発表・掲載日:2012/09/03

高線量放射線被ばくによる障害の予防・治療に向けた新規細胞増殖因子

-この因子を投与したマウスの生存日数が増加-

ポイント

  • 安定性の高い新たな細胞増殖因子FGFCを創製
  • FGFCはさまざまな標的細胞に作用し、重篤な放射線障害の生体影響を緩和
  • FGFCを投与したマウスは、高線量放射線被ばくの前・後どちらの投与でも、生存日数が増加

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)バイオメディカル研究部門【研究部門長 近江谷 克裕】 シグナル分子研究グループ 浅田 眞弘 主任研究員、今村 亨 研究グループ長らは、独立行政法人 放射線医学総合研究所【理事長 米倉 義晴】明石 真言 理事、重粒子医科学センター・先端粒子線生物研究プログラム【プログラムリーダー 今井 高志】中山 文明 主任研究員らと共に、高線量の放射線被ばくによる障害の予防・治療に効果があるとみられる新たな細胞増殖因子FGFCを創製した。

 これまで放射線被ばくによる個体死の抑制に有効な薬剤はあまりなかった。産総研では安定性の高い新たな細胞増殖因子FGFCを創製し、今回、マウスによる実験で高線量の放射線被ばくによる生命への重篤な影響に対するFGFCの効果を調べた。その結果、FGFCを投与したマウスは、事前投与だけでなく事後投与でも、生存日数が延長し、FGFCが致命的な放射線障害に対する予防・治療に有効である可能性が示された。今後は安全性など詳細な評価を行いたいと考えている。

 この成果の詳細は、平成24年9月6~8日に、国立大学法人 東北大学(宮城県仙台市)で開催される日本放射線影響学会第55回大会にて発表される。

FGFCを腹腔内投与し、その24時間後に 8 グレイ(Gy)のX線を全身照射したマウスの生存曲線図
FGFCを腹腔内投与し、その24時間後に 8 グレイ(Gy)のX線を全身照射したマウスの生存曲線
赤線は生理食塩水だけを投与した場合。青線はFGFCを3 μg、緑線はFGFCを10 μg、黒線はFGFCを30 μgそれぞれ投与した場合。


開発の社会的背景

 2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、放射線障害を予防・治療する方策の必要性が広く社会に認識されている。しかし、これまで、治療薬としては甲状腺への放射性ヨウ素の蓄積を阻害するヨウ化カリウムや、白血球数の低下を防止し合併症を防ぐ目的のG-CSFなどしか知られていなかった。

 米国で放射線療法に伴う口腔粘膜炎の治療薬として承認されているパリフェルミン(組み換えヒト角化細胞増殖因子FGF7。日本では未承認。)は、繊維芽細胞増殖因子(FGF)ファミリーの一員である。しかし、上皮細胞にだけ作用を示すなど作用範囲(標的細胞特異性)は限定的で、またこの因子そのものが不安定であるため煩雑な反復投与が求められている。

 このような状況から、より安定で適用範囲の広い放射線障害の予防・治療薬の開発が待ち望まれている。

研究の経緯

 産総研では細胞や個体の働きを制御するシグナル分子の機能を明らかにし、新たな診断・治療・創薬のターゲット分子の同定や治療法への応用を目指している。近年、放射線障害の予防・治療薬の必要性が広く認識されていることから、高線量放射線被ばくによる障害の予防・治療に向けた細胞増殖因子の研究を推進してきた。これまでに、FGF1、FGF7、FGF10が、X線照射後のマウス空腸の生存クリプト数が減少するのを抑え、骨髄におけるアポトーシスマーカー出現を抑える効果をもつことを確認した。また、FGF1と類似の生物特性をもつが、構造的にFGF1よりも安定したFGFC(FGF1とFGF2の最適化キメラ分子)を創製した。

