独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という) 光技術研究部門【部門長 渡辺 正信】は、塗布法で優れた電子移動度を有するn型有機薄膜トランジスタ(有機TFT: Organic Thin Film Transistor)の作製に成功した。これにより、トランジスタの低コスト・大面積化が可能となり、プラスチックなどのフレキシブル基板上への印刷法による有機デバイスの実用化を加速することが期待される。
有機TFT、有機電界発光素子(有機EL素子)、太陽電池などで実用化が期待されている有機半導体材料においては、p型有機半導体では正孔移動度に優れたペンタセンや導電性高分子など多数の有機半導体材料が知られているが、n型有機半導体で優れた電子移動度を示す有機半導体材料は、全フッ素化フタロシアニンやフラーレンなどの一部の有機化合物に限られ、その単結晶化や薄膜化には超高真空装置などの大型設備が必要であり、塗布法で作製することは困難であった。
サッカーボール型構造で知られるフラーレン(C60)は、有機半導体材料の中で優れたn型半導体特性を示すことが知られており、超高真空中での製膜により、アモルファスシリコン並みの電子移動度を達成していた。しかし、これらの作製法では大面積化が困難であるばかりではなく、製造プロセスが高額になることが問題であり、生産コストの低減や大面積化への対応が可能な塗布法での作製法の開発が求められていた。
今回産総研は、フラーレン(C60)にアルキル鎖を導入することで、有機溶媒に可溶なフラーレン誘導体C60MC12(C60-fused pyrrolidine-meta-C12 phenyl) を新たに合成し、スピンコート(塗布)するだけで、フラーレン頭部が自己凝集により層構造を形成し、良好な結晶性薄膜が作製できることを見出した。
有機半導体層に新たに合成したフラーレン誘導体C60MC12を用いて有機TFTを作製し、性能を評価したところ、その電子移動度は、0.067cm2/Vsを達成し、塗布法により作製されたn型有機半導体としては最高の値を示した。
本研究開発成果は、塗布法により作製したn型有機半導体で、すでに多くの成果が得られているp型有機半導体と同程度の電子移動度を達成したものであり、有機半導体において、p型とn型が揃ったことになる。これにより、回路設計においても自由度が向上するとともに、より小型の有機電子回路の実用化を加速するものである。一方、高い電子移動度を示す有機半導体は、太陽電池やメモリーなどへの応用においても大きな波及効果を有している。
有機半導体を用いた薄膜の応用として、有機ELが注目を浴びているが、実用化においても、日本のメーカーが携帯電話やPDA(個人用携帯情報端末)などの小型ディスプレーに有機ELディスプレーを採用して商品化を行っている。現在、有機TFTや太陽電池への応用も含めて、有機半導体を用いた有機デバイスの研究開発が、実用化を視野に入れて世界的に盛んになっている。
半導体には、キャリアの電気的な正負の性質から区別されるp型半導体(正(positive)の電荷を持つ「正孔」(ホール)が電流を伝える役割を担う半導体)とn型半導体(負(negative)の電荷を持つ自由電子が電流を伝える役割を担う半導体)がある。有機半導体においては、p型有機半導体として正孔移動度に優れたペンタセンや導電性高分子が知られているが、n型有機半導体で優れた電子移動度を有する化合物は、分子末端に電子吸引性を持つ元素を導入した全フッ素化フタロシアニンや全フッ素化ペンタセン、フラーレン等が知られていたに過ぎない。その中でサッカーボール構造を有するフラーレン(C60)は単純な構造でありながら、n型有機半導体の中で最も優れた電子移動度を示すことが知られている。事実、フラーレン(C60)は超高真空中で製膜した高品質薄膜において、アモルファスシリコン並みの優れた電子移動度を達成することが、近年、明らかにされた【図1参照】。ただし、これらのフラーレン(C60)の結晶性薄膜の作製には、高額かつ制御が難しい超高真空装置を使用するため、低コスト・大面積化を図るためには、塗布法による薄膜作製技術の確立が必要である。しかし、フラーレン(C60)は有機溶媒に溶けにくいことから、塗布法(スピンコート法)による良質な薄膜の作製は困難であった。
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図1 各種有機半導体の移動度(p型:正孔、n型:電子)
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一方、有機薄膜太陽電池の研究において、スピンコート法により作製した、n型有機半導体のフラーレン誘導体([6,6]-phenyl C61-butyric acid methyl ester: PCBM)と p型有機半導体の可溶性導電性高分子の混合膜が、高い光電変換効率(擬似太陽光のエネルギー変換効率)を示すことから、このフラーレン誘導体PCBMは、有機溶媒に可溶な n型有機半導体として脚光を浴びている。
しかし、フラーレン誘導体PCBMの有機TFTを作製し、その特性を評価したところ、電子移動度としては0.023cm2/Vsしか得られなかった。これは、フラーレン誘導体PCBMが自己凝集力に乏しいため、塗布膜がアモルファス構造となり、電荷を運ぶチャネル(道)ができていなかったことによるものである。
産総研では有機溶媒に可溶で、スピンコート法などの塗布法でも自己凝集的に配列構造を示す材料の設計を行ってきた。その結果、フラーレン(C60)に炭素数12のアルキル鎖を導入したフラーレン誘導体(C60-fused pyrrolidine-meta-C12 phenyl:C60MC12)を合成することにより、有機溶媒に可溶、かつ自己凝集によりフラーレン頭部が配列することを見出した。
