独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)知能システム研究部門【部門長 平井 成興】柴田 崇徳 主任研究員および 和田 一義 特別研究員は、木村クリニック【院長 木村 伸】(埼玉県北足立郡伊奈町)および株式会社脳機能研究所【代表取締役社長 武者 利光:東京工業大学名誉教授】と、アザラシ型メンタルコミットロボット「パロ」(図1)がアルツハイマー型などの認知症患者の脳機能に与える効果について、共同研究を実施した。
認知症の高齢者に、パロとふれあってもらい、その前後で、脳波を計測、分析した。その結果、認知症の状態にあった14名の被験者のうち、7名(50%)に脳機能の改善効果があった。国内外の高齢者施設におけるパロによる、ロボット・セラピーにおいて、表情や行動が健常者と同じようになったりする等の事例も数多い。パロとのふれあいによって、認知症の高齢者の脳機能の改善効果、さらには健常者が認知症になることを予防する効果がある。特に、パロに対する主観評価が高い人ほど、効果的であることがわかった。
日本では、認知症の高齢者の介護のために、地方自治体には介護保険等で、1名あたり約400万円のコストがかかり多大な社会コストになっている。そのため、認知症になることを防ぐための「介護予防」が求められている。
パロを好む人が、パロとふれあうことによって、生活の質を改善し、認知症の予防を期待できることから、介護予防につながると期待される。
なお、この成果は「高齢化社会におけるサービスロボットに関するビデオリンク会議」(平成17年9月22日:ストックホルムと東京)において発表予定。
多くの先進国は、少子高齢化が進んでおり、日本は、2015年には人口の26%が65歳以上になると予測されている(総務省 統計局 統計データによる)。そのため介護が必要な人々の数も増加することが見込まれており、現在でも介護保険による支援が急増し、社会的コストを高めている。そこで、高齢者の「生活の質」を高めることにより、認知症患者の発症を遅延させたり、症状を改善させることにより介護を予防したり、家庭や医療・福祉施設などでの介護の質を高めたりすることが望まれている。
認知症の治療、予防法としては、薬物療法、食事療法、アート・セラピー、音楽療法、運動療法、学習療法、アニマル・セラピーなどがあるが、それぞれ問題点を抱えている。
そこで、産総研知能システム研究部門では、人に楽しみや安らぎなどを提供し、人の心に働きかけることにより、主観的な価値を創造することを目的に「メンタルコミットロボット」の研究開発を1993年からスタートした。特に、動物型ロボットとすることで、アニマル・セラピーで研究されてきた、様々な効用をロボットで実現することを目的とする「ロボット・セラピー」を提唱し、その研究開発を進めている。
産総研 知能システム研究部門では、動物型ロボットの形態として、犬や猫のようにあまり身近ではないため、かえって違和感なく人から受け入れられやすいアザラシ型のロボット「パロ」の実用化を目指して研究開発を行ってきた。パロの実用化に関しては、ベンチャー開発戦略研究センターの支援制度(文部科学省科学技術振興調整費「戦略的研究拠点育成」事業)を受けて株式会社知能システム(以下「ISC」という)が平成16年9月17日に設立された。パロに関する意匠、特許などの知的財産権はISCにライセンスされ、商品化が行われている。ISCは、個人向け販売の受注を平成17年3月から開始し、これまでに、500体以上のパロを販売した。
ロボット・セラピーに関しては、国内のデイサービスセンター、介護老人保健施設、特別養護老人ホームなどの高齢者向け福祉施設や、病院の小児病棟などにおいて実験を行い、ロボット・セラピーの効果を科学的データによって検証した(2004年9月17日産総研プレス発表)。また、海外でも、パロによるロボット・セラピーの研究を実施し、心理的効果、生理的効果、社会的効果が確認され、非常に良好な結果を得ている。
長期間のパロとの触れ合いの持続性に関しては、介護老人保健施設で実証実験を行い、実験を開始した平成15年8月以降、現在でもパロは飽きられることなく、長期間の触れ合いが現在でも継続しており、多くの人々に愛着を持ってかわいがられている。
これらの結果、国内の高齢者向け施設などでパロの導入が徐々に進んでいる。例えば、富山県南砺市は、高齢者の認知症の予防を目的に、平成17年5月に、市内の8箇所のデイサービスセンターに、それぞれパロを導入した。
