独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)人間福祉医工学研究部門【部門長 赤松 幹之】は、国立大学法人 筑波大学【学長 岩崎 洋一】(以下「筑波大」という)大学院 システム情報工学研究科と、バーチャルリアリティ(VR)の分野における力覚や触覚を提示するインターフェイスとして、任意の方向に並進力および回転力(トルク)の両方を発生させることで、「押す・引く・浮き上がる」などの感覚を提示できる 力・トルクハイブリッド型の『力覚感覚提示インターフェイス"ジャイロ キューブ センサス"(GyroCubeSensuous)』を開発した【図1参照】。
次世代マルチメディアと関連して、五感の全てを情報提示に用いるマルチモーダル・インターフェイスが注目されている。特に物体に触っている感触(触覚)やその物体から受ける反力(力覚)などの触力覚感覚を提示するインターフェイスは、臨場感の大幅な増大につながるため、従来型インターフェイスの操作性や情報の知覚・理解の向上が可能である。従来技術ではピンやマニピュレータアームを用いた情報提示手法が主流となっており、装置が大きい、アームやワイヤなどでユーザが装置につながれるため身体の動きが拘束される、などの問題点があった。また、来るべきユビキタス社会においての利用を考えた場合、従来型の力覚感覚インターフェイスは同様の理由からモバイル利用に適していない。
本研究ではこの課題を解決するために、インターフェイスに組み込まれた複数の回転体の角運動量を制御し、任意の大きさ、任意の方向に、力および回転力を発生することで、バーチャル物体の存在や衝突の衝撃力を提示する方法を考案した。これにより、2つの偏心回転子の回転方向および位相を同期制御することで、トルク、力、および振動感覚の1つの機構上での提示を実現した力覚感覚提示インターフェイス"ジャイロ キューブ センサス"の開発に至った。ジャイロ キューブ センサスは、手のひらに乗るサイズで、人間の感覚特性を巧みに利用することで、前後に微小変位の振動運動を繰り返すだけなのに、感覚的には前方向の一方向にのみ力を感じさせることができる。この結果、手のひら上でジャイロ キューブ センサスが重くなったり、軽くなったり、ついには、浮き上がって感じられる力覚感覚のイリュージョンを体感することが可能となった。
今回開発したジャイロ キューブ センサスは、引っ張られる感覚で進行すべき方向に誘導するヒューマンナビゲーションシステムや、手術シミュレータ・遠隔手術の実現のためには不可欠な技術の一つであり、医療・福祉分野やIT産業・VR産業において新たな展開を与えることが可能な技術である。特に、触力覚感覚が重要な情報獲得手段の一つである視覚障害者に対する支援への貢献が期待される。この他、パソコン用3Dマウス、ゲーム機、VRなどのIT機器インターフェイスに応用することができる。今後は、さらに小型・軽量化を図り、インターフェイス・メーカーとの共同研究を推進することで製品化につなげる予定である。
|
図1 開発した力覚感覚提示インターフェイス"ジャイロ キューブ センサス"(GyroCubeSensuous)
任意の方向に並進力と回転力の両方の感覚を提示するハイブリッド型力覚感覚提示インターフェイス"GyroCubeSensuous"。Sensuousには、「感覚に訴える、感覚を喜ばせる、敏感な」という意味がある。 |
次世代マルチメディアと関連して五感を用いたマルチモーダル・インターフェイスが注目されている。特に、触力覚感覚を用いることで、従来型インターフェイスの操作性や情報の知覚・理解を向上させることが可能と考えられており、各種職業技術訓練、遠隔操作、健康医療福祉機器などへの応用が期待されている。しかし、従来の触力覚感覚の情報を提示する技術は、ピンやマニピュレータアームなどによるものが主流であるため、装置につながれることで身体の動きが拘束される、アームがお互いに干渉し合って複数の装置が共存できない、装置が大きくなるなどの問題があった。また、来るべきユビキタス社会においては、いつでもどこでも、そして、歩きながらでも利用できるインターフェイスが必要とされているが、従来型の力覚感覚インターフェイスは、同様の理由からモバイルでの利用には適していない。
力覚感覚提示インターフェイスは、大きく「接地型」と「非接地・可搬型」の2つに分類できる。接地型インターフェイスは、アームやワイヤの抗力や張力によって人に力覚感覚を提示する【図2(左)、(中央)参照】。そのため、原則として、反力を支えるベースが必要であり、携帯での利用には適していない。この携帯性の問題を解決するために身体の一部に反力を支えるベースを設けた非接地型インターフェイスが開発されたが【図2(右)参照】、この非接地・可搬型は反力を支えるベースがユーザ自身の身体内にあるため、物を押している感覚や外部から力を受けたという感覚に乏しいなどの問題点があった。
