に一つしかない分銅「国際キログラム原器」の質量と定義されている。しかし国際キログラム原器の質量は、長期的には表面の汚染などによって変動してしまうことがわかってきた。そのため、普遍的な基礎物理定数に基づいた定義に改定すべく、基礎物理定数を国際キログラム原器の質量の長期安定性よりも高い精度で決定するための研究が各国で進められてきた。その結果、プランク定数に基づく新たなキログラムの定義に移行するかどうかが、2018年に審議されることとなっている。
今回、産総研では超高精度のレーザー干渉計と表面分析システムを用いて、直径約94 mmのシリコン単結晶球体の形状を1 nm未満の精度で測定することで、プランク定数を世界最高レベルの精度で測定した。さらに、科学技術データ委員会(CODATA)は、産総研や複数の海外の研究機関のプランク定数の高精度測定結果に基づき、キログラムの新しい定義に用いられるプランク定数の値を決定した。わが国が国際単位系(SI)の基本単位の定義の決定に直接関与するのは初めてであり、約130年ぶりとなるキログラムの定義改定に貢献する歴史的な成果と言える。
なお、CODATAによるプランク定数の決定の詳細は、2017年10月21日(現地時間)に英国物理学会誌MetrologiaにAccepted Manuscriptとして掲載された。
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産総研で開発したシリコン単結晶球体の形状を高い精度で測定するレーザー干渉計(左)と、
直径測定値の、平均直径からの偏差を表示した球体形状三次元図(右) |
計測は科学の基本であるばかりでなく、商取引や法規制を介して社会生活にも大きな影響を与えるため、信頼性の高い世界共通の単位系が欠かせない。SIは現在最も広く用いられている単位系であり、日々の生活から先端科学に至るまで、SIの恩恵を被らないものはない。
質量の単位「キログラム」と長さの単位「メートル」はSIを構成する重要な基本単位であり、1889年の第1回国際度量衡総会(CGPM)で、それぞれ、白金イリジウム製の「国際キログラム原器」の質量、「国際メートル原器」の長さとして定義された。それ以来、信頼性の高い計測を実現するために、最先端の科学技術を取り入れながら単位の定義は進化し続けている。1983年には、レーザー技術の進展を受けて、メートルの定義が普遍的な基礎物理定数である真空中の光速度に基づき改定された。これによって、国際メートル原器よりも約1000倍高い精度で長さの基準を設定することが可能となった。
一方、キログラムの定義は、約130年経過した現在でも変わっていない。国際キログラム原器は国際度量衡局(BIPM)で厳重に保管されているが、表面汚染などのため、その質量の約100年にわたる安定性は50 µg 程度と推定されている。これは1 kg に対して1億分の5(5×10-8)のわずかな変動幅であるが、最新の質量計測技術では無視できない変動である。
そこで、約200ある普遍的な基礎物理定数のいずれかを5×10-8を凌ぐ精度で測定し、その値を基準としてキログラムを定義する試みに、世界各国の国家計量標準機関(NMI)が取り組んできた。その結果、2011年の第24回CGPMで、将来、国際キログラム原器を廃止し、以下のようにキログラムの定義を改定する方針が決議された。
「キログラムの大きさは、プランク定数の値を正確に6.626 07XX × 10-34 J sと定めることによって設定される。」
プランク定数は量子論における最も重要な基礎物理定数の一つであり、電子の質量と関連づけられる。このため、現行の1 kgをプランク定数によって表現することができる。また、XXは定義改定の時点での信頼できる測定値から決定される。
2014年の第25回CGPMでは、キログラムの定義改定を2018年の第26回CGPMで審議できるよう、各国のNMIが準備を進めることが決議された。これを受けて、新たなキログラムの基準となるプランク定数の値を決定するための測定結果を、2017年7月1日までに公表することが求められていた。
プランク定数は二通りの方法で測定できる。一つは、キッブルバランス法と呼ばれ、もう一方は、X線結晶密度法である。産総研は、約40年前にX線結晶密度法を用いたプランク定数の精密測定に着手した。この方法では、シリコン単結晶の密度、モル質量、格子定数を測定し、シリコン単結晶に含まれる原子を数えてアボガドロ定数を測定する。プランク定数とアボガドロ定数の間には厳密な関係式が成り立ち、アボガドロ定数の測定値から、ほぼ同じ精度でプランク定数を算出できる。自然界のシリコンには3種類の安定同位体(28Si、29Si、30Si)が存在するので、モル質量を決めるには同位体存在比を測定する必要がある。これがボトルネックとなりプランク定数の測定精度は3×10-7が限界であった。そこで、国際研究協力「アボガドロ国際プロジェクト」に参画し、28Siだけを99.99 %まで濃縮した28Si単結晶を製作した。2011年には、この28Si単結晶を用い、プランク定数を当時の世界最高精度3 × 10-8(1億分の3)で測定した(産総研 主な研究成果 2012年2月27日)。この測定精度は国際キログラム原器の長期安定性を凌ぐものであったが、米国標準技術研究所(NIST)がキッブルバランス法で決定したプランク定数とは一致しなかった。このため、2011年の第24回CGPMでは、プランク定数に基づく新たな定義に将来的に移行する方針が決議されたのみであり、定義改定には至らなかった。
