発表・掲載日:2002/02/26

連続フロー型スピン偏極キセノンガス製造装置を開発

-肺機能診断を瞬時に/脳梗塞予防診断への可能性-

ポイント

  • 世界で初めて、連続フロー型のスピン偏極キセノンガス製造装置を開発
  • 約1万倍の核磁気共鳴信号の高感度化を行うことを可能とする装置
  • 空洞部ガスの画像化を瞬時に行うことを可能とする装置
  • 脳内血流の高精度で迅速な画像化により、脳梗塞予防への貢献が期待される

概要

 独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 吉川 弘之】(以下「産総研」という)光技術研究部門【部門長 小林 直人】は、東横化学株式会社【代表取締役社長加藤 廣久】(以下「東横化学」という)と共同で、産総研が研究したフロー型スピン偏極キセノンガス生成技術を基に、連続フロー型スピン偏極キセノンガス製造装置の開発に成功した。この装置技術によれば、高精度肺機能診断を瞬時に行うことが可能な医療機器が実現され、また、脳内血流の高精度で迅速な画像化により、脳梗塞予防診断技術の実現の可能性が飛躍的に高くなることが期待される。



成果の内容

○実用的なスピン偏極キセノンガスの生成装置は、未だ開発されていなかった。
 これまでは、スピン偏極キセノンガスの製造には、溜め式と通称される、内容積1リットル程度のパイレックスガラスセルを用いた方法が、用いられて来た。これは、光照射用の平面窓を有する直径70mm、長さ150mmの円筒型パイレックスガラスセル中に、アルカリ金属であるルビジウム(Rb)の小片と3気圧程に加圧したキセノン(Xe)ガスを封入し、100ガウス程度の磁場中で約100℃に加熱しておく。このセルに、1/4波長板を通して円偏光にした、波長795nmの半導体レーザー光を照射すると、20分程で偏極率5%程度のスピン偏極キセノンガスが生成される。これまでは、セルに取り付けられたバルブから少量ずつガスを取り出して実験を行ってきた。

○産総研では、高い生成効率でスピン偏極キセノンガスを連続的に製造可能な装置を開発した。
 産総研では、スピン偏極キセノンガスの生成原理をふまえた上で、セル構造・材質に詳細な検討を行った。具体的には、フロー構造とするに際して、レーザー光の吸収係数を大きくするために、偏極セルの加熱温度を200℃~400℃に設定することにより、Rb蒸気圧を高くして、光照射部のセルギャップを1mmにし、偏極率および単位時間当りの製造量を大きくした装置を開発した(特開平11-309126、特開平11-248809)。

○高い生成効率を活かして、スピン偏極ガスの幅広い産業分野での応用技術開発の礎に。
 ここで開発した装置は、偏極率と単位時間当りの製造量を同時に大きくすることが、原理的に可能である点が欧米で開発が進んでいる装置と比較して進歩性がある。従って、世界的にみても、高精度肺機能診断を瞬時に行うことが可能な医療機器や脳内血流の高精度で迅速な画像化による脳梗塞予防診断技術の実用化を大きく加速することになる。また、欲しいときに欲しいだけ偏極したキセノンガスを発生できる点で、MRI装置での利用をより簡単な操作で行うことを可能にする。さらに、触媒など多孔質体の微少な空洞を持つ物質中での空孔サイズ分布やガス動態の解析、高炉用耐火煉瓦内部の"す"の画像化など、医療以外の幅広い産業分野用途でも、この製造装置を利用した応用研究への貢献が期待できる。

 本成果は、第49回応用物理学関係連合講演会【 日程:2002年3月27日(水)~3月30日(土) 開催地:東海大学湘南校舎 】で発表する予定である。

開発した連続フロー型装置の全景写真  単一スキャンで測定したスピン偏極キセノンガスのNMR信号の図
開発した連続フロー型装置の全景(左)
単一スキャンで測定したスピン偏極キセノンガスのNMR信号(右)

