独立行政法人 産業技術総合研究所【理事長 野間口 有】(以下「産総研」という)光技術研究部門【研究部門長 渡辺 正信】強相関フォトエレクトロニクスグループ 長谷川 達生 研究グループ長らは、独立行政法人 理化学研究所【理事長 野依 良治】(以下「理研」という)と共同で、有機トランジスタ内でキャリアー(電子および正孔)の動きを妨げる要因を評価・解析する手法(トラップ密度分布解析法)を開発した。
有機トランジスタは、軽量で折り曲げ可能な電子ペーパーやディスプレーを製造するための基本デバイスとして、世界中で盛んに研究開発が行われている。特に印刷技術を用いたデバイス製造が可能なことから、大面積の情報端末の普及を促す新技術として期待されている。今回、有機半導体が主に炭素や水素などの軽元素からなり、デバイス内を流れるキャリアーのスピンの向きが変化しにくいことに着目し、スピンを探針(プローブ)として、キャリアーの動きを妨げる要因であるキャリアートラップ(トラップ)の深さや数密度を測定・解析する手法を開発した。
この開発によって、これまで困難だった性能劣化の原因を特定することが可能になり、印刷技術により電子ペーパーやフレキシブルディスプレーを製造する技術の研究開発が大きく加速されることが期待される。なお、詳細は米国物理学会誌 Physical Review Letters 2010年2月5日号(Phys. Rev. Lett. 104, 056602 (2010).)に掲載された。
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電子スピンを探針とする有機トランジスタのキャリアー状態の評価
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近年、有機トランジスタは、軽量で折り曲げ可能な電子ペーパーやフレキシブルディスプレーを製造するための基本デバイスとして、世界中で盛んに研究開発が行われている。特に印刷技術によるデバイス製造が可能なことから、省エネルギー・省資源・高生産性プロセスの実現に直結し、また、大面積の情報端末を爆発的に普及させる新技術として期待されている。特にここ数年、新材料や印刷法を用いたデバイス製造技術の開発が進むなど、実用化・事業化に向けた研究開発が着実に進展している。
有機トランジスタの問題点のひとつは、既存のシリコン系デバイスと比べ、デバイスの評価・解析が難しく、性能劣化の原因を特定することが容易でないことにある。有機トランジスタの実用化には、性能を改善、安定化させる技術の開発が不可欠である。このため、有機トランジスタ内のキャリアーの動きを妨げる要因であるキャリアートラップを調べる手法の開発が求められていた。
産総研では、有機トランジスタ内のキャリアーの動きを電子スピン共鳴(ESR)法により調べる研究を進めてきた。これまでにキャリアーの運動によりESRスペクトルが尖鋭化する現象の観測に世界で初めて成功し、これをもとに、キャリアーがトラップによる捕捉と解放とを繰り返しながら運動する機構(トラップ-リリース機構)を明らかにした。(Phys. Rev. Lett. 100, 126601 (2008).)
産総研は、キャリアーが全てトラップに凍結された状態にある低温のデバイスについて、理研(理論解析を担当)と共同でESRスペクトルの解析方法の開発を進め、今回の成果を得た。なお本研究の一部は文部科学省・科学研究費補助金による支援を受けて行われた。
有機トランジスタは、プラスチックフィルム上に、ゲート電極、高分子ゲート絶縁層、有機半導体層、ソース/ドレイン電極を積層し作製した。低温でのESR測定は、室温でゲート電圧を加えてキャリアーを蓄積したのち、20K(-253℃)の低温まで冷却して行った。
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図1 有機トランジスタの構造
キャリアーは有機半導体中をソース電極からドレイン電極に向かって流れ、有機半導体内の欠陥や不純物がその動きを妨げる原因となる。
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室温付近のESRスペクトルは、ゲート電圧や温度の変化によって信号の線幅が変化する「運動による尖鋭化(Motional Narrowing)」を示すが、低温(50K以下)では、線幅は温度を変えても変化しなくなる。これはデバイス内のキャリアーが冷却によって熱運動のエネルギーを失い、トラップに捕えられ動けなくなるためである。そのため、低温でトラップに捕えられたキャリアーのESRスペクトルを解析すれば、トラップの様子を詳しく調べることが可能になる。特に、有機材料は大きな核スピンを持つ水素原子を多数含むため、水素原子の核スピンとの超微細相互作用により、トラップの広がりの中に含まれる水素の数に応じたガウス型スペクトルを与えると考えられる。本グループはこの点に着目し、低温のESRスペクトルを、各トラップによるガウス型スペクトルの重ね合わせと考え、これらのガウス型スペクトルを分離することによって、各トラップ状態の数密度分布を得ることができた。
確率最適化法(Stochastic Optimization Method)を用いた数値解析により、デバイス内のトラップは、①1.5分子程度の広がりを持つ狭くて深いトラップ、②5分子程度に広がった比較的浅いトラップ、③6-20分子程度に大きく広がった浅いトラップの3種類に分類できることが分かった(図2)。またトラップの深さは広がり度合いから求めた。
本研究で開発したトラップ密度分布解析法は、有機トランジスタ内のキャリアーが持つスピンを探針とし、トラップ広がりや深さに対する状態密度を、数meV(ミリエレクトロンボルト)の浅い領域まで調べることができる。このような浅いトラップは、有機デバイスの動作を決定づける最も重要な要因である。
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図2 低温ESRスペクトルとその解析により得られた各トラップ状態の数密度分布
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図3 有機半導体内でキャリアーがトラップに捕えられながら運動する様子
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今回開発した解析法が、有機トランジスタの標準的な評価法として研究開発の現場で幅広く活用されることにより、これまで困難だった性能劣化の原因特定が可能になり、有機トランジスタを実用化するための研究開発、さらには印刷技術による軽量で折り曲げ可能な電子ペーパーやフレキシブルディスプレーの実用化が飛躍的に加速されると期待される。
なお、本研究で開発したESRスペクトルによる有機半導体電子状態分布解析プログラムについては、企業・大学等での利用ができるよう体制を整えている。