独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)ネットワークフォトニクス研究センター【研究センター長 石川 浩】超高速光デバイス研究チーム 秋本 良一 主任研究員らは、新原理による光を使って光の位相を制御する超高速半導体全光位相変調素子をリン化インジウム(InP)基板上にモノリシック集積した超小型の半導体光ゲートスイッチ素子を開発した。この光ゲートスイッチ素子を用いて160 Gbit/sの超高速光信号を40 Gbit/sの光信号に多重分離 (DEMUX)できた。高精細動画像の同時送受信などができる超高速光送受信装置への応用が期待される。
この成果の詳細は、米国メリーランド州ボルチモア市で開催されるConference on Lasers and Electro-Optics(CLEO2011)において5月3日に発表する予定である。
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概要図 (上)従来型の光ゲートスイッチ(左)とモノリシック集積技術により小型化された全半導体光ゲートスイッチ素子(右)のサイズ比較
(下)光ゲートスイッチ素子の顕微鏡写真と160 Gbit/s光入力信号から40 Gbit/s光信号を多重分離する動作の説明
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近年のインターネットの普及にともなって情報通信量が急増しており、大容量・高速通信が可能な光ネットワークの構築が急務の課題となっている。これまで大容量光通信を実現するため、一波長当たりの伝送速度は40 Gbit/s 程度まで高速化されると同時に、波長分割多重方式(WDM)の波長数増加により大容量化が行われてきた。一波長当たりの伝送速度がさらに上がれば、より少ない波長数で大容量化できるため、ネットワーク機器の小型化・低消費電力化につながると期待されている。このため一波長当たりの伝送速度を上げるために、多値化技術や時間軸上で超高速化を行う技術の研究が、現在活発に行われている。時間軸上で超高速化を行う光時分割多重方式(OTDM)を用いた100 Gbit/s以上の超高速通信では、通常の電子回路デバイスでは信号処理速度が追いつかないために、電子回路で処理ができる伝送速度に下げるためのデバイスが必要となり、光を使って光信号を制御する超高速の光ゲートスイッチの実現がその鍵を握っている。超高速光ゲートスイッチ等の機能を半導体素子上に集積化した実用的な小型超高速光送受信器が実現されれば、高精細動画像等の大容量情報をリアルタイムで送受信することが必要となる遠隔医療、テレビ会議等のサービスが可能となるものと期待できる。
産総研では、インジウムガリウムヒ素/アルミニウムヒ素アンチモン(InGaAs/AlAsSb)の半導体材料を用いた超薄膜量子井戸に生じるサブバンド間遷移(ISBT)を利用した超高速全光ゲートスイッチ素子の開発を進めてきた。2007年には独立行政法人 情報通信研究機構と共同で、光によって光の位相を超高速制御できる全光位相変調効果というISBTに関連した現象を発見した。この全光位相変調効果を光ゲートスイッチに応用して、スーパーハイビジョン(SHV)信号を送受信できる小型光送受信装置の開発を、独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)のプロジェクト「次世代高効率ネットワークデバイス技術開発」(2007年度~2011年度)のなかで行っている。図1に超高速光送受信装置を放送局舎内で運用するときの概念図を示す。これまで、空間光学系を用いたマッハツェンダ干渉計型の光ゲートスイッチモジュール(概要図参照)を開発し、160 Gbit/s信号から40 Gbit/s信号へと多重分離することに成功した。2009年10月には、日本放送協会 NHK放送技術研究所に協力して、光時分割多重されたSHV信号を送受信するシステム実証を行った。
しかし、この光ゲートスイッチモジュールの筐体は10 cm角程度と大きく、内部の干渉条件を安定化する複雑な機構が必要であった。また、40 Gbit/s信号を4チャンネル時間多重した160 Gbit/sの光送受信装置は、4個の光ゲートスイッチがモジュール内に必要であるが、これらの調整は非常に困難であった。今回、これらの課題を解決するために、光ゲートスイッチ素子の小型・集積化技術の開発に取り組んだ。
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図1 超高速光送受信装置を用いた光ネットワーク概念図
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今回、半導体の微細加工技術によりISBTによる全光位相変調効果をもつ光導波路と干渉計を構成する光回路をInP基板上に集積化して、全半導体光ゲートスイッチ素子を作製することにはじめて成功した(概略図、図2)。素子の面積は、1x0.3 mm2で、以前に開発した空間光学系の光ゲートスイッチモジュールの干渉計部の面積(10 cm2)に比べて1/10000以下に小型化できた。また、多数の光ゲートスイッチ素子を含むウエハーを、ドライエッチング法で1回加工するだけで集積化できるため経済性に優れている。レーザー光源、光増幅器、受光器などの集積化も可能であり、高度な機能をもつ光デバイスへの展開も期待できる。