|
図2 接地型力覚感覚提示インターフェイス(アーム式(左)、ワイヤ式(中))と、非接地・身体内ベース型インターフェイス(右) |
これに対して、産総研と筑波大では、身体内に反力用のベースがなくても外部からの力覚感覚が得られる非接地・非身体内ベース型の力覚感覚提示インターフェイスの開発を行ってきた。2001年の先行研究において、今回の開発の基礎となるトルク提示インターフェイス"ジャイロ キューブ"(GyroCube)【図3参照】の開発を行った。ジャイロ キューブは、x-y-z軸座標に配置された3つのモータの回転を制御することで、任意の方向にトルクを提示する非接地・非身体内ベース型インターフェイスである。3つのモータの回転によって合成された角運動量の時間的な変化がトルクであり、モータの回転を加減速することで、任意の方向にトルクを提示することができる。しかし、この手法によるトルクの提示には大きな電力が必要であり、また、連続的にトルクを提示できないという課題が残っていた。
そこで、産総研 人間福祉医工学研究部門 感覚知覚グループの 中村 則雄 主任研究員(現:産総研 ベンチャー開発戦略研究センター 開発戦略企画室 シニアリサーチャー)と筑波大学大学院 システム情報工学研究科 コンピュータサイエンス専攻 福井 幸男 教授は、感覚知覚心理学を情報システム工学に応用することで、この課題の解決を図った。中村主任研究員は聴覚などの感覚知覚を専門とし、携帯電話を用いた聴力測定装置の開発、携帯電話のナビゲーション機能に力覚感覚による方向誘導を付加するマルチモーダル・ヒューマンナビゲーションシステムの開発を行っている。福井教授は、VRの分野で使う触力覚インターフェイスの研究を行ってきた。今回開発した力覚感覚提示インターフェイスは原理的に無限大の剛性を表現できるインターフェイスであり、硬いものから柔らかい仮想形状まで幅広い表現力をもつ力覚感覚インターフェイスを実現することができる。本研究成果は、専門が異なる二人の研究者が協力することによって実現されたものである。
本研究は、財団法人 日産科学振興財団【理事長 カルロス・ゴーン】の「第29回日産学術研究助成(奨励研究)」の助成を受けている。
|
図3 開発の基礎となった2001年に試作した合成角運動量ベクトル微分方式のトルク提示インターフェイス"ジャイロ キューブ"(GyroCube)(左)とその構造図(右)
x軸、y軸、z軸に固定された3つの回転子の回転数 ωx、ωy、ωz を独立に制御して、それぞれの回転子が発生する角運動量を合成することで任意の方向に角運動量ベクトルを発生することができる。これを適切に制御すれば任意の方向にトルクを発生させることができる。角運動量ベクトルLを変化させた時に発生するトルクは以下のように表される。
各x、y、z軸周りに角速度ωiで回転する角運動量Liは、各軸周りの慣性モーメントをIiとすると、
Li = Ii ωi、i= x, y, z
と表わされる。これらの各軸周りの角運動量から構成される合成角運動量ベクトルは、x、y、z軸方向の基本ベクトルをi、 j、kとすると、
L = Lxi +Ly j +Lzk
と表わされる。この合成角運動量ベクトルの時間微分が発生するトルクベクトルτである。
τ = d L/d t
x、y、z軸方向の角速度の比ωx:ωy:ωzを変えることで任意の方向に角運動量ベクトルの発生方向を制御することができる。 |
課題(1):従来のVRにおける力覚感覚提示インターフェイスは、提示機構であるアームやワイヤに加え、それを支えるベースが不可欠であったが、今後のモバイル・ユビキタス社会での、いつでもどこでも、そして、歩きながらでの利用を考えた場合、人間の動きや操作を拘束・制限する、手のひらサイズへの小型化が難しい、などの問題点があった。
課題(2):非接地・非身体内ベース型力覚感覚提示インターフェイスの実現にあたり、ジャイロスコープによって発生する回転トルクを利用するジャイロスコープ方式や空気圧の反力を利用する方法を検討したが、操作性・制御の難しさに加え、小型化が困難などの問題があった。また、ジャイロスコープ方式では、連続して一定方向にトルクを提示し続けることは不可能であった。
