独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)ナノスピントロニクス研究センター 湯浅 新治 研究センター長、野﨑 隆行 主任研究員は、高周波電圧をかけることによって、金属磁石材料の磁化の向きを反転させるために必要な磁界を小さくできる新しい技術(磁化反転アシスト技術)を開発した。
磁化参照層/絶縁層/超薄膜磁化フリー層のサンドイッチ構造からなるトンネル磁気抵抗素子に高周波電圧をかけると、超薄膜磁化フリー層の磁気異方性が周期的に変化する。これにより磁化(下図(a)、赤矢印)の歳差運動が生じて、磁化反転のための磁界が大幅に低減される。今回発見したこの現象は、磁気記録や不揮発性固体磁気メモリーなどの消費電力の少ない情報書き込み技術への応用が期待される。
この研究開発は、独立行政法人 科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業(CREST) の研究課題(研究代表者:湯浅 新治)の一環として行われ、2014年6月30日に日本の科学誌「Applied Physics Express」のオンライン速報版で公開される。
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(a)今回用いたトンネル磁気抵抗素子の模式図と(b)反転磁界低減効果の例 |
(a)高周波電圧をかけると超薄膜金属磁石からなる超薄膜磁化フリー層の磁化(赤矢印)の歳差運動が引き起こされ、磁化の反転に必要な磁界が低減する。(b)約1 GHzで最大で約80 %の反転磁界の低減が確認された。
磁石のN(S)極の向き(磁化の向き)を0と1のような2値状態に置き換えることで情報の記録を行う磁気記録は、磁気テープや光磁気ディスク、フロッピーディスク、ハードディスクと形を変えながら記録容量を増大させることで、爆発的に成長するデジタル情報社会の発展を支えてきた。磁気記録の分野において課題となっているのが、磁化の向きを変えるのに必要な磁界(反転磁界)を小さくするための技術開発である。記録容量を増大させるためには磁石の体積を小さくすることが必須であるが、磁石を小さくすると磁化の向きを維持するための磁気的なエネルギーが低下し、場合によっては室温の熱エネルギーでも磁化の向きが反転してしまい、情報が失われる可能性がある。これを防ぐために、磁化の向きを固定する“磁気異方性”が大きな磁石材料を用いて磁気エネルギーの山を高くする方策が取られているが、逆に情報の書き換えに必要な磁界(反転磁界)が大きくなりすぎて、書き換えられなくなるというジレンマに陥る。
この問題を解決する将来技術として、磁石材料に外部からマイクロ波による高周波磁界をかけて磁化の歳差運動を引き起こし、磁化反転に必要なエネルギーの山を見かけ上低くするマイクロ波アシスト磁化反転が提案されている(図1)。これにより、情報保存時は磁化方向の安定性を高く保ち、書き込みの瞬間だけ安定性を低くすることで反転に必要な磁界を低減させることができる。しかしながら、強い高周波磁界を作り出すには大電流が必要なため抵抗損失による消費電力の増大が課題となっている。
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図1 マイクロ波アシスト磁化反転の概念図 |
磁化の向きを反転させるには、磁気エネルギーの山を超える必要がある。高周波磁界(青矢印)によって磁化の歳差運動が生じると(赤矢印)、磁気エネルギーの山が見かけ上低くなって小さな磁界で反転させることができる。
産総研はこれまでに国立大学法人 大阪大学と協力して、超薄膜金属磁石材料に高周波電圧をかけて磁気異方性を振動的に制御し、高周波磁界を加えた場合と同様の磁化の歳差運動を誘起する技術を開発している(2012年5月1日 産総研プレス発表)。電圧による歳差運動の誘起は本質的に電流を流す必要がないため、電流による誘起と比べて大幅な駆動電力の低減が期待される。しかし、これまでの研究では高周波電圧が小さく、磁化反転の挙動に対する影響は確認できなかった。今回、これまでよりも強い高周波電圧をかけて大きな歳差運動を引き起こし、反転磁界低減効果の原理実証を試みた。
