独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)計測標準研究部門【研究部門長 田中 充】電磁気計測科 中村 安宏 科長とエレクトロニクス研究部門【研究部門長 和田 敏美】超伝導計測デバイスグループ 東海林 彰 研究グループ長は、商用電源さえあれば、液体ヘリウムを用いることなく10 Vの基準電圧が発生可能なデスクトップ型量子化電圧発生装置(図1)の開発に世界で初めて成功した。
今回の技術は、半導体、家電、自動車、電力等の産業界において、製品の設計開発、品質管理などに不可欠な電圧標準を提供するものであり、特に、温度、湿度、気圧などの変動の影響を受けることのない10 Vの量子化電圧を、簡単な操作によって基準電圧として発生させることができる。
具体的には、約30万個の窒化ニオブジョセフソン素子(NbN/TiNx/NbNジョセフソン素子)を集積したアレーチップ2個を直列に接続し(“デュアルチップ”と呼ぶ)、これによって10 Vの量子化電圧の発生に成功した。デュアルチップ構造にしたことで、素子作製段階での歩留まりが向上し、実用化への目途が立った。また、産総研で独自開発したこの窒化ニオブジョセフソン素子は、ヘリウムガスの液化温度より高い温度域(10 K)での動作が可能なため、従来型のジョセフソン素子では不可欠であった液体ヘリウムを必要とせず、小型の冷凍機で簡単に量子化電圧を発生できる特徴がある。
今回開発したデスクトップ型量子化電圧発生装置は、国家標準と同等の電圧安定度を有することから、現在電圧標準として産業界に広く普及しているツェナーダイオード電圧発生装置に代わって利用されることが期待される。本技術の詳細は、2008年1月30日に産総研(つくばセンター)で開催される第6回直流低周波電気標準クラブ研究会で発表される。
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図1 10 Vの出力を持つデスクトップ型量子化電圧発生装置
(矢印の中に、ジョセフソン素子の“デュアルチップ”を内蔵) |
半導体、家電、自動車、電力等の産業界では、製品の設計開発あるいは品質の管理に、高安定な電圧標準が不可欠である。現在、企業現場の電圧標準には、ツェナーダイオードを用いた電圧発生装置が広く用いられている。この装置は小型で安価であるものの、長時間の経過によって発生電圧が変動するため、少なくとも1年に1回は国家標準による校正を受けなければ精度を保証できない。この校正には1台あたり数十万円の費用がかかる上、校正期間中は標準器として使用できない状況である。さらに、海外に事業所をもつ企業の場合には、校正のための日本への輸送、通関の手続き等、コスト・利便性の面で様々な問題が存在する。
これらの諸問題を根本的に解決するには、企業現場においても、産総研が管理する国家標準と同性能レベルを有するジョセフソン素子が発生する量子化電圧を標準に使用することが望ましい。しかし標準に必要な10 Vの量子化電圧を発生させるには、数万個から数十万個のジョセフソン素子アレーチップを作製する必要がある。1個のアレーチップで10 Vを発生させるためには、欠陥の少ないジョセフソン素子を作製する必要があるが、その歩留まりは現在においてもあまり高くない。このため、10 V出力のジョセフソン素子アレーチップが海外の企業から販売されてはいるものの、安価ではない。さらに、現在の市販素子は液体ヘリウムによって冷却しなければ動作しないため、装置が大型になり、操作性の問題や液体ヘリウムの消費コストが企業現場への導入の障壁となっている。
動作に液体ヘリウムが必要という制約を除去するために、産総研では15 Kを越える超伝導臨界温度を有する窒化ニオブ(NbN)を電極の素材とするジョセフソン素子(NbN/TiNx/NbNジョセフソン素子)の開発を2001年から着手し、小型G-M冷凍機によって得られる10 K付近の温度において動作するNbN/TiNx/NbNジョセフソン素子を開発した。
2002年には、1 Vの出力を持つおよそ3万個のNbN/TiNx/NbNジョセフソン素子から成るアレーチップを作製し、小型冷凍機上で動作させることに成功した(2002年6月5日 プレス発表)。
しかし、関連業界からは、1 Vの出力ではなく企業現場でよく使用される10 Vの電圧標準に準ずる精度と安定度をもった10 Vの出力を発生する装置が望まれていた。10 Vの出力を得るためには、およそ30万個のジョセフソン素子をSiチップ上に集積することが必要である。そのために様々な実験をした結果、現在のプロセス技術では、欠陥を含まない30万個のジョセフソン素子を1個のSiチップ上に集積することは容易ではなく、現実的ではないことが判明した。
この技術的困難について、欠陥を含んでいるため1個のアレーチップでは10 V出力を得ることはできないが、これを2個銅配線で直列に接続し、10 Vの出力を得ることができた。いわば“デュアルチップ”とすることによって解決するという「コロンブスの卵」ともいえる発想である。
今回の開発技術の特徴は、1個のアレーチップで10 Vを達成できない、従来であれば廃棄されていたようなジョセフソン素子を活用することができるため、高歩留まりを実現でき、安価に提供できる道を拓いた。
また、企業現場で広く使われているツェナーダイオード電圧発生装置は、一般に、1年あたり±数μV変動する。しかし本装置ではジョセフソン効果という物理現象に基づく量子化電圧を利用しているため、出力電圧値は原理上変動しない。実際、産総研の国家標準で使われているジョセフソン効果によって得られる量子化電圧の場合、10年間での電圧変動は±数nV以下である。このようにツェナーダイオード電圧発生装置とジョセフソン効果に基づいて得られる量子化電圧発生装置には安定度において数百~数千倍の開きがある。
“デュアルチップ”を用いて開発した10 V出力のデスクトップ型量子化電圧発生装置の構成を図2に示す。
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図2 10 Vの出力を持つデスクトップ型量子化電圧発生装置の構成
(出力端子1と出力端子2の間に大きさ10 Vの高精度電圧が発生する。) |
“デュアルチップ”が取り付けられた心臓部の写真を図3に示す。二つのアレーチップ(大きさ15 mm×12 mm)が銅配線で接続されている。
図3 冷凍機に搭載された2個のジョセフソン素子アレーチップ“デュアルチップ”
次に、今回開発の装置と産総研が所有する国家標準を比較した結果を表1に示す。
表1 今回開発した「デスクトップ型量子化
電圧発生装置」と国家標準との比較
今回開発した装置による校正値 |
9.99998766 V |
国家標準による校正値 |
9.99998765 V |
両者の差 |
0.00000001 V(10 nV) |
(注)市販の電圧発生装置の公称10 V出力を両者でそれぞれ校正した結果
表1のデータから、今回開発した量子化電圧発生装置は、国家標準との差がわずか10 nV(つまり10 Vに対して10億分の1の精度)であり、国家標準とほとんど遜色のない性能を有することが明らかになった。
今後、本装置が企業現場において、ツェナーダイオード電圧発生装置に代わって使用されることになれば、電圧測定の精度が飛躍的に向上し、より高品質な製品開発に繋がるとものと期待される。
産総研では、今後、「計量に関する標準物質及び研究開発品有料頒布要領」に基づいて“デュアルチップ”の供給を行う(有料)予定である。また、今回開発したデスクトップ型量子化電圧発生装置のより詳細な性能評価を行うとともに、高精度化をさらに進め、企業現場での利用のみならず、次世代国家標準への適用の可能性も検討する予定である。