研究の背景

 磁気共鳴画像診断装置(MRI)は、測定対象を傷つけることなく内部構造を調べる方法として実用化している。現在では、町の総合病院などで多くの装置が稼働し、X線CTと並んで医療画像診断の現場で活躍している。MRIは、核磁気共鳴(NMR)現象と呼ばれる原子核の磁石としての性質を利用しているが、可視光、X線に比べるとずっとエネルギーの低い、数十メガヘルツ(FMラジオで利用されている周波数帯)の電磁波を照射しており、このことから、低侵襲であるといわれる。しかし、扱っているエネルギーが低いという特徴は、裏返せばNMR・MRIが原理的に検出感度が低いという欠点を持つことを意味している。実際、MRI画像診断が普及したといっても、分解能はX線CTには劣る。また、原子核のうちで磁石としての性質がもっとも強い水素原子核(プロトン、1H)を対象としているので、主に、生体組織中の水分や脂質の水素原子の密度を画像化しており、肺のような密度の低い臓器についてはほとんど利用例がなかった。このような問題に対し、これまでに、高磁場化、コイルやシーケンスの高効率化といった、検出感度の向上を目指した研究は行われてきたが、それぞれ完成の域に達した感がある。さらなる高感度化ということになると、NMR現象の原理まで踏み込んだ新しい高感度化技術の導入なくして、達成できるものでは無いと思われる。このような方向性の研究の一つの具体例として、スピン偏極(Hyperpolarized)と呼ばれる状態の希ガスの利用が注目されている(図1)。この技術により信号強度が数万倍増強された希ガスを利用すると、密度が低く従来はNMR・MRIの対象となっていなかった常圧のガスから、同体積の水と比べても100倍以上強い磁気共鳴信号が得られる。すでに欧米諸国においては、このガスを利用した人の呼吸器や脳、血管を対象としたMRI実験も行われるようになっている。

研究の経緯

 常圧のガスは、密度が低く、従来はNMR・MRIの対象となっていなかった。しかし、希ガス(3He, 129Xe)を、回転偏光により電子スピン系を励起(光ポンピング)したアルカリ金属蒸気と共存すると、同体積の水と比べても100倍以上強い磁気共鳴信号を得られる。90年代終わりに、欧米諸国において、このガスを利用した人の呼吸器や多孔質を対象としたMRI実験も行われるようになったが、わが国においては、この技術を磁気共鳴測定用に提供できる機関がなく、この分野で欧米に後れをとることになった。日本国内においても、広く医療技術・非破壊検査法として基礎研究を行うことができる体制づくりと、高効率なスピン偏極希ガス発生装置の研究開発が急務であるとの認識から、産総研(旧工技院)において、平成9年度から研究を行ってきた。これまでは、海外のグループも含めて、溜め式と通称される、容積1リットル程度のパイレックスガラスセルを用いた方法のみがスピン偏極キセノンガスの製造に用いられて来た。これは、光照射用の平面窓を有する、直径70mm、長さ150mmの円筒型パイレックスガラスセル中に、アルカリ金属であるルビジウム(Rb)の小片と3気圧程度に加圧したキセノン(Xe)ガスを封入し、100ガウス程度の磁場中で約100℃に加熱しておく。このセルに、円偏光にするための1/4波長板を通して波長795nmの半導体レーザ光を照射すると、20分程で偏極率5%程度のスピン偏極キセノンガスが生成される。セルに取り付けられたバルブを開閉してガスを取り出して実験を行っていた。大阪大学医学部、産業医科大学といった外部研究機関のNMR、MRI装置に対し、このスピン偏極ガス発生用バッチと光ポンピング用光学系を導入し、わが国で初めてスピン偏極XeガスのMRI画像の取得に成功した。こうして、医療技術研究の現場でこのガスを生成できることを実証し、当該技術研究の国内での先鞭をつけることとなった。 一方、スピン偏極ガス発生装置の実用化研究開発は、欧米においても進められてきたが、産総研では、独自の非平衡のスキームに基づく連続フロー型の高効率発生装置を提案し、小規模ではあるが、実証実験を行い、今回、東横化学との共同研究により、その具体化に成功した。

スピン偏極希ガスの発生原理と核磁気共鳴分光法の高感度化の図
 図1.スピン偏極希ガスの発生原理と核磁気共鳴分光法の高感度化

今後の予定

 今後は、この製造装置の偏極率および単位時間当りの製造量を更に大きくするための研究開発を行い、また、偏極したガスの輸送に最適な材質を探求する。また、開発した装置を利用して、高精度肺機能診断を瞬時に行うことが可能な医療機器や、脳内血流の高精度で迅速な画像化による脳梗塞予防診断技術の実用化を目指して、国内外の医療技術研究機関との共同研究を発展させる。さらに、触媒など多孔質体の微少な空洞を持つ物質中での空孔サイズ分布やガス動態の解析、高炉用耐火煉瓦内部の"す"の画像化など、医療以外の幅広い産業分野用途にも、この製造装置を応用する予定。



