独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川弘之】(以下「産総研」という)のエレクトロニクス研究部門【部門長 伊藤順司】は、液体ヘリウム冷却が不要な窒化ニオブジョセフソン素子(NbN/TiN/NbN素子)を32,768個集積した1V電圧標準チップを作製することに成功した。なおかつ、このチップを小型冷凍機に実装することにより、世界初のデスクトップ型ジョセフソン電圧標準システムを試作し、1Vの高精度電圧を発生させることに成功した。今回の成果によって、ジョセフソン電圧標準システムの低コスト化とポータブル化が一気に進み、GPS電波源を利用した世界的規模の遠隔校正電圧標準ネットワークの構築が可能になるものと考えられる。
○液体ヘリウム冷却が不要な窒化ニオブジョセフソン素子による1V電圧標準チップの作製に世界で初めて成功
産総研は、次世代の電圧標準用デバイスとして、15Kを越える臨界温度(Tc )を有する窒化ニオブジョセフソン素子の集積技術の開発を進めており、これまで小規模な集積レベルの実証については既に発表(2001年3月6日旧電子技術総合研究所)しているが、今回は、Siチップ上に窒化ニオブジョセフソン素子を大規模に集積(32,768個)し、1Vの高精度電圧を発生させることに成功した。今回の大規模集積化を成功させたブレークスルーポイントは、窒化ニオブジョセフソン素子を集積する際に問題となっていた基板表面の凹凸による配線の超伝導臨界電流の低下を、化学機械研磨(Chemical Mechanical Polishing:CMP)による基板表面の平坦加工を導入して防止できたことである。
○世界初の小型冷凍機を用いたデスクトップ型ジョセフソン電圧標準システムによる1V高精度電圧の発生に成功
さらに、今回作製したチップを小型冷凍機の冷却ヘッドに実装する技術を開発し、世界初の液体ヘリウムを用いないデスクトップ型ジョセフソン電圧標準システムの試作と1V電圧発生の実証に成功した。これにより、ジョセフソン電圧標準システムの低コスト化とポータブル化が可能となり、液体ヘリウムを供給できない工場や実験室等でも、容易に高精度な標準電圧を発生・供給できることになる。くわえて、近い将来、GPS電波源を利用した世界的規模の高精度な遠隔校正電圧標準ネットワークの実現に大きく貢献することが期待される。
なお、この研究開発は、新エネルギー・産業技術総合開発機構( NEDO ) からの受託研究「計量器校正情報システムの研究開発」の一環として行われたものである。
ジョセフソン素子を用いた電圧標準(ジョセフソン電圧標準)は、半導体素子や標準電池を用いた技術では実現することのできない本質的な高精度性を有しているため、世界30カ国以上の国々で電圧の1次標準(国家標準)として用いられている。しかし、現在利用されているジョセフソン素子の場合、動作温度が4Kであることから、冷却するためには液体ヘリウムが必要となり、このことが現在のジョセフソン電圧標準を2次標準(民間企業や大学で用いられている電圧標準器)にまで普及させることを困難にしていた。【液体ヘリウムは、製造コストが高く(1リットル当たり千円から数千円する)、貯蔵するために高価な設備を必要とし、さらに、取り扱いに専門的な知識を必要とするので、簡単に利用することはできない】
今回、液体ヘリウムを使用する必要のない10Kで動作する大規模集積ジョセフソンチップの開発およびそれを実装した小型冷凍機冷却によるデスクトップ型電圧標準システムの試作に成功したことにより、上述した現状技術の欠点を原理的に克服することができた。すなわち、液体ヘリウムを使用する必要のない低コストでポータブルなジョセフソン電圧標準システムが実現できることから、2次標準器として極めて低コストかつ簡便に民間企業や大学において広く利用されることが可能となる。さらには、GPSを周波数基準源に用いることにより、インターネットによる遠隔操作、比較校正等を行うことも原理的に可能であり、世界的規模の電圧標準ネットワークの構築に向けて我が国が技術的イニシアチブをとることを可能とするものである。【図1参照】
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図1 GPS電波源を利用した世界的規模の遠隔校正電圧標準ネットワーク
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現在、電圧標準技術については、主として世界の代表的な3つの標準研究機関である米国のNIST、ドイツのPTBおよび日本の産総研において研究開発が行われ、世界をリードしている。このうち、NISTおよびPTBにおいては、4Kで動作するジョセフソン標準電圧チップが開発され、実際の利用に供されている。さらに、次世代の電圧標準のための素子開発も行われているが、それらのデバイスは全てニオブ(Nb)を電極材料に採用しているため、液体ヘリウムあるいは大型の冷凍機によってチップを4Kまで冷却することが不可欠であり、大型冷却設備、利用コスト高、等の欠点を克服できていない。
