独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)生物プロセス研究部門【研究部門長 田村 具博】では、ロドコッカス(Rhodococcus)属細菌を用いた宿主ベクター系の研究開発を独自に進めてきた。このたびの遺伝子組換え生物の研究開発時の取り扱いなどに関係する文部科学省の告示*)改正において、新たに認定宿主ベクター系の一つとして、この産総研が開発した系が追加された。本告示は2014年7月1日付けで施行された。
現在、医薬品原料や組換えタンパク質といった有用物質の生産では遺伝子組換え技術は極めて重要であり、そのための基盤的技術として多様な宿主ベクター系が開発されている。中でも認定宿主ベクター系は、使用実績や科学的知見の集積を踏まえて文部科学大臣が定めるものであり、有用性が高い。今回の宿主ベクター系の追加により、遺伝子組換えロドコッカス属細菌を用いた研究開発時、特に実用化段階での大量培養試験時に、法令の定める拡散防止措置の内容が一定の条件下で簡素化され得る。これにより医薬品原料や組換えタンパク質などの有用物質の実用化研究開発の効率化が期待される。さらにロドコッカス属細菌の利用が促進され、産業界での新たなイノベーション創出につながると期待される。
*)「研究開発に係る遺伝子組換え生物等の第二種使用等に当たって執るべき拡散防止措置等を定める省令の規定に基づき認定宿主ベクター系等を定める件の一部を改正する告示」(2014年3月26日公示)
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図1 ロドコッカス属細菌(Rhodococcus erythropolis)の透過型電子顕微鏡写真 |
遺伝子組換え技術は、インスリンや産業用酵素などの有用物質生産に幅広く導入されており、他の生産方法に比べて経済性や効率の点で優れることが多いため、今後もそのニーズの拡大が予想される。
遺伝子組換え技術による物質生産には、宿主ベクター系と呼ばれる生産の主体となる微生物などの細胞(宿主)と生産する物質の遺伝子を宿主に導入する媒体(ベクター)のセットが必要で、さまざまな用途に応じたものが開発されている。宿主には、大腸菌や酵母などの微生物が用いられることが多い。これらは技術的経験の蓄積が豊富で、宿主ベクター系のラインアップも多様であるため汎用性・有用性が高く、多くの場合このような宿主ベクター系が用いられる。しかし、低温のようなこれまでとは異なる生育環境で生産できる新しい宿主ベクター系の開発が望まれてきた。
また、遺伝子組換え生物には法令による厳密な規制があり、生物の多様性に及ぼす影響を考慮して取り扱いや保管には特別の条件(法令上は「拡散防止措置」と呼ばれる)が要求される。認定宿主ベクター系は、使用実績や科学的知見の集積を踏まえて文部科学大臣が定めるもので、拡散防止措置の内容が一定の条件下で簡素化され得るために有用である。
産総研では、有用物質の生産など多目的に利用できる新規プラットフォームとして微生物を宿主とした系を開発してきた。ロドコッカス属細菌を利用した宿主ベクター系の研究開発は、2000年に開始され、旧 生物遺伝子資源研究部門遺伝子発現工学研究グループの田村 具博(現 生物プロセス研究部門 研究部門長)、中島 信孝(現 東京工業大学 准教授)、三谷 恭雄(現 生物プロセス研究部門生物資源情報基盤研究グループ 主任研究員)を中心に2012年まで行われ、種々の物質生産に適用してきた。
これまでに、メルシャン株式会社との共同研究によりこの宿主ベクター系を用いて、ビタミンD水酸化酵素を高効率に生産する系を確立した(2007年8月23日産総研プレス発表)。また、旭化成ファーマ株式会社との共同研究では、ミゾリビンの血中濃度測定に使用できる酵素を開発した(2008年11月20日産総研プレス発表)。
なお、本研究開発の一部は、文部科学省科学技術振興調整費「国研活性化プログラム(平成12~14年度)」、文部科学省「新世紀重点研究創生プラン」の一環として行われた「タンパク3000プロジェクト(平成14~18年度)」による支援を受けて行った。