用語の説明

◆核磁気共鳴法(NMR)
磁気共鳴は、原子核や電子のように自転する荷電粒子がミクロの磁石(これをスピンと呼ぶ)としての性質に量子力学を導入したモデルで説明されている。熱平衡状態の磁気共鳴観測の場合の感度について説明する。図1中の右上に簡単のためスピン量子数が1/2の核(1H, 3He, 129Xeなどがある)について示した。これらのスピンを持つ原子核の集団に静磁場をかけると、磁場の強さに比例した2つの異なったエネルギーを持ったものに分かれる。これらのエネルギー差は、スピンの向きが静磁場の方向と平行か反平行かの配向に対応しているが、このエネルギー差は、熱エネルギーに比べると非常に小さい。熱平衡状態では、ボルツマン分布に従ってこれらの数分布が決まるが、これら2つの占有数はほぼ同数となり、これらの差は、0.01%程度にしかならない。さて、これらのスピンを集団として観測した場合、平行スピンと反平行スピンの対がうち消してしまい、結果として差の平行スピンの部分(熱平衡磁化、緑色の陰をつけた部分)しか観測にかからないことになる。従来のNMRにおいては、この熱平衡磁化に180°, 90°などのラジオ波パルスを印加し元の状態に戻ってくるときに生じる電磁波をコイルで検出しているが、この信号の大きさは、この磁化に比例する値を超えることは決してなかった。すなわち、今までは、そこに存在するスピンのうち0.01%しか観測していなかったことになる。もし、何らかの方法によりスピンの配向を平行か反平行のどちらかに大きく偏らせる(偏極)ことができたならば、このときの観測される磁化は、原理的には最大で数十万倍の磁気共鳴信号を与える計算となる。このような状態は、熱エネルギーが非常に小さい極低温で実現できるが、測定対象を冷却することができない場合には、この方法は利用できない。[参照元へ戻る]
◆光ポンピング法
電子スピンの偏極は、1950年頃にA. Kastlerにより発見された、光のエネルギーを巧妙に利用した、光ポンピング法とよばれる方法で得られる。まず、原子の外殻電子にスピンの偏極状態を作り出す。この際、ルビジウム(Rb)のようなアルカリ金属原子が利用される。Rbの価電子は5s軌道電子1個であるが、この電子の磁場中でのスピン状態は、外部磁場に平行なスピン(-1/2)と反平行なスピン(+1/2)から成り、これらは核スピンの場合と同様に熱平衡状態ではほぼ同数存在する。ここで795nmの波長の光を照射すると電子はs軌道からp軌道へ励起される。このとき、ヘリシティ+1を有する右旋性の回転偏光を照射したとすると、この光が吸収されるためには運動量保存則から、電子のスピン状態に+1の角運動量の変化が伴わねばならない。このためには、平行スピンから反平行スピンヘの遷移が要求され、平行スピンから平行スピンの遷移は禁制される。即ち、この条件化ではs軌道にある平行スピンのみが、p軌道の反平行スピン状態に励起されることとなる。電子スピンの励起状態は、元の状態(基底状態)に戻るが、この場合は角運動量の制約を受けないので、戻るスピン状態は平行と反平行の両者が同程度に可能である。結局、このようなスピン量子数選択的な吸収・放射プロセスにより、s軌道の平行スピンがどんどん減少し、反平行スピンが増加することとなる。こうして、電子スピンの偏極が得られる。[参照元へ戻る]
◆スピン偏極希ガスの発生原理
光ポンピング法を利用したスピン偏極希ガスの生成と核磁気共鳴(NMR, MRI)測定への適用については、図1に示した。この時、アルカリ金属蒸気と共に希ガスを混合しておくと、偏極状態をアルカリ金属の電子から希ガスの原子核に移すことができる。ここで希ガスは単原子分子でありNMRの緩和時間(特に縦緩和時間, T1)が極端に長いため、偏極移動の効率が悪くても時間をかけることにより、NMR測定に十分な偏極移動が達成できる。こうして得た偏極状態の希ガスからRbを除いたのち、NMRサンプル管や小動物の肺・胃などに導入して測定を行なっている。[参照元へ戻る]
◆連続フロー型スピン偏極キセノンガス製造装置