図2 認知症患者とパロとのふれあいの様子
(被験者は脳波計測のため頭にネットを被っている)
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図3 パロと触れ合う男性の認知症患者
(被験者は脳波計測のため頭にネットを被っている)
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パロとの触れ合いにより、アルツハイマーや老年性などの認知症患者の脳機能に与える効果について、脳波を計測することにより評価を行った。
被験者となる認知症患者は、木村クリニックにおいて、アート・セラピーを受けるために通院している患者である。
パロと触れ合う認知症患者の脳機能を評価するために、株式会社脳機能研究所が認知症の早期診断用に開発したシステム「DIMENSION」を用いた。被験者とパロが約20分間ふれあい、その前後で被験者の脳波を計測した。なお、脳波の計測時には、被験者に閉眼を求めた。また、パロに関する主観評価を行い、その結果と、脳機能の変化との関係について分析した。
合計29名の被験者を対象としたが、最初から脳機能の状態が、「健常の状態」にある人や、認知症が重度であるため閉眼ができずデータを取得できなかった被験者を除いた14名のデータが有効であった。その結果を図4に示す。14名の認知症患者のうち7名(50%)に、パロと触れ合った後に、認知症患者の脳機能の状態が改善したり、健常の状態のレベルにまで改善したりする効果があった。
一方、パロに対する主観評価と脳機能の改善効果の関係に関しては、図5に示すように、パロに対する評価が高い人ほど、脳機能の改善効果が高くなる関係が見られた。
本研究は、独立行政法人 科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業 発展・継続「人とロボットの持続的相互作用に関する研究(平成16~19年度)」等により実施された。
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図4 DIMENSIONによる脳機能の分析結果:横軸Dαは、頭皮上電位分布の場所的な滑らかさを示し、縦軸のDσは、時間的ゆらぎ(不安定性)を示している。健常者は、図6(1)のように、α波の頭皮上電位分布の場所的な滑らかさは大きく、時間的なゆらぎは小さい。一方、認知症患者は、図6(2)のようにα波の頭皮上電位分布が場所的に滑らかでなくなり、時間的なゆらぎも大きくなる。そこで、認知症の状態(左上領域)、危険な状態(中央)、健常の状態(右下領域)の3つの領域に位置づけられる。今回の実験結果では、50%の認知症患者が、認知症の状態が改善したり、健常者のレベルにまで改善したりする効果があった。 |
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図5 パロに対する主観評価結果と、DIMENSIONによって分析した脳機能の改善効果との関係:縦軸は、α波の頭皮上電位分布の場所的な滑らかさDαに関するパロとのふれあいの前後での差分値でプラス値ほど認知症の改善効果が大きい。横軸は、パロに対する主観評価値。それぞれの評価で有効な11名の被験者のデータの分析。パロに対する主観評価が高い人ほど、認知症の改善効果が高いことが示されている。 |
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(1)正常者 |
(2)認知症患者(例:アルツハイマー) |
図6 α波の頭皮上電位分布:認知症の患者では脳内の神経細胞の活動が不均一になり、その影響が頭皮上電位分布の乱れとしてあらわれるので、この乱れ方を定量化することで、脳機能の劣化度を量的に表現できる。 |
産総研では、パロを用いることによる認知症患者の脳機能の改善について、国内外の医療機関などと共同でデータ収集・解析を継続して行い、ロボット・セラピーの認知症の防止、改善効果、さらに効果の持続性について研究を進め、「介護予防」への貢献を目指す。
一方、ISCは、平成17年10月から、愛・地球博で好評のゴールド色のパロを追加し、受注を開始する。また、ペット代替需要だけではなく、介護予防も目的に、個人への普及や、高齢者向け医療福祉施設でのパロの導入を促進する。また、要望が多い海外への展開についても準備を進める。