独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)計測フロンティア研究部門【研究部門長 大久保 雅隆】超分光システム開発研究グループ 小池 正記 研究グループ長は、イタリア学術会議サイバネティクス研究所【所長 ルソ マリジオ】(以下「CNR」という)ロベルト クリスチャーノ 博士、国立大学法人 横浜国立大学【学長 鈴木 邦雄】(以下「横浜国大」という)吉川 信行 教授と共同で、超伝導ナノストリップイオン検出器を開発した。
この検出器は超伝導体に電流バイアスをかけておき、イオンが衝突したときに生じる音であるフォノンにより超伝導状態が壊れることを利用してイオンを検出する。厚みが数10ナノメートル、線幅が数100ナノメートルの超伝導体(ニオブあるいは窒化ニオブ)のストリップ線を、数ミリメートルの領域に直並列に配置することにより、従来型のイオン検出器と同等のナノ秒の高速応答と、質量が大きいイオンでも低下しない検出特性が得られた。また、高速の超伝導デジタル回路を用いてナノ秒の信号を読み出すことに成功した。さらに、この検出器は動作条件を変えることによってイオンの電荷数を識別できる。飛行時間型質量分析装置の性能向上が期待される。
なお、この技術の詳細は、2012年5月20~24日にカナダ、バンクーバーで開催される第60回アメリカ質量分析学会にて発表される。
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超伝導ナノストリップイオン検出器の外観 (a)と構造の模式図 (b)
ナノストリップよる回折のため、虹色が見える。スケールの目盛は1 mm (a)。ニオブあるいは窒化ニオブのストリップ線は、厚み数10ナノメートル、線幅数100ナノメートル (b)。 |
飛行時間型質量分析装置は、ライフサイエンス分野などで使われる重要な分析装置の1つである。原子や分子をイオン化した後に数キロボルトの電圧で加速して、一定距離を飛行させ、イオン検出器で検出し、飛行時間から原子や分子の同定、構造解析などを行う。十分な質量分解能を得るため、イオン検出器にはナノ秒の高速応答が必要である。しかし、質量が4,000程度を超えると検出感度が低下するため、分析可能な質量範囲が限られていた。また、イオンの電荷数を識別できないため、イオンの質量を直接決定できないといった限界があった。
産総研は、科学技術や産業分野の研究開発において使われる先端計測分析機器の研究開発を行ってきている。その一環として、超伝導技術を活用して質量分析装置の検出器の技術的あるいは原理的な限界を突破することに取り組んできた(産総研Today Vol.9 No.8 [ PDF:1.1MB ])。
なお、本研究開発は、科学研究費補助金 基盤研究(A)「超伝導ナノストリップライン分子検出器による巨大分子質量分析(平成22~25年度)」による支援を受けて行った。検出器の作製は、産総研先端機器共用イノベーションプラットフォームを利用し、ナノプロセッシング施設において実施した。また、CNRとの国際共同研究は日本学術振興会外国人特別研究員事業などによって実施した。イオン以外にも、赤外光子、X線、テラヘルツ波などの各種センサーがあり、国際電気標準会議テクニカル委員会90(IEC TC90)にて、超伝導センサーの標準化を進めている。
図1は、従来のイオン検出器と今回開発した超伝導検出器の検出原理を比較したものである。質量分析装置では、イオンのエネルギーは、数キロ電子ボルトと低いため、タンパク質などの質量の大きなイオンは検出器表面に付着する程度の弱い衝突しか起こさない。これを検出するために、従来は衝突によって、時折、表面から放出される二次電子を電子増倍管で増幅していた。二次電子は、質量が増すとともに放出されにくくなるため検出感度が低下していた。一方、超伝導検出器は、イオンが衝突したときに生じる音(フォノン)によって超伝導状態が壊れることを利用している。
今回、超伝導体(ニオブあるいは窒化ニオブ)のストリップ線を厚みが数10ナノメートル、線幅が数100ナノメートルと小さくし、これらを数ミリメートルの領域に直並列に配置したナノ構造をもつ超伝導検出器を開発した。ナノ構造の超伝導体の優れた特性と、検出器として重要な十分な有感面積を両立させた。この検出器は約-270 ℃に冷却することで超伝導状態となる。ストリップ線がナノサイズの線幅にまで細くしてあるので、イオンの衝突によってフォノンが生じるとストリップ線の幅全体で超伝導状態から常伝導状態へと変わり抵抗が生じる。この抵抗によりナノ秒程度の電圧パルスが生成されるのでイオンを高速で検出できる。また、フォノンは、どのような質量のイオンの衝突に対してもほぼ同様に発生するため、質量の大きな分子でも高感度で高速検出できる。
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図1 従来のイオン検出と超伝導によるイオン検出の相違
質量分析では質量の大きいイオンは検出器表面に付着する程度の弱い衝突しか起こさない。この場合でも音(フォノン)が発生するため、超伝導が壊れる。 |
図2は、ホルモンであるアンギオテンシンIという生体分子のイオンが、今回開発した超伝導検出器に衝突したときに観測された電圧パルス波形である。パルス幅は1ナノ秒以下と高速である。さらに分子量が大きい免疫グロブリンの多量体でも同様にナノ秒パルスが観測された。このように分子量が600,000の質量の大きいイオンでも高速検出が可能であった。
この高速パルスを処理するために、単一磁束量子(SFQ)を情報の媒体とした超高速の超伝導デジタル回路であるSFQ集積回路を開発した。この回路により、イオンが検出器に衝突して発生する高速の電圧パルスをSFQに変換して、質量スペクトルを測定することに成功した。
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図2 生体分子アンギオテンシンIのイオン1個の衝突に対応するナノ秒出力パルス波形(a)と、その出力パルスをデジタル信号に変換する超伝導デジタル回路(SFQ)(b)
SFQ回路は国際超電導産業技術研究センターの微細加工プロセスを用いて作製した。 |
イオンの電荷数識別は、検出器に加える電流バイアス値を変えることにより可能であることを見出した。図3は、酵素であるリゾチームの多量体イオンを測定した例である。電流バイアスが低い場合には、(a)のように単量体から6量体の2価イオンのみが観測される。電流バイアスを高くすると、(b)のように単量体から6量体の1価イオンが主に観測される。通常の質量分析では、例えば、m/zが同じになる単量体の1価イオンと2量体の2価イオンを区別できないが、超伝導を使うと可能になる。同様のオーバーラップは、2量体の1価イオンと4量体の2価イオン等でも生じる。
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図3 酵素であるリゾチームの多量体の分析例。
例えば、わずかに生じる2量体の2価イオン(2+2と表記)は、単量体の1価イオン(1+1と表記)とm/zが同じであるため、通常の質量分析では区別できない。今回開発した超伝導検出器を使用すると、強度が弱い2量体の2価イオンのピークを抽出することができる。 |
今後、多様なハイスループット分析を実現するために、検出器の有感面積を拡大、超伝導デジタル回路のデータ処理能力向上を予定している。今回開発した超伝導検出器の動作には-270℃といった極低温環境が必要であるが、液体ヘリウムの供給を必要としない自動冷却システムを構築しており、2年後を目処に超伝導検出器を搭載した飛行時間型質量分析装置を整備し、先端機器共用イノベーションプラットフォームにて分析依頼を受け付ける予定である。