発表・掲載日:2013/09/13

ダイヤモンド電子放出デバイスの高性能化の鍵を理論的に解明

-表面付近の原子レベルの構造が電子の放出効果に重要な役割-

ポイント

  • 高性能電子デバイスとしてのダイヤモンドの電界放出の基本原理を解明
  • これまで考えられていた電子親和性の効果だけでなく表面付近の電子のポテンシャル変調が大きく影響
  • 電子放出デバイスに最適な表面修飾を第一原理計算で求めることができ、理想的なデバイス材料の提案が可能

概要

 独立行政法人産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)ナノシステム研究部門【研究部門長 山口 智彦】ナノ炭素材料シミュレーショングループ 宮本 良之 研究グループ長、非平衡材料シミュレーショングループ 宮崎 剛英 研究グループ長、エネルギー技術研究部門【研究部門長 角口 勝彦】山崎 聡 総括研究主幹、電力エネルギー基盤グループ 竹内 大輔 上級主任研究員らは、第一原理計算による電子ダイナミクスのシミュレーションにより、化学修飾されたダイヤモンド表面における電子の電界放出特性の違いを調べ、従来から電界放出の高効率化に効果があると考えられていた負の電子親和性(Negative Electron Affinity:NEA)だけが必ずしも有効ではなく、表面化学修飾により電子のポテンシャルが表面からの深さに対して単調に変化せず増減を繰り返す複雑な構造を持っていることが、電界放出特性に大きな影響を及ぼすことを突き止めた。この理論的な研究成果によって、ダイヤモンド表面を化学修飾する際の電界放出特性と化学安定性の向上を目指す実験的な研究や電子放出デバイスの応用研究を加速することが期待される。

 この研究成果は米国の学術誌Applied Physics Letterのオンライン版に2013年9月16日(米国東部時間)に掲載される。

ダイヤモンド基板と陽極の間の電界印加でダイヤモンド表面から電子を放出する回路構成の図
ダイヤモンド基板と陽極の間の電界印加でダイヤモンド表面から電子を放出する回路構成
表面の化学吸着構造を取り入れた詳細な原子スケールのシミュレーションを実行した。


研究の社会的背景

 ダイヤモンドは低い電圧で高効率の電界放出特性を持ち、ナノ材料の測定や品質向上に用いられる電子線源デバイス用材料としての応用が期待されており、ケイ素(Si)や他の半導体では作ることができない新しい原理の電子デバイスの開発が進められている。電界放出特性を安定させるためにさまざまな表面化学修飾が考えられてきたが、化学修飾をすることにより電界放出効率が下がるといった問題などもあり、電界放出特性を決定する仕組みの解明が待たれていた。従来からNEAの特性を持つ表面化学修飾が高効率の電界放出を達成することの鍵とされてきた。

研究の経緯

 産総研は、電子デバイス材料の研究開発にて理論と実験的研究の連携をとりながら、これまで使われている材料では達成できない高性能電子デバイスの研究開発を目指して、低電圧で安定して動作する電子放出デバイスの開発に取り組んできた。ダイヤモンド材料を用いた電界放出デバイスの性能は他の材料と比べて圧倒的な性能をもつものの、その表面処理による安定性の確保と電子放出効率化の両立のために、電子放出メカニズムの解明が課題であった。

 本研究の一部は、独立行政法人 科学技術振興機構 先端的低炭素化技術開発(ALCA)における研究課題「超高耐圧高効率小型真空パワースイッチ」により実施した。また、数値シミュレーションの実行には、産総研の計算機資源AIST-Super Cloud - Generation 2(ASC-G2)を使用した。

研究の内容

 ダイヤモンドの表面を水素原子で覆うとダイヤモンドの中に注入された電子は真空に飛び出すことによりエネルギー的に安定し、自然に電子が漏れ出る現象が知られている。この現象を使って新しい原理の真空スイッチ(2012年12月10日 産総研プレス発表)や電子放出デバイスが開発されている。