今回、新たに合成したフラーレン誘導体C60MC12を有機半導体層に用いて塗布法によりn型有機TFT(C60MC12-有機TFT)を作製し、その特性評価を行った。以下に、その技術内容を示す。
(1) 作製したC60MC12-有機TFTは、有機薄膜上にソース・ドレイン電極を配置した、トップ・コンタクト型の構造である【図2参照】。絶縁層としての熱酸化膜を有するシリコン・ウェハー上に、有機半導体層としてフラーレン誘導体C60MC12をスピンコート法により製膜した。その後、真空装置に移してソースおよびドレイン電極としての金を真空蒸着した。この場合のチャネル長(ソース・ドレインの間隔)は20µm、チャネル幅(電極の有効距離)は5mmとした。
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図2 C60MC12-有機TFTとフラーレン誘導体C60MC12の構造
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(2) C60MC12-有機TFTは、製膜直後においても良好なn型半導体特性を示すが、製膜後の熱処理により特性がさらに向上することが明らかになった【図3参照】。
(3) 今回作製したC60MC12-有機TFTと、参照試験用として同様の方法で作製したPCBM-有機TFTのトランジスタ出力特性の比較を行い、その電子移動度を求めたところ、C60MC12-有機TFTは、0.067cm2/Vsを達成した【表1参照】。この値は、PCBM-有機TFTの電子移動度0.023cm2/Vsを大きく上回るものであり、塗布法により作製されたn型有機半導体としては最高の値を示した。また、スイッチング素子としての特性を表す電流のon/off比も、1.6 x 105と高い値を示した。
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電子移動度(µ:cm2/Vs)
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on/off 比
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PCBM-有機 TFT
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0.023
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7 × 104
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C60MC12-有機 TFT
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0.067
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1.6 × 105
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表1 C60MC12-有機TFTとPCBM-有機TFTの性能比較
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(4) C60MC12-有機TFTとPCBM-有機TFT双方のフラーレン誘導体のトランジスタ出力特性の違いを明らかにするために、AFM(原子間力顕微鏡)による表面形態およびX線回折による構造評価を行った。その結果、フラーレン誘導体PCBMにおいては熱処理を行ってもアモルファス膜であった。一方、フラーレン誘導体C60MC12においては、適切に導入されたアルキル鎖により自己凝集し、フラーレン頭部が層状に並んだ構造をとった良好な結晶性薄膜であることが分かった【図4参照】。
(5) したがって、電子移動の機構は、フラーレン誘導体C60MC12においては、結晶粒中でC60部位が規則正しく二次元的に配列していることからバンド伝導が支配的であり、フラーレン誘導体PCBMはC60部位が無秩序に並んでいることからホッピング伝導であることがわかった【図4参照】。
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図4 C60MC12-有機TFTとPCBM-有機TFT中の分子配列
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今後は、フラーレン誘導体の薄膜の結晶性をさらに向上させることで、塗布法によるn型有機TFTの特性向上を図っていく予定である。また、今回開発したn型有機TFTを p型有機TFTと同一基板上に作製することで、塗布法による有機相補型MOS(CMOS)回路を作製する予定である。
本研究開発成果は、塗布法で有機電子デバイスを創製するために必須の n型有機半導体トランジスタを作製するための要素材料およびプロセス設計への指針を示すとともに、塗布法により作製されたp型有機半導体(ポリチオフェン)と同程度の電子移動度を達成できたことにより、塗布法で作製可能な有機半導体は、p型とn型が揃ったことになる。これにより、回路設計においても自由度が向上するとともに、より軽量・小型・薄型の有機電子回路の実用化を加速するものである。一方、高い電子移動度を示す有機半導体は、太陽電池やメモリーなどへの応用においても大きな波及効果を有している。