- 唾液中の六つの物質が慢性的な睡眠不良の指標となることを発見
- 唾液中の物質をもとにした睡眠不良の判定とピッツバーグ睡眠質問票による判定が86.6%の確率で合致
- 非侵襲的な判定が可能で、自宅や職場、高齢者施設でのヘルスケアへの応用を期待

慢性的な睡眠不良を判定するための非侵襲バイオマーカーの開発
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)細胞分子工学研究部門 大石勝隆 上級主任研究員、人間情報インタラクション研究部門 甲斐田幸佐 主任研究員と、国立大学法人 茨城大学 学術研究院 応用生物学野 豊田淳 教授、吉田悠太 講師は、慢性的な睡眠不良を唾液で判定する技術を開発しました。
睡眠障害は、うつ病などの精神疾患や生活習慣病の発症リスクを高めることが知られています。しかし、毎日の睡眠の状態については簡易デバイスを用いて比較的簡便に客観的な計測ができる一方、慢性的な睡眠障害の診断は困難で、ピッツバーグ睡眠質問票(PSQI)や睡眠日誌などの被検者の主観に依存した手法が中心となっています。
今回、慢性的な睡眠不良を判定するための非侵襲的なバイオマーカーを探索するために、PSQIスコアが2点以下の睡眠に問題のない被検者50名と、PSQIスコアが6点以上の睡眠不良の被検者50名から唾液を採取し、CE-FTMSによるメタボローム解析を行いました。唾液中で検出できた683代謝物の濃度情報をもとにランダムフォレスト解析(機械学習の一つ)を実施し、睡眠に問題のない被検者と、睡眠不良の被検者を判別するために重要な六つの代謝物を明らかにしました。これらを用いて判別モデルを作成したところ、PSQIスコアによって判定した睡眠不良者を86.6%の確率で判別できることがわかりました。
この成果は慢性的な睡眠不良を客観的かつ非侵襲的に評価できるのみならず、PSQIでは困難とされている日々の睡眠の状態の変化を評価できる可能性もあります。今後は、バイオマーカーとなる代謝物を計測するための試薬キットや簡易デバイスを開発し、睡眠のセルフヘルスケア技術として確立することにより、日常生活における睡眠の質の把握や、自宅や職場、高齢者施設などでの健康管理に活用されることが想定されます。
なお、この研究成果の詳細は、2025年4月21日に英国ネイチャーパブリッシンググループ「Scientific Reports」オンライン版に掲載されます。
社会の24時間化や高齢化に伴い、睡眠に対する社会の関心が高まっています。日本においては、成人の5人に1人が睡眠に満足していないといわれています*1。睡眠障害とは、睡眠や覚醒に関連するさまざまな疾患の総称で、慢性的な睡眠障害はうつ病などの精神疾患や生活習慣病の発症リスクを高めることが知られています。最近では、市販のウエアラブルデバイスを用いて日ごとの睡眠時間や睡眠の質を簡便に計測することができるようになりました。しかし、満足と感じる睡眠の量や質には大きな個人差が存在し、慢性的な睡眠障害を評価するには各人の長期的な睡眠の状態を評価する必要があります。現在、長期的な睡眠の状態を評価する手法としては、PSQIなどの質問票や睡眠日誌などの被検者の主観に依存した自己評価が中心となっています。
PSQIは医師による診断時や、スクリーニング時に活用されている睡眠障害を判定するための質問票の一つです。PSQIでは、被検者自らが、過去1カ月における睡眠の質や睡眠時間、日中覚醒困難などの7項目について主観的な評価を記入し、それぞれの項目につけられた点数(0~3点)の合計点(0~21点)で睡眠障害の度合いが判定されます。合計点が6点以上の場合、睡眠障害と評価され、場合によっては医師による診断の材料になります。PSQIはエビデンスも多く世界中で利用されていますが、その結果が被検者の主観に依存するため一定のバイアスがかかることや経時変化が得られにくいなどの問題もあります。そのため、うつ病などの疾患の発症につながるような慢性的な睡眠不良を客観的に評価することは、現状では困難であると考えられます。
産総研では、健康寿命の延伸に向けた個人の心身状態のモニタリング技術や医療機関での早期受診を促す技術の開発を目指した研究プロジェクトの中で、慢性的な睡眠不良による疾患発症リスクの高まりを早期発見するための非侵襲バイオマーカーの開発を行ってきました。これまでに、精神的なストレスや慢性疲労が口内炎のきっかけとなることに着目し、慢性的な睡眠不良が口腔内環境を変化させる可能性を検討しました。産総研で独自に開発した慢性的なストレス性睡眠障害モデルマウスと健常マウスから採取した唾液を用いて、CE-FTMSによるメタボローム解析によって唾液中に含まれる代謝物の違いを調べた結果、さまざまな代謝物の量が、睡眠障害の負荷によって変化していることが明らかとなりました*2。そこで今回、ヒトの唾液において、慢性的な睡眠不良によって影響を受ける代謝物を同定し、慢性的な睡眠不良を客観的に評価するためのバイオマーカーの開発を目指すことにしました。
なお、本研究開発は、産総研の情報・人間工学領域、生命工学領域、他3領域で進める次世代ヘルスケアサービス研究ラボが推進する領域融合プロジェクトの一環として行われました。
本研究では、薬やサプリメントなどの摂取をしていない45~60歳の日本人男性730名を対象としてPSQIによる睡眠の評価を行い、そのうち睡眠に問題のない(PSQI ≦ 2)対照群50名と睡眠に問題があると考えられる(PSQI ≧ 6)睡眠不良群50名から起床後の唾液を採取し、CE-FTMSによるメタボローム解析によって唾液中に含まれる代謝物の解析を行いました。検出された683種類の代謝物のうち、半数以上の被検者で検出された435代謝物のデータを用いてランダムフォレスト解析を行いました(図1)。ランダムフォレスト解析によって対照群と睡眠不良群を判別するために重要な六つの代謝物が明らかになりました(図2左)。これらの代謝物を用いて睡眠不良を予測する判別モデルを作成し(ROC曲線)、AUCを用いて判別性能を評価しました(図2右)。その結果、PSQIスコアによって判定した睡眠不良者を86.6%の確率で判別できることがわかりました。六つの代謝物の中には、腸内または口腔内の細菌由来と考えられるものも含まれており、これらの細菌と睡眠不良の関連性が示唆されました。
本成果は慢性的な睡眠不良を客観的かつ非侵襲的に評価できるのみならず、PSQIでは困難とされている睡眠状態の経時変化を評価できる可能性も考えられます。将来的には、睡眠障害患者の診断や治療効果の判定などへの応用も考えられます。また、自宅における慢性的な睡眠不良に対するセルフケアへの活用や、学校や職場、高齢者施設などでの睡眠管理にも活用されることも想定されます。