一方、産総研では15Kを越える臨界温度(Tc )をもつ窒化ニオブ(NbN)を電極素材とするジョセフソン素子の開発を長年進めており、その過程で窒化ニオブ薄膜と窒化チタン薄膜を積層させた窒化ニオブジョセフソン素子(NbN/TiN/NbN素子)を開発した。この技術は産総研独自のものであり、現在のところ10K動作を実証した世界唯一の技術である。この技術と、今回新たに開発したCMP 平坦化による大規模集積プロセスおよび冷凍機冷却ヘッドへのチップ実装技術により、世界で初めてデスクトップ型のコンパクトなジョセフソン電圧標準システムの試作に成功した。
(1)CMPによる平坦加工を導入した新しい大規模集積プロセスの開発
32,768個のNbN/TiN/NbN素子(単体の素子構造は【図2参照】)を集積した電圧標準チップを作製するために、CMPを導入した新しいプロセスを考案した【図3参照】。このプロセスでは、凹凸を有する基板上に配線となるNbN膜を堆積した後にCMPによるNbN膜表面の平坦化を行い、さらにNbN膜を堆積して配線を作製する。この方法によって、従来のプロセスによる場合に比較し、配線の臨界電流は2倍以上改善され、32,768個のNbN/TiN/NbN素子から成る電圧標準チップの作製が実現された。【図4参照】
図2 10Kで動作するジョンセフソン素子の構造
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図3 新開発のCMPによる基板表面の平坦加工を採用した大規模集積プロセス
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図4 32,768個のNbN/TiN/NbN素子から構成される1V電圧標準チップ
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(2)小型冷凍機を用いたデスクトップ型ジョセフソン電圧標準システムの試作
市販の小型冷凍機を利用して、デスクトップ型ジョセフソン電圧標準システムの試作を行った。システムの設計に当たり工夫した点は、電圧標準チップを冷凍機のコールドヘッドに接触させ冷却するとともに、素子に
バイアス電流とマイクロ波を供給して高精度電圧を発生させるため、
フリップチップ・ボンディングを利用した実装技術を開発したことである。【図5・図6参照】
図5 小型冷凍機を用いたデスクトップ型ジョセフソン
電圧標準システムの構造
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図6 小型冷凍機を用いたデスクトップ型ジョセフソン
電圧標準システムの概観
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(3)10Kにおける1V高精度電圧の発生
(1)で作製した電圧標準チップを(2)で試作したシステムに実装し、コールドヘッドの温度を10Kに保って、外部回路からバイアス電流と周波数16GHzのマイクロ波を素子に供給した結果、電流?電圧特性上に明瞭な定電圧ステップを観測することができた。【図7参照】。図7の点線で示したバイアスの範囲で、約1Vの高精度電圧が得られている。ちなみに、このバイアスの範囲は約1mAであるが、この値は従来のジョセフソン電圧標準の約10倍に相当し、高い耐雑音性が得られることを示している。(従来のジョセフソン電圧標準で不可欠であった雑音を抑制するための高価なシールド設備が不要になる)
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図7 10Kにおいて測定された32,768個のNbN/TiN/NbN素子から
構成される電圧標準素子の電流-電圧特性
(16GHzのマクロ波を照射)
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今後、10Kにおいて2Vから5Vの高精度電圧を発生することが可能な電圧標準チップの開発、GPS電波源をマイクロ波の周波数の基準として利用する装置の開発等を行い、2005年度末までにGPSを周波数基準源として利用する液体ヘリウムフリー・ジョセフソン電圧標準システムの開発を行う。その後、民間企業に技術移転を行いシステムの製品化を実施するとともに、それを基に、世界的規模の遠隔校正電圧標準ネットワークの構築を目指す。