今回開発したモノリシック集積型の光ゲートスイッチ素子は、ISBTを生じないTE偏波を信号光とし、制御光にはISBTによって吸収されるTM偏波を用いている。ポート1から入力された信号光は素子内部の分岐部で2分割される。制御光のISBT吸収によって屈折率が変化したアーム1内の導波路を往復することにより位相を変調された信号光と、屈折率変化のないアーム2内の導波路を往復した信号光を分岐部で再び合波して干渉させる。両方の信号光の位相の違いによって、干渉した信号光の行き先が変わることを利用して、多重分離した信号光がポート2から出力するように光回路が設計されている。これにより、制御光によって信号光をスイッチングすることができる。ISBTによる位相変調が数ピコ秒の超高速現象であるため、超高速なスイッチング動作が可能である。なお、今回は従来のマンハツェンダ型ではなく、位相を変調する導波路部分と制御光の導入部をきわめて近位置にすることができるマイケルソン型の干渉計を採用している。
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図2 モノリシック集積化光ゲートスイッチ素子の光回路構成
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光ゲートスイッチは干渉計を用いているために、干渉の明暗の差をなるべく大きくした方がスイッチとしての性能が良くなる。このためにはアーム1と2の信号光の強度をできる限り等しくする必要がある。一般に強い制御光がアーム1の導波路内で吸収されると、発熱によりアーム1側の光信号に光損失が発生し、アーム間の光強度のバランスが崩れる。これを避けるために、アーム2側にはマッハツェンダ干渉計を使った光可変減衰器が付け加えられ、光強度のバランスを一定に保つようにしてある。
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図3 光ゲート素子の評価の様子(上)と評価中の光ゲートスイッチ素子の赤外顕微鏡写真(下)
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この素子の光ゲートスイッチ動作の評価を行った。図3に素子の評価の様子を示す。図3(上)の説明図に示すように、信号光として波長1560 nmのTE偏波の連続波光をポート1より入射し、制御光としては、波長1545 nm、パルス幅2.4ピコ秒、繰り返し10 GHz、パルスエネルギー8.7 pJのTM偏波の光パルスをポート3より入射した。図4(下)は、ポート2へ出力された信号光、図4(上)は、ポート1へ戻ってきた信号光の強度の時間変化である。ポート3に入射された制御パルスに同期して、ポート1へ入力した信号光の一部がポート2へ高速にスイッチされて出力している。制御光が入射しないときには信号光はポート1へ戻るという、光ゲートスイッチ動作の様子が明瞭に確認できた。またこの実験条件では、制御光を入射したときの、信号光の位相変化は最大πラジアン(波長の半分に相当)であり、100 %の信号光が、ポート2へスイッチングされているのが確認できる。ポート2へ出力された光信号の時間波形から、光ゲートスイッチ動作の時間幅を評価すると、光トランシーバーに搭載する光ゲートの応答速度の要求性能を満たしていることが確認された。
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図4 (上)光ゲートスイッチ動作の説明図
(下)光ゲートスイッチの動作特性 ポート1へ戻った信号光とポート2へスイッチされた信号光の時間波形
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図5に、160 Gbit/sのOTDM信号(40 Gbit/sを4チャンネル時間多重している信号)から1チャンネル分の40 Gbit/s信号を取り出すDEMUX動作を行った実験結果を示す。この光信号処理動作は、フルスペックのSHV信号を2チャンネル分多重化したOTDM信号から1チャンネル分を取り出して受信するために必要な動作に相当する。信号光として160 Gbit/s信号を入射し、制御光として40 GHz繰り返しの光パルス(パルスエネルギー2.9 pJ)を入射させた。制御光の入射タイミングを調整して、光ゲートが開くタイミングを信号光の特定チャンネルに合わせると、そのチャンネルの信号だけを抜き出してポート2へ出力することができた。出力信号の波形から、0と1の識別は十分にでき、高品質な光ゲートスイッチ動作が実現されていることが確認できる。
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図5 160 Gbit/s光分割多重入力信号(上)と多重分離された40 Gbit/s信号(下)
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今後は光ゲートスイッチの集積度を上げるとともに、パルス光源、光増幅器、受光器、電子回路を集積化する技術を開発する必要がある。これらの要素技術を開発しつつ、最終的は高精細動画像の160 Gbit/sやさらに高速の光信号を遅延なく送受信できる超高速光送受信装置の実現を目指す。