解決法(1):これらの問題意識から、先行研究において、回転体の回転速度を制御して、角運動量の時間的な変化でトルクを提示するインターフェイス"ジャイロ キューブ"(GyroCube)を考案した。この方法では、アームやワイヤが不要となり、非接地・非身体内ベースでありながら、バーチャル物体から人に力が働いている外力感覚を実現できる。今回さらに、2つの偏心回転子からなる"ツイン偏心回転子方式"を考案することで、回転力に加えて並進力も同時に提示できるハイブリッド型力覚感覚提示インターフェイス"ジャイロ キューブ センサス"の実現に至った。2つの偏心回転子の回転方向・回転速度・位相関係を制御することで、任意の方向・強度・周波数の振動・回転力・力感覚を提示することができる【図4参照】。例えば、以下のようなことが可能である。
-
2つの偏心回転子を位相差0度で同期回転させた場合、2つの偏心回転子の合成重心と回転軸との距離が最大になることにより、最大強度の偏心振動が合成される【図4-2参照】。これにより、携帯電話のマナーモードのようにブルブル震える振動感覚を提示できる。
-
180度の位相遅れで同方向に同期回転させた場合、2つの偏心回転子が点対象となり重心と回転軸が一致することにより、偏心のないトルク回転が合成される【図4-3参照】。これにより、回転感覚を提示することができる。
-
前述2例の中間のケースである位相差を持たせて同期回転させた場合、回転数で振動周波数を、位相差で偏心振動強度を、それぞれ独立に制御可能となる【図4-3参照】。これにより、携帯電話のマナーモードのような単なる振動感覚に強弱と周波数の質感を加えることができる。
-
最後に、反対方向に同期回転させた場合、位相を制御することで任意の方向に直線的に単振動する力が合成される【図4-4参照】。これにより、バネの単振動のような直線的な振動感覚を提示することができる。
|
図4 ジャイロ キューブ センサスの構成および動作方法
2つの偏心回転子の回転方向・回転速度・位相関係を制御することで、任意の方向・強度・周波数の振動・力・回転感覚を提示することができる。
【図4-2】2つの偏心回転子を位相差0度で同期回転させた場合、最大強度の偏心振動が合成される。
【図4-3】180度の位相遅れで同方向に同期回転させた場合、偏心のないトルク回転が合成される。位相差を持たせて同期回転させた場合、回転数で振動周波数を、位相差で偏心振動強度を、それぞれ独立に制御可能となる。
【図4-4】反対方向に同期回転させた場合、位相を制御することで任意の方向に直線的に単振動する力が合成される。 |
解決法(2):与えた刺激強度に対する感じた刺激の大きさの比が感度であるが、人間の感覚特性は与えた刺激の強度に対して感度が異なっている。この強度によって感度が異なるという人間の非線形感覚特性を利用することで、モータ回転の加減速を周期的に繰り返しながらも並進力および回転力感覚を同一方向に連続的に提示できる原理を考案した。これにより、周期的な回転の加減速や振動で発生する力の積分がゼロであるにも関わらず、感覚的には相殺されることなく連続的に一方向に知覚させることが可能となった。
効果:
(1)今回開発したジャイロ キューブ センサスは、非接地・非身体内ベース型であるため、アーム・ワイヤ方式とは異なり、同じ空間に複数のジャイロ キューブ センサスが存在しても干渉することなく共存でき、また、音声等による情報提示ではなく力覚による情報提示であるため、人と人が集う家族団らんの場や、オフィスや街頭などのたくさんの人が入り混じる実社会においても利用できる。
(2)ジャイロ キューブ センサスでは、人間の非線形感覚特性を利用することで、物理的には相殺されてしまう力覚的物理量を、感覚的には相殺されることなく連続的に知覚させることができる。この結果、力の反動が問題になる宇宙・無重力空間での力覚感覚提示インターフェイスに有効である。
(3)ある曲面上をジャイロ キューブ センサスでなぞる時に、曲面上の移動にともなって振動・回転力・並進力を制御することで、曲面の表面粗さや凸凹を表現することができる。
(4)アームやワイヤの張力によって間接的に力を伝えるわけでなく、モータの回転が直接手のひらに作用するダイレクトドライブのため、応答性に優れ、硬い物体から柔らかい物体の感触までの幅広い触力覚感覚を提示することができる。
(5)力覚感覚の非線形感覚特性を利用して、手のひら上でジャイロ キューブ センサスが重くなったり、軽くなったり、ついには、浮き上がって感じられる力覚感覚のイリュージョンを実現した。
(6)この原理は、従来の力覚感覚提示インターフェイスに比べ高感度・低消費電力を実現でき、機構も簡単で偏心モータを3次元空間に配置するだけのため、小型・軽量化が可能である。その結果、例えば携帯電話などへの組込も比較的容易であり、モバイル性に優れている。モバイルでの使用やVR技術の実生活での利用を促進する可能性を秘めており、他のVR技術の発展にも寄与する可能性が高い。
応用:ジャイロ キューブ センサスは、コンピュータ・インターフェイスやナビゲーションなど、医療・福祉・宇宙からゲーム機・携帯電話までの幅広い分野にわたる利用方法が考えられる。