なお、本研究開発は、独立行政法人 科学技術振興機構(JST)の戦略的創造研究推進事業(CREST)「革新的プロセスによる金属/機能性酸化物複合デバイスの開発(平成21~26年度)」(研究総括:渡辺 久恒、研究代表者:湯浅 新治)と産総研戦略的融合研究事業「高電力効率大規模データ処理イニシアチブ(IMPULSE: Initiative for Most Power-efficient Ultra-Large-Scale data Exploration)」による支援を受けて行った。
図2に磁化反転の挙動を電気的に測定するために用いた垂直磁化型のトンネル磁気抵抗素子の模式図を示す。磁化参照層/絶縁層/超薄膜磁化フリー層から構成されており、磁化参照層には垂直磁化型の鉄薄膜(黒矢印が磁化の向きを示す)、絶縁層には電流が流れることによって生じる磁化の運動への影響を無視できる程度に十分厚い酸化マグネシウムを用いた。磁化フリー層は膜厚1.8 nm の鉄を主成分とした垂直磁化型の金属合金磁石薄膜で、電圧をかけると変化する磁気異方性により磁化の向きを制御できる。素子の断面積は2×6 µm2である。この素子に高周波電圧をかけながら、外部磁界により磁化フリー層の磁化を反転させて磁化反転の挙動を測定した。反転磁界の評価は、磁化参照層(黒矢印)と超薄膜磁化フリー層(赤矢印)の磁化の相対角度によって素子の抵抗値が変化するトンネル磁気抵抗効果を利用して行った。
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図2 今回用いたトンネル磁気抵抗素子の模式図 |
図3(a)は、実効値315 mVの高周波電圧をかけながら測定したトンネル磁気抵抗曲線である。縦軸は超薄膜磁化フリー層と磁化参照層の磁化が平行な場合の抵抗値を0、反平行の場合の抵抗値を1として規格化してある。外部磁界(横軸)は面内から50度立ち上がった方向(図2水色矢印)に加えており、+200 Oeから-200 Oe、さらに-200 Oeから+200 Oeの順に10 Oe刻みで変化させた(Oeは磁界の強さの単位)。この外部磁界の範囲では磁化参照層の磁化の向き(黒矢印)は変化せず、抵抗値の変化は超薄膜磁化フリー層の磁化反転を反映している。例えば5 GHzの電圧をかけながら測定した結果(緑色)の場合、+200 Oeから負方向へ磁界を掃引すると、約-120 Oeで磁化フリー層の磁化(赤矢印)のみが下向きに反転し、素子抵抗が0から1へと変化する。逆に-200 Oeから正方向へ磁界を掃引すると、+40 Oeで再び超薄膜磁化フリー層の磁化が上向きに反転し、素子抵抗は1から0へと変化する(図3(a)中イラスト参照)。磁化反転磁界をこの抵抗変化が生じる磁界の幅の2分の1と定義し(図3(b)挿入図参照)、反転磁界の高周波電圧周波数依存性をまとめた結果を図3(b)に示す。歳差運動が効率よく生じる1 GHz付近において、高周波電圧をかけない場合 (青破線)と比べて80 %以上磁化反転磁界が低減した。
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図3 (a)高周波電圧をかけながら測定したトンネル磁気抵抗曲線の例、
(b)磁化反転磁界の電圧周波数依存性 |
これまでのマイクロ波アシスト磁化反転では、数 mA~数十 mAの大きな電流を流す必要があったが、今回用いたトンネル磁気抵抗素子は、抵抗が大きいため素子を流れる電流は0.1 mA以下である。そのため、電流による不要な電力消費を数十分の1以下に抑制しながらも磁化反転の促進が可能と分かった。
今回、高周波電圧をかけることで生じる磁化の歳差運動を利用した新しい磁化反転アシスト効果を実証できたことから、次世代の超高密度磁気記録や不揮発性固体磁気メモリーの書き込みの低消費電力化を促進する技術として期待される。
今後はより高い垂直磁気異方性をもつ材料系の検討とともに、局所的に高周波電圧(電界)をかけるための新しい磁気記録アシスト用ヘッドの開発を進め、数~数十nmサイズの微小磁石における磁化反転アシスト効果の実証を目指す。