国立研究開発法人産業技術総合研究所(以下「産総研」という)地質情報研究部門 松岡 萌 研究員、山本 聡 研究グループ長は、月面のイルメナイト(FeTiO3、チタン鉄鉱)含有量をより正確に推定するためのデータ整備を行いました。
月面に存在するイルメナイトは水や酸素、鉄、チタンが得られることなどから、月における有人活動を支える重要資源に位置付けられています。月面のイルメナイト分布には偏りがありますがその詳細はいまだ明らかではなく、その分布情報は月面基地建設の候補地選定など、月における資源開発のための手がかりとして重要です。月探査衛星のリモートセンシングによる反射スペクトルデータの解析は、イルメナイトの分布を知るための強力な手段の一つです。しかし、イルメナイトは他の主要構成鉱物との混合比率によってスペクトルの特徴が著しく変化することから、従来の解析手法ではその含有量を正確に推測することが困難でした。
今回、イルメナイトが混在した月のレゴリスを再現するために、月に存在するものと同等の粒径に粉砕したイルメナイトと輝石を混合し、反射スペクトルデータを取得する実験を実施しました。輝石に対するイルメナイトの質量比率を1 %以下まで細かくコントロールして混合し、0 %から最大50 %まで最大25段階で混合比を変えながら反射スペクトルデータ解析を行うことで、イルメナイトを含有する混合物の分光特性を明らかにしました。併せて、実験試料の形状観察および化学組成分析を行うことで、信頼性の高い月探査スペクトルデータ解析に有効なデータ基盤を整備しました。
この結果を用いることで、月の探査衛星から得られるハイパースペクトルデータ解析によるイルメナイトの含有量推定の精度が向上し、月の資源開発推進に貢献します。
なお、この技術の詳細は、2026年2月24日に「The Planetary Science Journal」に掲載されます。
近年、国際宇宙探査が活発化する中で、地球から最もアクセスしやすい天体である月は、現実的な産業利用拠点として注目が高まっています。イルメナイトは月の玄武岩に多く含まれ、水や酸素、鉄、チタンが得られます。これらの物質は、⼈類が⽉⾯で基地建設をしたり有⼈活動を続けたりするのに必要不可⽋な資源です。
イルメナイトは月面に偏在していますが、その詳細な分布はいまだ明らかではなく、これを明らかにすることは、月面基地建設の候補地選定などの月における資源開発に欠かせません。また、科学的側面からもイルメナイトは重要な物質と言えます。月の形成・進化過程が完全には解明されていない中、「月の海」をはじめとする月面を形成する主要な鉱物である玄武岩中のイルメナイトは、月の内部情報を記録している、いわば「月マグマからのボトルレター」だからです。イルメナイトが月のマグマ組成を明らかにし、月の形成進化プロセスを明らかにする鍵を握っていると言っても過言ではありません。
月面のイルメナイトの分布を知るための手段としては、リモートセンシングによる反射スペクトルデータの解析が有力ですが、次のような課題がありました。まず、イルメナイトはごく微量を他の鉱物に混合するだけで、混合岩石の近赤外域反射スペクトルデータ解析結果に影響を及ぼすことが示唆されています。しかし、その分光特性は定性的および定量的に解明されていませんでした。さらに、既存のハイパースペクトルデータに基づくイルメナイトの判定指標は、指標を構成する実験的な検証データの精度不足により定量性に改善の余地があり、計測可能な濃度範囲が狭く実用に適しませんでした。
産総研では、紫外域から赤外域におよぶハイパースペクトルデータが取得可能な、室内分光測定実験システムの開発を進めています。月探査衛星で取得されたハイパースペクトルデータを用いたイルメナイトの分布解析に関する研究についても成果を出しています(2025年3月17日 産総研プレス発表)。可視光線および近赤外線(波長500 nmから2500 nm付近)の反射スペクトルを用いた解析により、月面でイルメナイトが濃集する地点の判別に成功しました。
月探査衛星が取得したハイパースペクトルデータを用いて月面のイルメナイトの含有量を正確に推測するためには、月面に存在する他の岩石鉱物とイルメナイトの混合物の分光特性を、正確に把握することが不可欠です。今回は開発中の室内分光測定実験システムを活用して、月面の輝石とイルメナイトの共存状態を、さまざまな混合比の実験試料を作製することで実験的に再現し、紫外域から近赤外域までのスペクトルデータ解析を行いました。
本研究では、リモートセンシングで月面のイルメナイト含有量およびその分布を正確に知るための基礎データを整備する目的で、さまざまな混合率のイルメナイト混合粉体を試料として作製しました。イルメナイトと混合させる岩石鉱物としては、輝石および玄武岩を用いました。イルメナイトに輝石を混合した場合は比較的純粋な混合状態を再現し、玄武岩を混合した場合はより月面の環境に近い混合状態を再現しています。輝石または玄武岩に対するイルメナイトの質量比率を1 %以下まで細かくコントロールして混合し、0 %から最大50 %まで最大25段階で混合比を変えながら反射スペクトルデータを取得することで、イルメナイトを含有する混合物の分光特性を明らかにしました。特にイルメナイトはそれ単体では非常に暗く、輝石などの明るい鉱物に対して少量でも混合した場合、暗化と呼ばれる現象が強く生じることが知られていました。 本研究では、緻密な混合実験を通じてイルメナイトの暗化の性質を明らかにし、これがハイパースペクトルデータに与える影響を定量的に解明しました(図1)。