 さらに高い電子放出効率を持つ表面や安定した表面を得るためには、理論的な理解が必要だが、これまでは電子親和力など詳細な原子スケールの構造を考えない理解だけであったため、1個1個の電子の飛び出しやすさなど、より原子レベルでの理解が待たれていた。密度汎関数理論に基づく第一原理計算で、ダイヤモンド表面のさまざまな化学修飾された表面構造(図1)を決定し、その原子レベルでの電子親和性を調べた。その結果、水素修飾表面と水素・水酸基修飾表面において負の電子親和性が、何も化学修飾されていない清浄な表面では正の電子親和性があることが分かり、これらは過去の研究結果と一致していた。次に時間依存密度汎関数理論による電界放出のシミュレーションを実行した。

シミュレーションで想定したさまざまなダイヤモンド表面構造図
図1 シミュレーションで想定したさまざまなダイヤモンド表面構造

 シミュレーションでは表面に電圧をかけ、真空中に出てくる電子数を時間の関数としてカウントすることで電界放出特性を比較した (図2)。その結果、負の電子親和性を持つ水素修飾された表面からの電界放出特性は正の電子親和性を持つ清浄な表面のそれを上回る結果となり、過去の研究と一致したが、負の電子親和性を持つ水素と水酸基の混合により化学修飾された表面は正の電子親和性を持つ清浄表面よりも電界放出効率が低いことが分かり、電子親和性だけでは電界放出特性を決定していないことが分かった。

各表面において表面から放出される電子の数の時間変化の図
図2 各表面において表面から放出される電子の数の時間変化
グラフの傾きがダイヤモンド基板から陽極へ流れる電流を表す。

 表面における電子のポテンシャルを詳細に調べると、水素と水酸基の混合により化学修飾された表面はダイヤモンド内部から真空に向かうにつれて表面酸素が存在することに起因した電子を束縛しようとする、いわばポテンシャルの井戸のような領域があることが分かった (図3)。

 真空領域におけるポテンシャルの高さは、清浄された表面よりも低いものの、ポテンシャルの井戸が電子の効率の良い放出を妨げていることが、電子のダイナミクスを調べたことから分かった。

各表面において電子が感じるポテンシャルの図価電子帯上端の用語説明へのページ内リンク 伝導帯下端の用語説明へのページ内リンク
図3 各表面において電子が感じるポテンシャル
表面に対し平行方向は平均されている。

 電子の電界放出の効率を考察するのに、電子親和性を考慮して図4のように表面付近のポテンシャルの詳細は考慮しないモデルが考えられ、これによれば、真空位置でのポテンシャルの高さとダイヤモンド内部でのポテンシャルの高さの差で放出効率が決定され、図4の場合は、清浄表面よりも、水素と水酸基で表面修飾された表面からの高効率電子放出が期待される。しかし、このモデルでは電子の感じるポテンシャルはダイヤモンド内部から表面、真空へ向かうにつれて単調に増加するという仮定が用いられており、実際の化学修飾された微細な原子配置の情報が反映されていない。

 今回の研究では、第一原理計算により物質の構造を取り入れた精密なモデルにより電子の感じるポテンシャルの詳細な形状を取り込んだ電子のダイナミクスを数値計算したことによって、水酸基修飾による表面からの電界放出効率が清浄表面のそれよりも低いことを実証した。これは図4のように単純にポテンシャルは変化せず、表面付近にて酸素原子の存在によるポテンシャルの井戸が存在するためである。

図3のポテンシャルの表面付近を考慮せず真空位置でのそれぞれの表面のポテンシャルの比較位置だけを考慮した従来の概念図
図4 図3のポテンシャルの表面付近を考慮せず真空位置でのそれぞれの表面のポテンシャルの比較位置だけを考慮した従来の概念を示した図。

今後の予定

 シミュレーションで表面の凹凸を考慮したり欠陥構造の分布を表現できる大きなモデルを想定することが可能になれば、表面化学修飾の有無の違いだけでなく、表面形状効果を考慮した第一原理計算による電子ダイナミクスの計算で電圧をかけた際におこる電子放出の効率が検証でき、その結果を利用して実験的研究に必要な試行回数を減らすことで研究を加速することが期待される。