微生物には、染色体とは別の遺伝情報を保持するプラスミドと呼ばれる小型のDNAを持つものがある。プラスミドには、遺伝子工学的手法で比較的容易に他の生物の遺伝子などを組み込めるため、宿主ベクター系の重要な鍵である。産総研では、ロドコッカス属細菌から、異なる複製機構を持つ2種類のプラスミド(pRE2895とpRE8428)を取得し、独自の宿主ベクター系を構築してきた。選択マーカー(抗生剤耐性遺伝子)や外来遺伝子を導入するマルチクローニングサイトをプラスミド上に複数用意することで発現ベクターの構築を容易にし、同一細胞にpRE2895由来とpRE8428由来の2種類のベクターを保持させて複数の宿主外タンパク質の同時生産を可能とした。一方、宿主のロドコッカス属細菌は、汎用宿主に対し細胞壁を分解する目的で使用する卵白などに含まれるリゾチームに強い抵抗性を示すため細胞の破砕が困難であったが、リゾチームに対する抵抗性を低下させた改変株(Rhodococcus erythropolis L-88株)も産総研で独自に開発し、細胞内で生産した組換えタンパク質の回収を容易にした。さらに、ロドコッカス属細菌由来のトランスポゾンを利用したベクター(pTNR)も開発しており、遺伝子破壊による宿主の改変や多種多様な外来遺伝子をゲノムへ挿入することも可能となっている。ロドコッカス属細菌では世界各国の大学や企業などで複数のベクターの開発が進められているが、今回は上記のpRE2895、pRE8428、pTNRに含まれる因子を基本骨格として持つベクターのみが認定宿主ベクター系として追加されている。厳密には、改正後の告示では「Rhodococcus erythropolis又はR. opacusを宿主とし、pRE2895、pRE8428及びpTNRの核酸又はこれらの誘導体をベクターとするもの」が認定宿主ベクター系として追加されている。
宿主となるロドコッカス属細菌(特にRhodococcus erythropolis)は増殖温度域が広いこと、有機溶媒に対する耐性を持つこと、多様な生物触媒機能を持つこと、さらにはそのゲノムのGC含量が高く生産対象物遺伝子のGC含量が高い場合にも適用できることなどの、他の宿主にみられない特徴を持つ。これらの特徴を活かすことで、既存の汎用宿主ベタクー系では生産が困難なタンパク質の生産に成功している(図2)。他にも、産総研では、国内外の大学・研究機関や民間企業などから多数の依頼を受けて本宿主ベクター系を提供しており、その結果として、着実な利用の拡大と遺伝子組換え微生物としての取り扱いなどに関する技術的経験の蓄積がなされてきたものと考えられる。
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図2. ロドコッカス属細菌の特徴と宿主ベクター系の利用 |
以上のような実績の積み重ねにより、2014年3月26日に官報に公示された「研究開発に係る遺伝子組換え生物等の第二種使用等に当たって執るべき拡散防止措置等を定める省令の規定に基づき認定宿主ベクター系等を定める件の一部を改正する告示」において「認定宿主ベクター系について、市販品として広範に研究開発分野で利用されている宿主およびベクターの組合せに関する使用実績等の知見を踏まえ、新たな組合せ」が追記され、産総研で開発が行われてきたロドコッカス属細菌を用いた宿主ベクター系も含まれることとなった。この告示は、2014年7月1日付けで施行された。
今回の公示への追加を機会に、遺伝子組換えロドコッカス属細菌を用いた有用物質の実用化に向けた研究開発が効率化され、さらにロドコッカス属細菌の利用が促進されることで、産業界での新たなイノベーション創出が期待される。
今回の宿主ベクター系の産業利用を加速するため、さらなる生産性の向上や回収コストの低減など改良に向けた研究開発を行う。また、ロドコッカス属細菌の中には、抗菌物質を生産する菌など多様な能力を持つ菌や、難分解性の環境汚染物質に対する分解能をもつ菌などが多数見つかっており、今回の宿主ベクター系を利用した遺伝子組換えにより微生物本来の機能を強化することで、有用物質生産だけではなく環境浄化への用途拡大も目指す。
独立行政法人 産業技術総合研究所
生物プロセス研究部門
研究部門長 田村 具博 E-mail:t-tamura*aist.go.jp(*を@に変更して送信下さい。)