従来の装置の枠組みの中では、性能評価は偏極の度合い(偏極率)のみを対象としていた。今回の開発では、生成効率を評価の物差しにすると、比較しやすい。これは、偏極率(%)と単位時間に得られるガス容積(cc)の積を、照射パワー(W)、およびレーザ照射部を通過する時間(秒)で規格化した値である(例:0.5%・0.15cc/15W・1sec)。尚、溜め式の場合は、偏極率(%)と内容積(cc)を照射パワー(W)、レーザ照射時間(sec)で規格化した値となる(例:2%・200cc/15W・1200sec)。レーザ照射強度を100倍にとった場合は、フロー型は、溜め式と比較して100倍の生成効率となる。その主な理由は、溜め式の場合には、せっかく生成されたスピン偏極キセノンガスが、レーザ光照射されていない側のセル壁で、消滅していくためである。[参照元へ戻る]
◆スピン偏極希ガスのMRIによる画像化
Ar以外の希ガスは、核スピンを持つ同位体を含んでいるが、スピン偏極状態を生成する目的で使用されるのは、スピン量子数が1/2の3Heと129Xeが主である。これは緩和時間が長いことや同位体濃度の高い試料が得られることが理由である。3Heの磁気回転比は1Hの3/4で、1.5TのMRI装置では、共鳴周波数は48.4MHzであるのに比べて、129Xeでは、17.7MHzと低く、感度の点から3Heの方が有利である。129Xeは、縦緩和時間が3Heよりやや短く、高い偏極率が得られないのが欠点である。しかし、Xeの水への溶解性はHeのそれより10倍程度高く、さらに、Xeは、水よりも油や脂質エマルジョンに5-20倍良く溶ける。これらのことから、ガスからの信号を検出する空洞部分の画像化には3Heが有利であるが、様々な媒質中での信号が検出できるので、媒質についての情報が得られる点で、129Xeの利用も利点がある。3Heは天然存在比では、10-4%と非常に少ないが、極低温実験等でも利用されてきているので、高濃度のものが市販されている。一方、129Xeは天然存在比が26.4%あり、同位体濃縮を行わなくても磁気共鳴実験に使用可能である。[参照元へ戻る]
◆高精度肺機能診断
空洞画像取得としての肺イメージング法は、ラットや人について検討されているが、肺の空洞中のガスであっても、局部的な自由空間の容積や酸素濃度、あるいは肺表面の状態などにより緩和時間が変化するので、臨床応用例の蓄積により肺換気能はじめ肺胞表面の病態などに関した新しい診断法の開発が大いに期待できる。放射性の133Xeガスを使った肺換気シンチグラフィーと比べて、放射線管理の煩わしさや被爆の危険が無いので将来的に有望である。[参照元へ戻る]
◆脳内血流の画像化
血液脳関門を含めて生体膜を自由に通過できるキセノン(Xe)は、化学的にも不活性で代謝を受けないことから、血中に溶解して様々な臓器の灌流測定に利用できる。すでに、RI動態機能検査として、放射性の133Xeを用いて腎臓や心臓の灌流測定および局所脳血流量(rCBF)測定が行われているが、同様の実験が、スピン偏極129Xeを用いれば放射線なしで行えるはずである。また、スピン偏極129Xeを吸入したラットの測定から、Xe NMRパラメータは周囲の物理・化学環境に大きく依存し、化学シフトはガスに比べて約200ppmのピークを与え、さらに、血漿・脂肪中、肺胞組織層、赤血球と結合したものと、3個のピークが明瞭に分離できることが知られている。緩和時間も違いが大きく、ヘモグロビンの酸化(動脈血液)、および、非酸化(静脈血液)とで約3倍異なる。この性質を応用することで、組織の局所血流や酸素代謝、さらに詳細な代謝産物濃度の変化など、組織機能の高感度計測への応用が期待されている。このような脳画像取得の上での問題点は、血液などに溶解したXeのT1が10-20秒とガスに比べて非常に短くなることである。今後の課題としては、血管中を移動している間のスピン偏極Xeの緩和を防止すること、及び、発生させるガスの偏極率そのものを上昇させることがある。すでに、人工血液として有名なPFOBのエマルジョンやリン脂質からなるマイクロバブルにスピン偏極129Xeを包含させて、血管への直接注入が検討されている。3Heについても、直径が5-10µmの高分子マイクロスフェヤーに吸わせて、血管造影が検討されている。[参照元へ戻る]

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