独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)ナノシステム研究部門【研究部門長 八瀬 清志】ダイナミックプロセスシミュレーショングループ 宮本 良之 研究グループ長は、米国のオークリッジ国立研究所 Mina Yoon博士とドイツのフリッツハーバー国立研究所 Matthias Scheffler教授の協力を得て、電子親和力の異なる分子から構成される太陽電池材料が光によって励起され、さらに電子と正孔が分離するまでの一貫した過程を第一原理計算に基づいてシミュレーションした。
この技術は、光を当てながら同時に分子内部の電子軌道が時間の経過とともに徐々に変化する過程を時間依存シュレディンガー方程式の数値計算を実行する技術で、光励起から電荷分離に至るまでの微視的な太陽光発電プロセス全体を一括して計算できる。今回のシミュレーション手法を、太陽電池に用いる有機電荷移動錯体の分子設計に活用することで、有機太陽電池の効率向上への貢献が期待される。
なお、この研究の詳細は、平成23年7月6日(現地時間)にイギリスの科学雑誌New Journal of Physicsに掲載される。
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光を浴びた分子の内部で電子(e-)と正孔(h+)がそれぞれ図の上と下の逆方向に移動する様子を示した概念図
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昨今のエネルギー供給事情は厳しさを増し、エネルギー供給技術への要求も低価格・高効率だけでなく、高信頼性・高安全性にまでわたっている。太陽電池技術は、クリーンで安全、再生可能なエネルギー技術として長い歴史をもっているが、ここ10年、軽量、折り曲げ可能、低製造コストといった特徴をもつ有機系材料による太陽電池が脚光を浴びてきた。しかし、実用化には光・電気エネルギー変換の一層の高効率化が必要と考えられている。また、有機系材料はシリコン系とは比べ物にならないほど多種多様であり、光発電のメカニズムを正しく理解し、それに基づいて有機材料の分子設計を行うことによって有機太陽電池の高効率化が効果的に進むと考えられる。シミュレーションは分子設計のために大変重要な技術であるが、太陽電池の変換効率には、利用できる光の波長範囲、光励起の効率、電子と正孔への分離効率などが関係し、しかもこれらは相互に関連しているため、個々の性能についてのシミュレーションだけでは不十分で、これらを同時にシミュレーションする技術が、早期に有機系太陽電池の高効率化を達成するために求められている。
産総研では、これまでに材料設計(分子設計)技術の要素技術である第一原理計算技術を発展させてきた。近年では電子の励起状態で材料内に生じるさまざまな現象をモニターするために時間発展第一原理計算プログラムを利用しており、この計算プログラムが原理的には光起電力効果にも適用できるとわかっていた。そこで、この時間発展第一原理計算プログラムを用い、電子を放出しやすいドナー分子、電子を受け取りやすいアクセプター分子としてそれぞれ有名なTTF分子とTCNQ分子からなる太陽電池セルの光起電力効果の可能性をシミュレーションで検証することとした。
なお、今回の研究は、文部科学省 「HPCI戦略プログラム 分野2 新物質・エネルギー創成」(平成23年~27年)の支援を受け、また国立大学法人 筑波大学のスーパーコンピューターT2Kを利用することで行ったものである。
TTF分子とTCNQ分子は、それぞれ電子供与(ドナー)、電子受容(アクセプター)の性質をもつ。これら分子1個ずつからなる分子会合体はpn接合の最小ユニットを構成し、光起電力効果を示すと期待される。もし、この分子会合体で光起電力が生じるのであれば、この分子会合体を材料に組みあげたマクロなシステムは太陽電池として機能するはずである。しかし、最小ユニットである分子会合体の光起電力効果を実験的に確認するのは困難であるため、光起電力が生じるかどうかを、時間発展第一原理計算技術によるシミュレーションによって検証した。TTF分子とTCNQ分子の会合体はお互いの分子軸方向を平行に、かつ分子面を平行にした配置が最も自然で安定な配置と考えられる。この際の分子間距離はおよそ0.3ナノメートルである。(図1)
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図1 電子を受けやすいTCNQ分子と電子を与えやすいTTF分子による分子会合体
水色の丸は窒素、黄色の丸は硫黄、白抜きの丸は炭素、白抜きの小さい丸は水素を示す。
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このような配置の分子会合体について第一原理時間発展計算プログラムを適用した。図2に光吸収スペクトルの計算結果を示す。光吸収が最も大きくなるのは、光子のエネルギーにして2 eV(赤橙色光 波長620ナノメートル)と3.5 eV(紫外光 波長354ナノメートル)の光である。また、分子軸に平行な偏光方向をもつ光に対して強い吸収を示すことも、シミュレーションからわかった。
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図2 光吸収スペクトルシミュレーション結果
赤橙色光と紫外光をよく吸収する。
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この分子会合体(電荷移動錯体)では、TTF分子からTCNQ分子への電子供与が起き分極が発生している。光照射によってこの分極がどのように変化するかをシミュレーションするために、照射光として想定した波長(振動数)それぞれに対応する振動数の電界を与えることで光照射の影響をシミュレーションに取り入れ、分極(電荷分布)の時間変化を計算した。その結果、エネルギーが2 eV(赤橙色)の光を照射すると、分極は光照射によって増大していくことがわかった。図3はその概念図である。この分子会合体を電気回路に接続すれば、増大した分極が光起電力発生に寄与する。
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図3 光を吸収して、電子と正孔の移動が光のないときより大きくなる様子の概念図
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図4に振動電場(光照射)によって生じた分極の時間変化を赤橙色光照射の場合と紫外光照射の場合をそれぞれ示す。3.5 eV(紫外)の光を照射しても、赤橙色光照射と同様に分極が増大しているが、紫外光による分極増大は長時間持続しなかった。すなわち、この分子会合体による光起電力発生は可視光である赤橙色の光の方が高効率で、紫外光による励起では光起電の効率は高くないことがわかる。太陽光に含まれる紫外光のエネルギーは少なく、太陽光のエネルギーはほとんどが可視光、近赤外光によるものである。そのため、紫外光ではなく可視光に対する効率の方が高いことはこの分子会合体が太陽電池としての応用可能性があることを示している。
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図4 分子の中で電子と正孔の分離が光の照射時間とともに大きくなる概念図とその数値計算結果によるグラフ
赤橙色の方が分離が大きいので発電効率が高いと期待される。
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電荷移動錯体を用いた太陽電池は電解質を必要としないので、色素増感型太陽電池に比べ、より長寿であることが期待されるが、発電効率は高くない。しかし、今回発表したシミュレーション手法を用いることで、今後、有機太陽電池の材料設計において、より高効率化が可能になると期待される。
また、さらなる高効率化を目指すためには、有機系太陽電池の寿命に関する情報を計算するシミュレーションも重要になると考えられるため、光起電力発生の際に生じる分子構造の変化や、その変化が分子の破壊にまで至るかどうかの検証や、有機分子に劣化を引き起こしやすい紫外線に対する分子の耐性検証などのシミュレーション技術の開発を目指す。あわせて、ドナー分子とアクセプター分子の相対位置の影響や、また光照射によって発生したキャリアー(電子と正孔)が分子間を輸送される際の効率、再結合損失なども計算で検証していく。