独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)サステナブルマテリアル研究部門【研究部門長 中村 守】高耐久性材料研究グループ 穂積 篤 研究グループ長、浦田 千尋 研究員は、有機フッ素化合物を用いずに、耐熱性(空気中、350 ℃で24時間以上、250 ℃の油浴中で24時間以上性能保持)に優れた透明はつ油性塗膜を開発した。
現在、はつ油処理の多くは、有機フッ素化合物や表面の微細加工に依存している。しかし、有機フッ素化合物は人体や環境に影響を及ぼし、微細加工は特殊な装置や条件を必要とする。このため、有機フッ素化合物や微細加工に依存しない表面処理技術が求められている。
今回、メチルシロキサン骨格の耐熱性に着目し、メチルシランを主原料とすることで、透明で耐熱性とはつ油性に優れた塗膜を開発した。また、この耐熱性透明塗膜の加工を施す際に、特殊な装置なども必要としない。蒸留塔、エンジン、オイルポンプ、オイルダクトなど、使用時に高温となるさまざまな表面のはつ油処理に活用でき、有機フッ素化合物を用いたはつ油処理の代替として、コストの低減や安全・信頼性の向上が期待できる。
なお、この技術の詳細は、平成25年9月24~25日に福岡工業大学(福岡県福岡市)で開催される一般社団法人 表面技術協会 第128回講演大会で発表される。
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今回開発した塗膜の作製方法(i:ガラス板、ii:ステンレス板、iii:ポリイミドフィルム)と耐熱試験後でも油を弾いている様子(着色した馬油を使用) |
有機フッ素化合物は、耐候性、耐薬品性、耐熱性などの多くの優れた特長を持ち、はつ油剤の主原料として、さまざまな産業分野で利用されている。近年では、マイクロメートルからナノメートルのオーダーで凹凸構造を付与した基材表面を、有機フッ素化合物で被覆・湿潤することで、はつ油性の向上が図られている。このようなはつ油処理された表面では、基材をわずかに傾斜させるだけで、油滴はハスの葉表面の水滴のように滑落する。
しかし、有機フッ素化合物の製造に必要な蛍石は地球上に偏在しているため、価格が変動しやすく供給が不安定である。また、有機フッ素化合物の生体および環境に対する高い残留性・生物蓄積性が指摘されているため、規制も年々厳しくなっている。そのうえ、有機フッ素化合物を耐熱温度以上にさらすと、腐食性・有毒性の強いガスが発生するため、高温使用時は安全面に問題がある。さらに、微細加工には特殊な装置や条件が必要であることが多く、適応可能な基材や形状が限定されるため、生産性や加工性において課題がある。その他にも、微細構造により光が散乱しやすくなるため、塗装面の透明性を確保しにくいといった問題もある。
有機フッ素化合物に依存しない材料/プロセス技術は、生体や環境にやさしい技術であり、省エネルギー・省資源・低環境負荷・安全の観点からも、その開発が望まれている。
産総研では、2011年より有機フッ素化合物および微細加工に依存しない、はつ油処理の研究開発に着手し、一般的なはっ水処理剤であるアルキルトリアルコキシシラン(有機シラン)と、ガラスの原料となるテトラアルコキシシラン(スペーサーシラン)を原料として得られた透明な塗膜が、優れたはつ油性を示すことを見いだした(2012年3月13日 産総研プレス発表)。この処理技術は各工程で特殊な装置や条件を必要とせず、また、さまざまな基材(ガラス、金属、プラスチックなど)に適用できることを特長としている。そのうえ、有機フッ素化合物(パーフルオロアルキルトリアルコキシシラン(有機フッ素シラン))で処理された表面やフッ素樹脂表面よりも、はつ油性に優れている。しかし、従来開発した透明はつ油塗膜は耐熱性に劣っており、大気中150 ℃以上で長時間加熱すると、膜が崩壊するとともにはつ油性が著しく低下するため、高温に長時間さらされる表面への適用は困難であった。これは、高温環境下で有機シラン中のC-C結合が徐々に変質・分解するためである。
このような問題の解決に向け、有機フッ素化合物を用いることなく、高温環境条件でも、長時間はつ油性を維持することが可能な表面処理技術を模索してきた。