(1)医療福祉産業への応用
例えば、医療福祉産業においては、ジャイロ キューブ センサスとGPS(Global Positioning System:全地球測位システム)などの位置情報および地図情報と組み合わせることによって、力覚感覚による歩行者誘導も実現が可能であり、弱視者や重度視覚障害者が使用する白杖などに組み込むことも可能である【図5参照】。また、手術シミュレータの開発が盛んになってきているが、複数の医師が多様な持ち方・メスさばきを行う場合の手術器具の触力覚感覚を提示するのにもジャイロ キューブ センサスは適している【図6参照】。
|
図5 医療福祉産業への応用例:携帯電話(左)や白杖に内蔵したインターフェイス(右)による力覚感覚ナビゲーション
GPSなどの位置情報および地図情報と組み合わせることによって、力覚感覚による歩行者誘導も実現が可能となる。手を引く・携える誘導の直感的な理解しやすさに着目し、従来の地図情報や音声ガイドによる視覚・聴覚情報に加えて、進行すべき方向を力覚感覚で提示する。太陽光下でのディスプレイの視認性の問題、一般的な環境騒音下でのガイド音声の聞き取り難さを、他の感覚情報である力覚感覚で補うことで利用できる状況が増えると考えられる。 |
|
図6 医療福祉産業への応用例:遠隔手術・手術シミュレータによる手術器具の触力覚感覚の提示
触力覚感覚は手術における術具の操作性を左右する非常に重要な情報である。手術シミュレータによって事前に手術計画や訓練を行うことで、手術中のミスや組織損傷の危険性を大幅に軽減できると考えられている。ジャイロ キューブ センサスは、アームやワイヤを使わないため、複数の医師による協力関係を事前検討することができる。 |
(2)ゲーム産業への応用
ゲーム・コンピュータ産業においては、現在、バーチャル空間における物体の衝突感や存在・接触感をバイブレーションによって表現しているが、ジャイロ キューブ センサスを用いることにより、現実の物体に働く並進力および回転力を3次元に表現できるため、バーチャル空間の物体の存在や動きをリアルに表現することができる【図7参照】。
|
図7 ゲーム産業への応用例:釣りゲームでは魚の動きの感覚をリアルに提示
従来の釣りゲームは魚の動きを振動感覚によって表現してきたが、ジャイロ キューブ センサスを利用すれば魚の探り的な食いの感覚、魚が掛かった当たり感覚、魚が暴れる感覚を、並進力および回転力、さらに、振動感覚によってリアルに表現することが可能になる。 |
(3)デザイン・設計分野への応用
デザイン・設計分野において3次元設計が主流となっているが、ジャイロ キューブ センサスを用いることにより、3D-CAD空間での設計・組み立てシミュレーションにおいて、「形状的に物体やネジが収まらない・抵抗が大きい」などのことを直感でき、感覚的に理解することができる。さらに力覚フィードバックによって、迅速・容易な操作が可能となり、位置決めも容易になる。特に、経験が少ない初心者でも容易に3次元形状を理解でき操作性が向上すると考えられる【図8参照】。
|
図8 デザイン・設計分野への応用例:3次元CAD設計および筆感表現
3D-CAD空間での設計・組み立てシミュレーションにおいてジャイロキューブ センサスを用いることで、力覚フィードバックによって形状を触って確認したり、バーチャル物体の形状を変形させる時の力加減を調整できる。 |
(4)宇宙などの無重力空間における応用
従来の接地型アームの反力によって力覚感覚を提示するインターフェイスは宇宙などの無重力空間での使用が難しいが、ジャイロ キューブ センサスは周期的で微小変位な運動によって力を提示するため無重力空間や宇宙船内における力覚感覚提示インターフェイスとして有効である。
今後は、インターフェイス・メーカーとの共同研究を推進することで、ジャイロ キューブ センサスの小型・軽量化を図り、製品化につなげる予定である。製品化に際しては、加速度センサや位置センサからの情報によって人の動作や行動を反映したアプリケーションなどが考えられるが、例えば、力覚フィードバックを付加することで操作性を向上させた3Dマウスを実現できる。ビデオゲームとしては、釣りゲームの釣竿に働く力や剣がぶつかる時の衝撃力をリアルに表現できる。携帯電話でのゲームやポータブル型ビデオゲーム機としては、加速度センサと連動したゴルフ・野球ゲームのインパクト衝撃や、車の衝突、障害物を飛び越える時のジャンプ感覚などが表現可能である。
また、これらのコンピュータやゲーム機用のインターフェイス開発が継続的に繰り返されることによって、小型・高性能・低価格のインターフェイスを常時福祉機器などに供給することが可能になり、福祉・医療などへの利用に弾みをつけることも可能になるものと考えられる。