図1 睡眠不良の唾液バイオマーカー開発の流れ

図2 唾液中の六つの代謝物の測定により86.6%の確率で睡眠不良が判定可能
※原論文の図を引用・改変したものを使用しています。
唾液中の六つの代謝物を簡便に計測できる試薬キットや簡易デバイスの開発を行います。また、今回の被検者には、深刻な睡眠障害によって治療を受けている患者は含まれておらず、今後は睡眠障害患者を対象として評価を行い、睡眠障害の診断や治療効果の判定への活用についても検討します。
掲載誌:Scientific Reports
論文タイトル:Potential non-invasive biomarkers of chronic sleep disorders identified by salivary metabolomic profiling among middle-aged Japanese men
著者:Katsutaka Oishi, Yuta Yoshida, Kosuke Kaida, Kozue Terai, Hiroyuki Yamamoto, Atsushi Toyoda
DOI:10.1038/s41598-025-95403-1
発明の名称:「睡眠不良を評価するためのバイオマーカーパネル」
出願番号:特願2024-153011
出願日:2024年9月5日
*1:令和元年国民健康・栄養調査報告(厚生労働省、2020年12月)より
*2:Oishi K, Yajima Y, Yoshida Y, Hagihara H, Miyakawa T, Higo-Yamamoto S, Toyoda A. Metabolic profiles of saliva in male mouse models of chronic sleep disorders induced by psychophysiological stress. Sci Rep 2023;13:11156.