生産効率を一気に世界水準にしたアンモニア合成用触媒(1926年)
第一次大戦後、アンモニア・硝酸合成技術の開発を目的に設立された臨時窒素研究所が開発した合成用触媒は、1ヶ月0.5トン程度だったアンモニアの生産量を、1日5トンにまで引き上げるもので、研究所設立からわずか8年でヨーロッパ水準に追いついた功績は一大センセーションでした。この研究開発は、後身の東京工業試験所に引き継がれ、昭和6年、国内初のアンモニア合成技術「東工試法」として昭和肥料(株)【現 (株)レゾナック・ホールディングス】で企業化されました。