 今回、FGFCの放射線障害の防護剤としての有効性を検証する一環として、高線量の放射線被ばくによるマウス個体の生存率に対する効果を検討した。

 また、今回の実験は、産総研 動物実験委員会の審査・承認を経て行われ、動物実験・実験動物取扱ガイドラインに準拠している。

研究の内容

 FGFの活性は主に、標的となる細胞表面のFGF受容体を介して細胞内に伝達されるため、生理的な活性は、FGF自身の発現制御と、対応する複数種のFGF受容体や補助受容体の発現制御によって決まる。パリフェルミン(角化細胞増殖因子;FGF7)は上皮細胞に特異的であり、褥瘡(じょくそう)治療薬として認可されているトラフェルミン(塩基性繊維芽細胞増殖因子;FGF2)は真皮細胞に特異的に作用する。一方、酸性繊維芽細胞増殖因子;FGF1は広範な細胞に作用するが、活性を示すためにはヘパリンなどの糖鎖が必須である。そこで、産総研では、FGF1とFGF2の一部を入れ替えたキメラ分子を数種類作成した。それらのうち、広範な細胞に作用し、増殖にヘパリンを必要としない細胞増殖因子FGFC(図1)は、耐酸性やタンパク質分解酵素に対する抵抗性、吸着性といった点でも、これまでのFGFにはない特性をもっていた(表1)。

FGF1およびFGF2、FGFキメラタンパク質(FGFC)の模式図
図1 FGF1およびFGF2、FGFキメラタンパク質(FGFC)の模式図

表1 FGFキメラタンパク質FGFCの優位性
 
FGFC
FGF1 (aFGF)
FGF2 (bFGF)
活性対象
表皮
+ + -
真皮
+ + +
安定性
溶液保管中の活性低下
容器吸着によるロス
組換タンパク生産コスト
総コスト

 今回、このような優位性をもつFGFCについて、放射線障害の防護剤としての有効性を検証する一環として、高線量の放射線被ばくによる個体の生存率に対する効果を調べた。BALB/c マウス(約8週齢、オス、一群8匹)の腹腔内にFGFCを投与し、その24時間後にX線を全身照射した。そして、個体の生存率の時間変化を測定した(図2)。

実験方法の模式図
図2 実験方法の模式図

 X線の照射線量とFGFCの投与量の、生存率への影響を調べた結果、X線照射の24時間前にFGFCを投与すると、8 GyのX線照射の場合、3 µg~30 µgの範囲で、投与したFGFCの量が多いほどX線照射後の生存日数が延びた(図3)。また、6 GyのX線照射の場合には、生理食塩水だけを投与したマウス群は照射後30日までに38% が死亡するのに対し、30 µgのFGFCを投与したマウス群では全ての個体が生存した。一方、10 Gyの照射では、有意な効果は認められなかった。

FGFCを腹腔内投与し、その24時間後に 8 GyのX線を全身照射したマウスの生存曲線図
図3 FGFCを腹腔内投与し、その24時間後に 8 GyのX線を全身照射したマウスの生存曲線
赤線は生理食塩水だけを投与した場合。青線はFGFCを3 μg、緑線はFGFCを10 μg、黒線はFGFCを30 μgそれぞれ投与した場合。

 次に、放射線被ばく後の投与、すなわち、被ばく後の治療薬としての効果を検討した。X線照射の2時間後、24時間後にFGFCを投与し、生存率への影響を調べた。6 Gy照射したマウス群では、照射2時間後、24時間後のいずれの投与によっても、生存率の向上が認められた(図4)。しかし、8 Gy、10 Gy照射群では、有意な効果は認められなかった。

6 GyのX線を全身照射し、その2時間後にFGFCを腹腔内投与したマウスの生存曲線図
図4 6 GyのX線を全身照射し、その2時間後にFGFCを腹腔内投与したマウスの生存曲線
赤線は生理食塩水だけを投与した場合。青線はFGFCを3 μg、緑線はFGFCを10 μg、黒線はFGFCを30 μgそれぞれ投与した場合。

 以上のように、放射線被ばくの線量、FGFCの投与量および投与時期がある範囲内にあれば、FGFCの投与による予防・治療が有効である可能性が示された。

今後の予定

 今後は、FGFCの作用メカニズムをより詳細に解析すると共に、投与回数や他の処置との併用などを検討し、その効果を最大限利用できる方法を確立したいと考えている。また、安全性などの評価も行っていく予定である。