用語の説明

◆第一原理計算
計算物理の分野では、経験的パラメータに頼らず基礎方程式から演繹的に数値計算する手法を「第一原理」という。原子番号、原子・電子の質量、プランク定数など、量子力学的な物理定数そのものは決まっているものとして、物質を構成する電子の数値計算を行う。そこから派生するさまざまな物理定数の計算を行うことができる。[参照元へ戻る]
◆電子ダイナミクス
電子の行動が時間に依存される現象。通常の分子動力学では、電子のダイナミクスは原子核のそれに対して無限に速いと近似して、定常的な軌道を原子核配置が変わるごとに計算すればよいが、電子励起後の原子核の高速運動が誘起される場合には電子の時間依存問題を直接解く必要がある。[参照元へ戻る]
◆化学修飾
ある物質に化学反応によって新たな原子団などを結合させること。[参照元へ戻る]
◆電子の電界放出
固体を陰の電極に着け空間的に離した場所に陽の電極を置き電圧を印加すると、固体表面価電子が真空中に放出される現象。この現象を利用したデバイスで、電子ビームを発生させることができ、顕微鏡のような観測手段、電子ビーム露光機のような加工手段に応用が可能である。[参照元へ戻る]
◆負の電子親和性、正の電子親和性
物質から電子を電界や光励起を用いて真空中へ取り出す際に最低必要なエネルギーを仕事関数と呼ぶ。電子親和性は物質のエネルギーギャップと仕事関数の相対的な大小で決まり、負の電子親和性とは仕事関数からエネルギーギャップを引き算すると負の値になってしまう材料のことである。これは物質の伝導帯に電子を励起しようとするとすでに真空中の電子のエネルギーよりも高くなってしまうことを意味しているので、負の電子親和性を持つ物質のバンドギャップに相当する印加電圧で容易に真空中に電子を取り出せると従来は考えられていた。
一方、正の電子親和性とは仕事関数からエネルギーギャップを引き算すると正の値になる材料の性質である。この場合に、物質の伝導帯に電子を励起しても、それだけで真空中に電子を放出することにはならない。[参照元へ戻る]
◆表面化学修飾
固体中ではすべての元素が化学結合を組んでいるが、固体表面上では理想的に考えると化学結合の手が切れた状態が出現することになる。実際には、固体表面上で余った化学結合の手は固体とは別の種類の化学物質と結合を作って安定化できる。このことを表面化学修飾と呼ぶ。[参照元へ戻る]
◆電子のポテンシャル
物質中に存在する電子の位置エネルギー。物質中に配置している原子核や他の電子からの相互作用で決まる。電子が物質から離れるに従い真空中の電子の位置エネルギーに近づく様子を、ここでは表面付近の電子のポテンシャル変調と表現した。[参照元へ戻る]
AIST-Super Cloud -Generation 2(ASC-G2)
産総研で導入したハイエンド計算システム。産総研独自の基礎理論に根差した計算シミュレーション技術を産業分野に普及させるために用いられる。[参照元へ戻る]
◆密度汎関数理論
物質の中を走り回る電子の密度は、物質に加えられた変調(例えば、原子核の位置や外部からの静電場)の空間変調依存性が決定されれば、それに依存して一意に決まるという基礎理論。これを応用して、物質内の電子の基底状態を高精度で近似することが可能になった。[参照元へ戻る]
◆時間依存密度汎関数理論
先の密度汎関数理論を、時間依存して変化する物質とその中を走り回る電子に拡張した理論。電子の密度の時間依存性と空間変調は、物質に加えられた変調(例えば、光照射、イオン照射、あるいは熱的なイオンの内部運動)の時間変調と空間変調が決定されれば、それに依存して一意に決まるという基礎理論。これを応用して、物質内の電子の励起状態を高精度で近似することが可能になった。[参照元へ戻る]
◆伝導帯下端
固体中の電子は、孤立した原子を周回する電子とは異なりエネルギーの値は飛び飛びではなく連続する。しかし、エネルギーギャップと言って電子のエネルギーの値を取ることができないエネルギー領域がある。伝導帯はそのエネルギーギャップよりさらに上のエネルギー領域で電子の軌道はあるものの電子は占有されず空席の軌道となっている。これを伝導帯という。伝導帯下端とは、その空席の軌道のうち最もエネルギーの低いところである。[参照元へ戻る]
◆価電子帯上端
先のエネルギーギャップよりも下のエネルギー領域で、電子が占有された軌道で占められている。これを価電子帯という。価電子帯上端とは、そのうち最もエネルギーの高いところである。[参照元へ戻る]

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