なお、本研究開発は、独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費助成事業「質量の単位『キログラム』を基礎物理定数によって定義するための研究開発」(課題番号:16H03901)の助成を受けて行った。
今回のプランク定数の測定には、アボガドロ国際プロジェクトで制作した28Si単結晶から研磨された球体を用いた。球体の質量と直径はそれぞれ約1 kgと約94 mmであり、その質量と体積を精密に測定し、密度を決定した。体積測定には産総研で開発したレーザー干渉計を用いた。約2000方位から球体の直径を測定し、2×10-8の精度で球体体積を決定した。直径の測定精度は0.6 nmであり、ほぼ原子間距離(格子定数)に相当する。この世界最高レベルの精度での直径測定は、産総研が開発したレーザー波長の精密制御技術と、球体温度の精密計測技術(精度6/10000 °C)によって実現した。シリコン球体の質量は、超高精度な質量比較が可能な真空天びんを用いて、質量の国家計量標準である日本国キログラム原器と比較して測定した。
シリコン球体表面は、酸化膜などからなる厚さ数nmの表面層に覆われている。シリコン原子を数えてプランク定数を決定するには、シリコン原子だけからなる部分(シリコンコア)の質量と体積を決定する必要がある。そこで、今回新たにX線光電子分光法と分光エリプソメトリーによる球体表面分析システムを開発した(図1)。いずれの装置もシリコン球体の回転機構を備え、球体の全表面を分析できる。このシステムにより、球体表面層の組成を決定し、さらに球体表面層の厚さを0.1 nmの精度で測定した。シリコン球体の質量と体積の測定値をこの表面層分析結果で補正し、シリコンコアの質量と体積を決定した。
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図 1 産総研で開発したX線光電子分光法システム(左)と、分光エリプソメーター(右)
シリコン球体の表面層の組成を決定し、表面層の厚さを0.1 nmの世界最高の精度で測定できる。いずれの装置も球体回転機構を備え、球体全表面を分析できる。 |
今回測定したシリコンコアの質量と体積を、アボガドロ国際プロジェクトによって過去に測定されている格子定数とモル質量と組み合わせて、2.4×10-8(1億分の2.4)の世界最高レベルの精度でプランク定数を決定した。この精度は、1 kgに換算すると24 µgであり、国際キログラム原器の質量安定性である50 µgを凌ぐ。
図2に、2017年7月1日までに世界各国のNMIによって決定されたプランク定数の値を示す。NMIJ(日)-2017は、産総研が決定した値である。この値は以前にアボガドロ国際プロジェクトで測定した値(IAC-2011、IAC-2015、IAC-2017)と良く一致した。また、NIST、カナダ国立研究機構(NRC)、フランス国立計量研究所(LNE)がキッブルバランス法によって測定した値(NIST(米)-2015、NIST(米)-2017、NRC(カナダ)-2017、LNE(仏)-2017)とも良く一致した。
CODATAは、これら8つの高精度な測定値に基づいてプランク定数の調整値(CODATA-2017 、6.626 070 150(69) ×10-34 J s)を決定した(括弧内の数値は最後の桁の標準不確かさを表す)。CODATA-2017の精度は1.0×10-8(1億分の1)である。この精度は、1 kgに換算すると10 µgであり、国際キログラム原器の質量安定性である50 µgを大きく凌ぐ。2018年11月に開催される第26回CGPMでは、このCODATA-2017の不確かさをゼロとする定義値に基づく新しいキログラムの定義への移行が審議される。
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図2 CODATAが決定したプランク定数の調整値(CODATA-2017)と決定に貢献した8つの測定結果
2018年11月に開催される第26回CGPMでは、この調整値の不確かさをゼロとする定義値に基づく新しいキログラムの定義への移行が審議される。 |
CODATA-2017の決定に使用された8つのデータのうち、産総研は4つの値の測定に貢献し、またそのうちの一つは産総研で今回新たに測定したものである。科学技術分野の根底を支える単位系のほとんどは、その多くが欧米を中心に構築されてきたが、欧米以外の国が、世界共通の単位系の改定に決定的な役割を果たすのは、長い度量衡の歴史の中でも今回が初めてであり、産総研の測定結果は約130年ぶりとなるキログラムの定義改定に大きく貢献するものと期待される。
2018年11月に開催される第26回国際度量衡総会においてプランク定数を基準とする新たな定義への移行が決議された場合、2019年5月20日の世界計量記念日をめどに新たな定義を施行することが計画されている。
産総研では、定義が改定される見通しを踏まえて、新薬の開発(創薬)や微粒子などを対象とする環境計測などの分野で強く求められている、サブミリグラムやマイクログラム領域の微小質量を、プランク定数を基準にして高精度に測定するための技術開発を開始した。現在、高精度な質量測定には、国際キログラム原器を基準として質量が値付けされた分銅が必要であるが、微小質量に関しては、質量の長期安定性などの問題から、分銅の実用化が困難である。このため、微小質量をプランク定数に結びつける新たな原理に基づく測定技術の開発を目指す。