用語の説明

◆FGFC

FGFファミリーの中で、活性が強く体内に豊富に存在するため研究の初期に発見されたものがFGF1とFGF2である。これらは分子の立体構造も大変似ているが、活性は異なる。これら分子のキメラとして多数の分子が作成された中から、利用に最適なものとして選択されたものがFGFCである。FGFCは高い安定性、活性のヘパリン非依存性、幅広い受容体に対する刺激活性などをもつ。[参照元へ戻る]

◆グレイ(Gy)
グレイ(gray)は、吸収線量の単位である。放射線によって1キログラムの物質に1ジュールの放射エネルギーが吸収されたときの吸収線量が1グレイと定義される。一方、シーベルト(Sv)は、生体(人体)が受けた放射線の影響を表す値であり、吸収線量に、放射線の種類ないし対象組織ごとに定められた修正係数を乗じて算出される。X線、ガンマ線の係数は1である。[参照元へ戻る]
◆繊維芽細胞増殖因子(FGF)ファミリー
1970年代に細胞培養系で細胞の増殖を促進する因子として発見された分子と、それに類似する構造をもつ分子が構成する分子群(ファミリー)。ヒトやマウスでは22種類の遺伝子から転写・翻訳されてタンパク質となり、細胞の増殖分化の調節、個体発生の調節、生体の高次神経機能調節、代謝調節など、多岐にわたる生理機能を担っている。 [参照元へ戻る]
◆シグナル分子
多細胞生物において、ある細胞(シグナル産生細胞)が作り出して別の細胞(標的細胞)に特異的に働きかけ、その細胞の機能や運命を制御する働きをもつ分子群の総称。産生細胞と標的細胞は、別種類の場合も同一種類の場合もある。また、隣り合った細胞に作用する場合もある一方、遠く離れた組織の細胞に作用することもある。[参照元へ戻る]
◆FGF1
繊維芽細胞増殖因子ファミリータンパク質の一つ。別名aFGF 。FGF受容体全てに対して反応性をもつが、単体では非常に不安定な因子である。その作用を安定的に発揮するためにはヘパリンなどが必要となる。[参照元へ戻る]
◆クリプト
腸陰窩(ちょういんか)。腸の表面の窪んだ部分のこと。この部分には組織幹細胞が含まれ、粘膜上皮細胞が作られる場所である。放射線被ばくにより幹細胞が障害を受けると、腸管粘膜上皮細胞の再生が行われず、腸管死に至ると考えられている。[参照元へ戻る]
◆アポトーシス
細胞が死ぬ過程で、管理・調節された細胞死のこと。細胞死にはネクローシス(細胞壊死)とアポトーシス(積極的細胞死または機能的細胞死)の2種類がある。[参照元へ戻る]
◆FGF2
繊維芽細胞増殖因子ファミリータンパク質の一つ。別名bFGF。一部のFGF受容体にだけ反応を示すが、不安定な因子である。現在ES/iPS細胞の増殖および未分化の状態の維持に必須な因子として使用されているとともに、組織幹細胞、繊維芽細胞、皮膚細胞、上皮系細胞などさまざまな細胞に対する増殖や分化促進因子として用いられる。[参照元へ戻る]
◆キメラ分子
キメラ分子は、もともと別々のタンパク質を融合させたタンパク質。キメラ(キマイラ)とはギリシャ神話に登場する怪物で、ライオンの頭、山羊の身体、蛇の尻尾を持つことから、複合怪物とも称される。生物学では、「異なる由来の複数の部分から構成されている」との意味で用いられる。[参照元へ戻る]
◆ヘパリン
ヘパリンはグリコサミノグリカンと称される多糖類の一種で血液凝固を阻害する活性を持つ。生体内では細胞表面などに存在し、種々の細胞外マトリックスタンパク質や生理活性物質と相互作用しており、それらの活性を制御する上で重要な役割を果たしている。[参照元へ戻る]
◆糖鎖
糖鎖とは、約10種類の単糖(ブドウ糖など)が鎖状につながった物質で、生体の細胞内外のタンパク質や脂質に結合している。通常は複雑に枝分かれしていて、人体には数百種類以上の多様な構造の糖鎖があると予想されている。単糖の配列によって機能が異なり、細胞間での分子・細胞認識機能などタンパク質や脂質が生体内で果たす高次機能に関係している。[参照元へ戻る]



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