独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)ナノテクノロジー研究部門【部門長 横山 浩】自己組織エレクトロニクス研究グループ 片浦 弘道 研究グループ長、柳 和宏 研究員は、光機能性有機分子であるβカロテンを単層カーボンナノチューブ(SWCNT)に内包させて、βカロテンの光劣化を抑制することに成功した。
有機材料は、有機ELディスプレイなど様々な分野での応用が期待されているが、無機材料と比較して劣化しやすいため、耐久性の改善が大きな課題となっている。例えば、ニンジンに含まれる色素としてなじみ深いβカロテンをはじめとする多くの直鎖状π共役系分子は、大きな三次光学非線形性を備えており、次世代光デバイス材料の候補の一つと考えられているが、大気中で光により劣化し易いという問題点があった。産総研はβカロテンをSWCNTに内包する事によって安定化できることを見いだした。βカロテンのような大きな有機分子(長さ約3nm:1ナノメートルは10億分の1メートル)がカーボンナノチューブ(CNT)内部に約70℃前後の常温に近い温度で内包可能となったことにより、機能性有機分子の耐久性改善にむけたCNTのナノコンテナーとしての利用が今後期待される。
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βカロテンを内包したSWCNTの構造予想図(直径1.4nm)
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図1(左)βカロテン内包カーボンナノチューブ、(右側)紫外光照射に対する吸収スペクトルの変化。(右上)βカロテン単独:紫外光照射によりβカロテン特有の山は消えた。(右下)SWCNTに内包されたβカロテン:ほとんど変化しない
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液晶や有機ELディスプレイのように、有機材料のデバイス素材としての利用は昨今ますます盛んになっている。しかしながら、特殊な機能をもたせた有機分子は一般的に劣化しやすく、デバイス化において、その耐久性の向上は常に最も重要な課題の一つとなっている。例えば、直鎖のπ共役系分子は、大きな三次光学非線形性と超高速応答性を備えた物質であることが知られており、光スイッチングデバイスといった次世代光デバイスへの期待がもたれているが、光によって生じるラジカルなどの活性種により劣化しやすいために光デバイス素材として利用できなかった。
フラーレン(C60)や有機分子がCNTに内包できることはこれまでも知られていた。内包された有機分子はCNTの壁により外部の活性種(ラジカル等)から保護される事が期待されることから、π共役系分子をCNTに内包すれば、光による劣化を抑制できるのではないかと予想された。従来は有機分子とCNTをガラス管内に密閉し、真空ポンプで減圧し加熱することによって有機分子を昇華させ、気相でCNTに内包させる手法が主流であった(昇華法)。しかし、機能を有する有機分子は一般に大きな構造を持ち、加熱により昇華する前に劣化・分解してしまう。そのため大きな有機分子を低温でCNTに内包する技術が求められていた。
産総研では、独立行政法人 新エネルギー・産業後術総合開発機構の産業技術研究助成事業「非線形性光学素子用カーボンナノチューブ素材の開発」により、非線形光学素子用にSWCNTの精密直径制御と分子内包技術の開発を行っている。これまで、CNTから水分子が低温で噴出する(ナノジェット)ことを確認していることから、有機溶媒を用いて有機分子と一緒に加熱すれば、CNT内部の溶媒は放出され、解放された内部空間に有機分子を内包できるのではないかと考えた。
カロテノイド色素はπ共役系分子として知られており、大きな三次光学非線形性と超高速応答性を備え工業的にも利用価値があるが、酸化・異性化により劣化しやすいという問題があった。βカロテンのヘキサン飽和溶液中(ヘキサン40mlに対しβカロテン70mg)に、末端を開けたSWCNT(1mg)を入れて10時間窒素雰囲気下で加熱(約70℃)を行った。その後、テトラヒドロフラン溶液を用いて超音波洗浄・濾過を繰り返し、チューブの外側に付着しているβカロテンを取り除く作業を行った(図2参照)。
SWCNTとしてはCarbon Nanotechnologies Inc.より市販されているHiPco®チューブ又はレーザー蒸発法によって作成したものを用いた。
チューブ末端が閉じている未精製のHiPco®チューブの場合は、内包化作業後の試料のラマンスペクトルにはβカロテン由来の信号が殆ど検出できなかったが、塩酸(HCl)によるエッチングや空気中での加熱処理により末端を開けた精製HiPco®チューブの場合、明確にβカロテン由来の信号を検出した(図3参照)。
高純度に精製し末端を開けたレーザー蒸発法SWCNTの場合は上記の内包化作業を行った場合、SWCNTのチューブ内部の空間に約30%の割合でβカロテンが内包されていることが吸収スペクトルからわかった。
また、ジメチルホルムアミド(DMF)溶液中にβカロテンを溶かした試料と、βカロテンを内包したSWCNTを同溶液中に分散させた試料に対して紫外光(365 nm, 90 W)を30分照射し、βカロテン由来の吸収バンドの変化を観察した。光照射後、βカロテン単体の場合にはβカロテン特有の吸収バンドがなくなってしまうのに対して、SWCNTに内包されている場合は殆ど変化がなかった。SWCNTの壁が、酸素やラジカル種からの攻撃を防ぐことによって光劣化が抑制されたと考えられる。また、βカロテンをポリマー(PMMA:ポリメチルメタクリル酸メチル)に分散した場合よりもSWCNTに内包した場合のほうが熱耐久性も改善されていた。
本研究により、約70℃という常温に近い温度でβカロテンをSWCNTに内包することに成功し、βカロテンの光劣化を抑制できることを明らかにした。
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図2 βカロテンのSWCNTへの内包化手順
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図3(左) HiPco®チューブのラマンスペクトル。末端が閉じている未精製HiPco®の場合は内包処理後もβカロテン由来のラマン信号は見られないが、末端を開けた精製HiPco®の場合は、内包処理を行うと赤い矢印で示したβカロテン由来のラマン信号が観測された。
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写真1 (左)SWCNTを分散した溶液 (右)βカロテン内包SWCNTを分散した溶液 内包カロテンによりほのかな赤みを帯びる
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有機分子内包カーボンナノチューブの光学的機能性・安全性・耐久性の検証は実用化において必要不可欠であるため、今後その基礎的データベース作成に向けた研究を展開する。カーボンナノチューブの電気伝導特性や熱伝導特性を備える耐退色性インクを将来的に提供する。