今回、メチルシロキサン骨格の耐熱性に注目し、メチルシランが、耐熱性はつ油塗膜の原料として有効であることを見いだした。耐熱性はつ油塗膜は、前回(2012年3月13日 産総研プレス発表)と同様のプロセスで作製される。最初に、メチルシリル基を含む有機シランを原料として塗液を調製する。次に、この塗液をガラスやステンレス板、ポリイミドフィルムなどの基材に塗装した後、加熱乾燥すると、膜厚1 µm程度の透明な塗膜が得られる。走査型電子顕微鏡や原子間力顕微鏡を用いた観察により、得られた塗膜の表面は非常に平滑(二乗平均粗さ< 1 nm)であることを確認した。この塗膜表面において、油滴の代表物質であるn-ヘキサデカンに対する動的接触角を測定すると、前回開発したはつ油塗膜と同様に、接触角ヒステリシス(Δθ)は6 °と極めて小さく、基板をわずかに傾斜させるだけで、油滴は表面にとどまることなくスムーズに滑落した。次に、前回開発した塗膜と今回開発した塗膜の大気中における耐熱性を調査すると、前回開発した塗膜は150 ℃以上の加熱ではつ油性を消失した。一方、今回開発した塗膜は350 ℃で24時間以上加熱しても、塗膜のはつ油性は変化せず、耐熱性が格段に優れていることが分かった(図1)。これは、今回開発した塗膜中にC-C結合が含まれていないため、高温下でもはつ油成分のメチルシロキサン骨格が変化せず、加熱後も優れたはつ油性を維持しているためと考えられる。
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図1 前回開発したはつ油塗膜と今回開発したはつ油塗膜に対するn-ヘキサデカンの(A)動的接触角変化 (B)350 ℃で加熱後のはつ油性の様子(試験片は5 °傾斜)。 |
次に、今回開発した塗膜の油浴中における耐熱性を調査した。大気中で250 ℃(大気中で加熱できる液体の最大級の温度)に加熱した油中(耐熱性油を使用)に、今回開発した塗膜、前回開発した塗膜、未被覆のステンレス板やポリイミドフィルムを5分間浸漬すると、今回開発した塗膜のみ油滴の付着が観察されなかった (図2A)。この塗膜の耐久性を調査するため、今回の塗膜で表面処理されたステンレス製円板を、250 ℃に加熱した耐熱性油中に半分ほど浸し回転させると、30時間後(油滴が変色したため実験を中止)も耐熱油の付着は観察されなかった(図2B)。
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図2 (A)左:耐熱試験方法。中:ステンレス板上に被覆した従来開発したはつ油膜、今回開発したはつ油膜。右:未被覆のポリイミドフィルムと今回開発したはつ油塗膜を被覆されたポリイミドフィルム。(B)左:今回開発したはつ油塗膜の耐熱耐久試験方法。中:開始直後の様子。右:30時間後の様子。 |
この塗膜を被覆したステンレス板表面上でヤニ入りハンダを加熱(220 ℃)すると、ヤニ入りハンダの融解とともに、ヤニおよびハンダが、表面を汚すことなく滑り落ちていった(図3B)。一方で、未被覆のステンレス板では、ヤニが明瞭に残った(図3A)。このように、今回開発した手法を用いることで、基材に依存せず耐熱性とはつ油性を付与できることを実証した。このような耐熱性の飛躍的な改善により、より安全・安心、かつ環境にやさしい耐熱はつ油処理の、幅広い分野・用途における利用が期待できる。
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図3 加熱したヤニ入りハンダの様子((A)未被覆ステンレス板、(B)今回開発した表面処理後のステンレス板 (試験片は5 °傾斜))。 |
さらに、今回開発したはつ油膜表面上において、塗膜表面の温度上昇とともに、液滴の静的接触角が増加するという現象を見いだした(図4A)。この現象は10サイクル以上の加熱-冷却操作後も特性が維持される。すなわち、この応答性が一過性の反応ではなく、可逆的な温度応答性であることを明らかにした(図4B、C)。この性質を利用すると、水平に静置した塗膜面上での温度勾配により(片方のみ加熱)、液滴が自発的に動くことが分かった(図4D)。また、この性質は液滴の種類に大きく依存することが明らかとなった。これらの性質を詳細に理解することで、高温環境条件における油滴の挙動予測や温度勾配を利用した油輸送システムの開発などが期待できる。
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図4 今回開発した塗膜を被覆したステンレス基板上の(A)静的接触角の熱依存性、(B)シリコーンオイルの静的接触角変化のサイクル特性、(C)シリコーンオイルの外観の変化、(D)温度勾配を利用した液滴の自発的移動現象。 |
今回開発した塗膜は、あらゆる固体表面に処理することが可能である。今後は、ニーズに合わせたコーティング方法のカスタマイズを予定している。さらに、蒸留塔、エンジン、オイルポンプ、オイルダクトなど、使用時に高温となるさまざまな表面への適用を目指し、より長期間、高温環境条件にさらされても、はつ油性が維持できるよう、耐熱性のさらなる向上を目指して研究開発を進めていく。