図1 輝石にイルメナイトを混合した時の反射スペクトルの変化。特にイルメナイトが少量(質量比が<9 %)のとき、反射率の減少が顕著であることがわかる。800 nmから850 nmの波長領域は分光計の検出器切り替えに起因する強度変動が見られるため、グラフから除外した。
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。
また、輝石(または玄武岩)100 %の状態からイルメナイト含有量を増加させていく量的な「混合実験」と平行して、イルメナイト100 %の状態から輝石(または玄武岩)が占める表面積を増加させていく面的な「マスキング実験」という独自の新規アプローチも採用しました(図2)。混合実験では月の海の玄武岩の典型的な組成を想定して、イルメナイト含有量の大小によってハイパースペクトルがどのようなバリエーションを示すのか明らかにすることを目指しました。一方、マスキング実験では視点を変えて、月面のイルメナイトリッチな領域に玄武岩的な物質が降り積もった場合に起こり得るスペクトル変化を調べました。低重力環境で大気を持たない月面では、もともと表面の岩石に含まれていた輝石が隕石衝突などを受けて飛ばされ、一部が近くのイルメナイトリッチな領域上に降り積もるようなことが起こり得ます。このマスキング実験の結果、イルメナイト反射スペクトルに特徴的な900-nmピーク形状は輝石や玄武岩の影響を受けず、イルメナイトの判別に有用であることが分かりました。

図2 マスキング実験の試料(左):顕微鏡下で、イルメナイト粉末の上に玄武岩粉末(図中の白っぽい点、1点の面積は0.6 mm2程度)を静置し、その都度反射スペクトルを取得した。黒い正方形のホルダ1辺が3 cm。反射スペクトル取得エリアは白点線で示した、ホルダ中央円形部分内1 cm角程度の領域内部。取得したスペクトル(右):玄武岩の増加に伴って明るさや全体の形状が変化していくが、縦点線で示した900-nmピーク形状は判別が容易であることが分かる。
さらに本研究では、紫外域のスペクトル形状とイルメナイト量との相関が良く、線形の対応関係を示すことを見いだしました(図3)。これは、輝石や玄武岩のスペクトルは、もともと紫外域に強い吸収帯を持つため紫外域の反射率に限ってはイルメナイトと同程度に低く、その結果紫外域ではイルメナイト混合による暗化が起こらず、輝石・玄武岩・イルメナイトそれぞれのスペクトルの吸収帯の強弱が主に混合スペクトルに影響したためと考えられます。従来の、月面のイルメナイト量推定に用いられることの多かった可視・近赤外スペクトル指標はイルメナイト量との相関が非線形的であり、特にイルメナイトが多い領域でのイルメナイト量推定が困難でした。月の海のイルメナイト量を推定するためのハイパースペクトルデータ解釈では、スペクトル指標に紫外線反射率を含めることで精度良い推定が可能となることを初めて定量的に示しました。

図3 輝石や玄武岩にイルメナイトを混合した時の紫外域におけるスペクトル形状の変化(左):ここで示したスペクトル傾きは波長250 nmの反射率に対する285 nmの反射率の比とした。イルメナイト含有量の増加に伴って紫外域でスペクトル傾きが線形に減少することがわかる。輝石や玄武岩にイルメナイトを混合した時の可視・近赤外域におけるスペクトル形状の変化(右):ここで示したスペクトル傾きは波長550 nmの反射率に対する1800 nmの反射率の比とした。イルメナイト含有量の増加に伴って可視・近赤外域でスペクトル傾きが非線形的に減少するため、イルメナイト量がおよそ10 %を超えるとイルメナイト含有量の判別がかなり難しくなる。
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。
月はサイエンスのみならず産業利用や資源探査の対象として近年さらに注目が高まっており、国内外の民間企業の技術開発も活発化しています。本研究の成果はこうした活動の土台となる資源鉱物に係る月の地質情報を提供するものです。今後、他の月主要構成鉱物も用いてイルメナイト混合に関する室内実験を展開し、鉱物反射スペクトルデータベースの構築および月における鉱物組成分布に関する情報を明らかにする予定です。これにより、具体的な採掘候補地点の絞り込みに必要な月資源に係る知的基盤整備を目指します。
掲載誌:The Planetary Science Journal
論文タイトル:UV-Vis-NIR reflectance spectra of ilmenite mixtures: Implications for estimation of TiO2 content in lunar mare regions
著者:Moe Matsuoka & Satoru Yamamoto
DOI:https://doi.org/10.3847/PSJ/ae3746