独立行政法人産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)ナノシステム研究部門【研究部門長 山口 智彦】ナノ炭素材料シミュレーショングループ 宮本 良之 研究グループ長、非平衡材料シミュレーショングループ 宮崎 剛英 研究グループ長、エネルギー技術研究部門【研究部門長 角口 勝彦】山崎 聡 総括研究主幹、電力エネルギー基盤グループ 竹内 大輔 上級主任研究員らは、第一原理計算による電子ダイナミクスのシミュレーションにより、化学修飾されたダイヤモンド表面における電子の電界放出特性の違いを調べ、従来から電界放出の高効率化に効果があると考えられていた負の電子親和性(Negative Electron Affinity:NEA)だけが必ずしも有効ではなく、表面化学修飾により電子のポテンシャルが表面からの深さに対して単調に変化せず増減を繰り返す複雑な構造を持っていることが、電界放出特性に大きな影響を及ぼすことを突き止めた。この理論的な研究成果によって、ダイヤモンド表面を化学修飾する際の電界放出特性と化学安定性の向上を目指す実験的な研究や電子放出デバイスの応用研究を加速することが期待される。
この研究成果は米国の学術誌Applied Physics Letterのオンライン版に2013年9月16日(米国東部時間)に掲載される。
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ダイヤモンド基板と陽極の間の電界印加でダイヤモンド表面から電子を放出する回路構成
表面の化学吸着構造を取り入れた詳細な原子スケールのシミュレーションを実行した。 |
ダイヤモンドは低い電圧で高効率の電界放出特性を持ち、ナノ材料の測定や品質向上に用いられる電子線源デバイス用材料としての応用が期待されており、ケイ素(Si)や他の半導体では作ることができない新しい原理の電子デバイスの開発が進められている。電界放出特性を安定させるためにさまざまな表面化学修飾が考えられてきたが、化学修飾をすることにより電界放出効率が下がるといった問題などもあり、電界放出特性を決定する仕組みの解明が待たれていた。従来からNEAの特性を持つ表面化学修飾が高効率の電界放出を達成することの鍵とされてきた。
産総研は、電子デバイス材料の研究開発にて理論と実験的研究の連携をとりながら、これまで使われている材料では達成できない高性能電子デバイスの研究開発を目指して、低電圧で安定して動作する電子放出デバイスの開発に取り組んできた。ダイヤモンド材料を用いた電界放出デバイスの性能は他の材料と比べて圧倒的な性能をもつものの、その表面処理による安定性の確保と電子放出効率化の両立のために、電子放出メカニズムの解明が課題であった。
本研究の一部は、独立行政法人 科学技術振興機構 先端的低炭素化技術開発(ALCA)における研究課題「超高耐圧高効率小型真空パワースイッチ」により実施した。また、数値シミュレーションの実行には、産総研の計算機資源AIST-Super Cloud - Generation 2(ASC-G2)を使用した。
ダイヤモンドの表面を水素原子で覆うとダイヤモンドの中に注入された電子は真空に飛び出すことによりエネルギー的に安定し、自然に電子が漏れ出る現象が知られている。この現象を使って新しい原理の真空スイッチ(2012年12月10日 産総研プレス発表)や電子放出デバイスが開発されている。
さらに高い電子放出効率を持つ表面や安定した表面を得るためには、理論的な理解が必要だが、これまでは電子親和力など詳細な原子スケールの構造を考えない理解だけであったため、1個1個の電子の飛び出しやすさなど、より原子レベルでの理解が待たれていた。密度汎関数理論に基づく第一原理計算で、ダイヤモンド表面のさまざまな化学修飾された表面構造(図1)を決定し、その原子レベルでの電子親和性を調べた。その結果、水素修飾表面と水素・水酸基修飾表面において負の電子親和性が、何も化学修飾されていない清浄な表面では正の電子親和性があることが分かり、これらは過去の研究結果と一致していた。次に時間依存密度汎関数理論による電界放出のシミュレーションを実行した。
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図1 シミュレーションで想定したさまざまなダイヤモンド表面構造 |
シミュレーションでは表面に電圧をかけ、真空中に出てくる電子数を時間の関数としてカウントすることで電界放出特性を比較した (図2)。その結果、負の電子親和性を持つ水素修飾された表面からの電界放出特性は正の電子親和性を持つ清浄な表面のそれを上回る結果となり、過去の研究と一致したが、負の電子親和性を持つ水素と水酸基の混合により化学修飾された表面は正の電子親和性を持つ清浄表面よりも電界放出効率が低いことが分かり、電子親和性だけでは電界放出特性を決定していないことが分かった。
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図2 各表面において表面から放出される電子の数の時間変化
グラフの傾きがダイヤモンド基板から陽極へ流れる電流を表す。 |
表面における電子のポテンシャルを詳細に調べると、水素と水酸基の混合により化学修飾された表面はダイヤモンド内部から真空に向かうにつれて表面酸素が存在することに起因した電子を束縛しようとする、いわばポテンシャルの井戸のような領域があることが分かった (図3)。
真空領域におけるポテンシャルの高さは、清浄された表面よりも低いものの、ポテンシャルの井戸が電子の効率の良い放出を妨げていることが、電子のダイナミクスを調べたことから分かった。
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図3 各表面において電子が感じるポテンシャル
表面に対し平行方向は平均されている。 |
電子の電界放出の効率を考察するのに、電子親和性を考慮して図4のように表面付近のポテンシャルの詳細は考慮しないモデルが考えられ、これによれば、真空位置でのポテンシャルの高さとダイヤモンド内部でのポテンシャルの高さの差で放出効率が決定され、図4の場合は、清浄表面よりも、水素と水酸基で表面修飾された表面からの高効率電子放出が期待される。しかし、このモデルでは電子の感じるポテンシャルはダイヤモンド内部から表面、真空へ向かうにつれて単調に増加するという仮定が用いられており、実際の化学修飾された微細な原子配置の情報が反映されていない。
今回の研究では、第一原理計算により物質の構造を取り入れた精密なモデルにより電子の感じるポテンシャルの詳細な形状を取り込んだ電子のダイナミクスを数値計算したことによって、水酸基修飾による表面からの電界放出効率が清浄表面のそれよりも低いことを実証した。これは図4のように単純にポテンシャルは変化せず、表面付近にて酸素原子の存在によるポテンシャルの井戸が存在するためである。
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図4 図3のポテンシャルの表面付近を考慮せず真空位置でのそれぞれの表面のポテンシャルの比較位置だけを考慮した従来の概念を示した図。 |
シミュレーションで表面の凹凸を考慮したり欠陥構造の分布を表現できる大きなモデルを想定することが可能になれば、表面化学修飾の有無の違いだけでなく、表面形状効果を考慮した第一原理計算による電子ダイナミクスの計算で電圧をかけた際におこる電子放出の効率が検証でき、その結果を利用して実験的研究に必要な試行回数を減らすことで研究を加速することが期待される。