独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)ナノシステム研究部門【研究部門長 山口 智彦】ダイナミックプロセスシミュレーション研究グループ 宮本 良之 研究グループ長は、中華人民共和国 四川大学Hong Zhang教授、スペイン バスク大学Angel Rubio教授と共同で、ヘリウムイオン顕微鏡(HIM)像を予測する計算技術を開発し、ナノデバイス開発に重要な役割を果たすグラフェンの観察に応用した。この計算技術によりグラフェンのHIM像をシミュレーションし、グラフェンの格子像を観測するために必要なHIMの解像度を求めた。
HIMは、照射するイオンビーム強度を弱くすることで試料を破壊せずに撮像でき、イオンビーム強度を強くすることで試料の加工を行うことができる。今回の研究では、これにシミュレーションを応用した結果、近い将来に高解像度画像も撮像できることの可能性を示した。この結果は、ナノデバイスを構成する材料開発に貢献すると思われる。
この技術の詳細は、米国物理学会誌Physical Review Letters誌に2013年1月4日付で掲載される。
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(左)ヘリウムイオン顕微鏡の概念図、(右)シミュレーションで予測されたグラフェン格子像 |
HIMは試料がヘリウムイオンと衝突した後に放出する電子の強弱によって撮像を行うものである。走査型電子顕微鏡(SEM)と同様に、デバイス構造の内部に作りこんだ試料をそのまま破壊せずに観察でき、SEMよりも鮮明な像を得ることができる。しかし、HIMによる撮像原理の機構は解明されておらず、解像度をどこまで上げられるのかも十分にわかっていないため、理論的な研究が待ち望まれていた。
産総研では、HIMをいち早く導入し、グラフェンデバイスの観測・加工に応用している(2012年9月25日、2012年12月11日 産総研プレス発表)。その一方で、第一原理に立脚した量子力学的な理論研究を礎に、材料の構造や製造、計測方法を設計できるシミュレーション技術の確立を目指しており、電子の動きを伴う現象のシミュレーションを行う計算技術の開発に取り組んできた。今回、その計算技術を、材料・デバイス評価技術として注目されているHIMに応用した。数値計算を産総研が担当し、計算には地球シミュレータを用いた。
なお、今回の研究開発は、独立行政法人 海洋研究開発機構 地球シミュレータセンターの一般公募プロジェクト「カーボンナノチューブの特性に関する大規模シミュレーション(代表者 一般財団法人 高度情報科学技術研究機構 中村 賢)」の一環として行った。
今回の研究は、時間依存密度汎関数理論を用いたシミュレーションで電子の動きを直接数値計算する技術を用いて、グラフェン一層に運動エネルギー30 keVのヘリウムイオンを照射した場合の、放出される電子の量を数値計算した。計算は、図1に示すイオン照射位置(AからFの6ヶ所)ごとに行なった。
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図1 シミュレーションで想定したヘリウムイオン照射位置(A-F)
白抜きの丸がグラフェンの炭素原子の位置を示す。 |
第一原理計算では、図1 のAからFの順に、グラフェンとヘリウムイオンが衝突した後に真空中へ放出される電子の量は増えていた。図2(a)は、計算された電子放出量を補間して得られたグラフェンのHIM像のシミュレーション結果である。図2(b)は、グラフェンの電子密度分布であり、シミュレーションによるHIM像と強い相関がみられる。
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図2 (a)シミュレーションによるHIM像 (b)グラフェンの電子密度分布 |
HIM像が電子密度分布とほぼ同様であると仮定すれば、これまでの実験で得られているHIM像から材料の構造を解析できる。図2は、ヘリウムイオンのビーム径をヘリウム原子核のサイズと同等(すなわち点)としてシミュレーションを行なった結果である。現状のHIMのビーム径は原子3個分の有効半径と同程度の幅があるが、図2(b)の電子密度分布に「ぼかし」を入れることにより、現実の実験の条件(すなわちヘリウムイオンビーム径)に即したHIM像を近似する計算が可能である。
図3は、照射するヘリウムイオンビームの径に応じたガウス型関数により電子密度分布にぼかしΔ(デルタ)rを入れて近似したグラフェンリボンの端のHIM像である。左端の像は、ヘリウム原子核を点としてビーム径を考慮した場合の理想的な近似と差はなく、グラフェンリボンの端付近の炭素原子配列の様子が観測される。右端は、現在のHIMのイオンビーム径に対応するHIM像の近似で、グラフェンリボンの中からは一様の強度で電子が放出されるが、端にいくにつれて電子放出量が下がっていき、リボンの端はほぼフラットに見えると予測される。中央の像は、現状よりも少し小さいイオンビーム径を仮定して近似した場合で、炭素原子像は観測できないものの、グラフェンの蜂の巣パターン (格子像) は観測できると予測される。すなわち、現状よりビーム径を小さくすればグラフェンの格子像を撮影できる可能性を示唆している。
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図3 イオンビームの径(Δrのおよそ4倍)を変えて予測したHIM像
青い矢印は、電子放出量の最も多い等高線を示す。 |
ヘリウムイオンの衝突後に電子が飛び出す機構として、ヘリウムイオンが中性化することに伴うプロセスや、炭素原子の内殻電子が励起されることに伴うプロセスなどが考えられる。しかし、シミュレーションの結果、グラフェンを透過するヘリウムイオンは、その速度が速すぎるために中性化する確率は低いことが判明した。また、実験的に報告されている放出電子の運動エネルギーが数eVの程度であり、内殻電子の励起には不十分である。したがって、上記のようなプロセスは考えにくい。今回の数値計算結果は、ヘリウムイオンの衝突によるインパクトイオン化が2次電子の放出の機構である可能性を示している。
今後はこのシミュレーション技術により、ヘリウムイオン顕微鏡を活用したナノデバイス材料の品質に関わる評価技術や、それを活かしたデバイス技術の開発への貢献を目指す。