独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という) 活断層研究センター【センター長 佃 栄吉】、海洋資源環境研究部門【部門長 宮崎 光旗】、地球科学情報研究部門【部門長 富樫 茂子】は、米国地質調査所【所長Charles G. Groat】と共同で、過去に千島海溝でプレート間地震が連動し、巨大な津波が発生していたことを明らかにした。
北海道東部太平洋岸では19世紀以降、太平洋プレートの沈み込みによるマグニチュード(M)8程度の地震が繰り返し発生し、地震動と津波による被害を受けたことが記録されている。しかし今回、産総研と米国地質調査所による北海道東部太平洋岸の調査で発見された津波の痕跡(津波堆積物)は、海岸から内陸へ3km以上にわたって分布し、19世紀以降の津波の規模をはるかに上回っている。津波堆積物とともに地層に含まれる火山灰の分析から、巨大な津波は500年程度の間隔で繰り返し発生してきたこと、最近では17世紀に発生したことがわかった。巨大な津波の原因を調べるため、津波のコンピューター・シミュレーションを行ったところ、津波地震による津波では発見された痕跡(津波堆積物)を説明できず、十勝沖・根室沖におけるプレート間地震の連動(M 8.5程度)による津波のみが痕跡(津波堆積物)を説明できた。【図1】本研究によって、北海道南東沖の千島海溝でプレート間地震が連動し、これまでに知られていたよりも大きな規模の地震が発生することが初めて明らかにされた。
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図1.千島海溝における19世紀以降のプレート間地震とそれらの連動による震源域
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※本研究成果は、自然科学系雑誌 nature の8月7日号に掲載された。
産総研では、全国の活断層や海溝で発生する大地震の長期予測を行うため、過去の地震の痕跡を調査・研究している。その一環として平成9年度以来、北海道東部太平洋岸において、過去の津波の痕跡調査を行ってきた。北海道東部の歴史記録は19世紀初頭(西暦1800年頃)以降しかないため、主に地質学的研究手法により、それ以前の地震・津波の履歴の調査を行っている。
北海道南東沖の千島海溝では、太平洋プレートが北海道を載せる陸側プレートの下へ沈み込んでいる。これらのプレートの間で、19世紀には1843年(天保十四年)十勝沖地震(M 8.0)、1894年(明治二十七年)に根室沖地震(M 7.9)が発生、20世紀には1952年十勝沖地震(M 8.2)、1973年根室沖地震(M 7.4)が発生した。このようなプレート間地震は100年程度の間隔で繰り返し発生し、北海道東部太平洋沿岸各地に地震動と同時に津波による被害をもたらしてきた。
釧路支庁浜中町の霧多布湿原では、1952年十勝沖地震津波や1960年チリ地震津波の際に津波が海岸から1km程度遡上し、大きな被害を被った。産総研が米国地質調査所とともに霧多布湿原で行ったボーリング調査によると、現在の湿原環境で形成された泥炭層中には、海岸から3km以上にわたって砂層が少なくとも5枚挟まっており、砂層の分布範囲、砂粒子の特徴や砂層、泥炭層に含まれる珪藻遺骸の分析結果から、これらは過去の津波の痕跡、すなわち津波堆積物であると判断された。この津波堆積物の分布域は、19世紀以降の地震による津波の浸水域よりはるかに広く、過去にこの地域で巨大な津波が複数回発生していたことを示す。
霧多布湿原の泥炭層中には、北海道の樽前山(西暦1739年及び約2500年前)や駒ケ岳(1694年)、中国・北朝鮮国境の白頭山(約1000年前)の噴火から風で運ばれ堆積した火山灰層も見つかっており、これらの堆積年代から過去2500年間に5回の巨大な津波が発生していたこと、最も新しいものは17世紀に発生したことが明らかとなった。さらに、釧路市春採湖におけるボーリング調査によれば、この巨大な津波による堆積物は、過去7000年間程度の湖底堆積物中に15層認められ、500年程度の間隔で繰り返し発生したこともわかった。
17世紀とそれ以前の巨大な津波の堆積物は、根室・釧路・十勝沿岸の合計34ヶ所で行った調査において、海岸から最大4kmまで遡上していることが確認された。【図2】
地震の断層運動による海底の地殻変動を計算し、これから生じる津波の伝播・海岸への遡上をコンピューター・シミュレーションによって推定、津波堆積物の分布との比較を行った。巨大な津波を生じる地震の候補として、十勝沖・根室沖のプレート間地震の連動と津波地震の2つの断層モデルについて、海底の地殻変動を計算した。これを初期条件として非線形長波(浅水波)に基づく津波の数値シミュレーションを行い、沿岸での津波高さ及び遡上域を計算、堆積物の分布と比較した。【図2,3】
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図2.根室・釧路・十勝支庁の沿岸における津波堆積物を含む地層(上)
と海岸からの浸水距離(下)
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シミュレーションによれば、プレート間地震の連動による津波と津波地震からの津波は、ともに沿岸での高さは5~6mと計算された。プレート間地震の連動による津波は霧多布などの湿原で数km遡上し、調査により明らかにされた津波堆積物の分布とほぼ一致する。一方、津波地震からの津波は、湿原にはほとんど遡上しない。これらの計算結果から、プレート間地震の連動のみが、過去の巨大な津波を再現できることがわかった。
西南日本沖合の南海トラフにおいては、過去にプレート間地震が連動して発生したことが研究によって明らかになっている。例えば、昭和(1944、1946年)と安政(1854)には東南海地震と南海地震が時間をおいて発生したが、宝永年間(1707年)には、両方の地震が連動して発生し、地震の揺れや津波も大きかった。本研究結果は、過去に千島海溝でも同様にプレート間地震が連動し、巨大な地震動と津波が発生したことを示す。北海道の地域防災計画では、このようなプレート間地震の連動は想定されておらず、今後、地域防災計画の見直しなどが必要となろう。
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図3.霧多布湿原における津波堆積物の分布とシミュレーションによる浸水域
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産総研では、専門家や自治体の防災担当者による検討を経て、北海道太平洋岸の津波浸水履歴図を作成中である。平成15年度中には完成し、地域防災計画の基礎的資料として公表する予定である。