プラスチックや有機半導体など高機能有機材料の特性を精緻に制御するには、材料内部の微細構造を分子レベルで解明することが不可欠です。しかし、これまで有機材料中の化学結合や分子の位置を分子レベルで特定できる技術がありませんでした。
東北大学多元物質科学研究所の陣内浩司教授と宮田智衆講師ら、産業技術総合研究所ナノ材料研究部門の千賀亮典主任研究員、大阪大学産業科学研究所の末永和知教授、防衛大学校応用物理学科の萩田克美講師のグループは、電子線による分子振動マッピング法を独自に開発し、炭素に対する水素と重水素の化学結合の違いを見分けることで、有機材料中に存在する重水素標識分子の空間分布を3 nmの分解能でイメージングすることに成功しました。本技術により、有機材料の精密な構造解析が可能となり、高性能かつ高機能な材料の開発が加速すると期待できます。
本研究成果は、2025年3月24日(英国時間)に、科学誌Nature Nanotechnologyに公開されます。
研究の背景
有機材料は、木材や繊維、プラスチック、ゴム、液晶、有機半導体、さらには医薬品に至るまで、私たちの身の回りで広く利用されています。これら多様な有機材料の性能を最大限に引き出し、品質を厳密に管理するためには、その構造と特性を分子レベルで精確に分析する必要があります。しかし、有機材料の内部構造、特に個々の分子の結合や形態、空間分布を把握することは、それらが同種の化合物の中に埋もれていることから極めて困難です。
この課題に対する有効な手法として、重水素標識法(注4)があります。この手法は、有機化合物の水素をその安定同位体である重水素で標識しても化学的性質が大きくは変わらないという特性を活かし、特定の官能基や分子のみを選択的に標識してその空間分布を計測することを可能にします。しかし、従来の重水素標識の観察法、例えば中性子イメージング(注5)や核磁気共鳴イメージング(MRI)(注6)では空間分解能(注7)が不十分であるため、標識された官能基や分子の正確な位置を分子スケールで特定することはできませんでした。
今回の取り組み
本研究グループは、独自に開発した透過型電子顕微鏡法(注8)技術を用いることで、高分子試料中の水素と重水素の空間分布を3 nm分解能で識別することに成功しました。従来の透過型電子顕微鏡法を用いたイメージングでは、水素と重水素が区別されずに観察されるため、これらの空間分布を分離して可視化することはできません。しかし、極めて高いエネルギー分解能を有する透過型電子顕微鏡を用いて電子エネルギー損失分光法(EELS)(注9)を行うと分子振動スペクトル(注10)を得ることが可能となり、炭素–水素(C–H)結合および炭素–重水素(C–D)結合の伸縮振動エネルギーの違いから、水素と重水素を識別できるようになります。さらに、試料に照射する電子線を原子サイズまで絞り込み、大きな角度に散乱された電子のみを分光する暗視野EELSという方法を使うことで、理論上サブナノメートル(約0.3 nm)の分解能でC-H結合とC-D結合をイメージングすることが可能となりました(図1)。

図1. 本研究で開発した手法の概要
この重水素イメージング技術の有効性を実証するため、重水素化ポリスチレン(dPS)と非重水素化ポリ(2-ビニルピリジン)(P2VP)からなるブロック共重合体(注11)dPS-block-P2VP薄膜を対象にイメージングを行いました(図2)。従来の環状暗視野走査透過型電子顕微鏡法(ADF-STEM)(注12)では、dPSとP2VPドメインがナノスケールで交互に配列するラメラ構造が観察されました。これに対し、今回開発した技術を用いてC–D結合とC–H結合の伸縮振動ピーク強度をマッピングしたところ、予想されていた通り各ドメインを明確に識別することに成功しました。さらに、dPSドメインがP2VPドメインをわずかに侵食している様子が明らかになりました。粗視化分子動力学法(粗視化MD)(注13)による計算から、これは表面エネルギーの微小な差異によりdPSがP2VPの膜表面に回り込んだ構造を観察したものであることがわかりました。このような分子レベルの局所構造の特定は、従来の分析技術では困難だったものです。

図2. ブロック共重合体の分析例1
次に、dPSと非重水素化ポリスチレン(PS)によるブロック共重合体dPS-block-PSについても本手法により分析を行いました(図3)。dPSとPSは炭素原子骨格が同一でその化学的性質が極めて近いため、各ブロック鎖がドメインを作らず分子レベルで混合した状態をとります。さらに、ADF-STEMによる観察ではdPSとPSが区別されずに観察されるため、試料内部での各ブロック鎖の空間分布を見分けることはできませんでした。しかし、今回開発した手法を用いてC–D結合とC–H結合の伸縮振動ピーク強度をマッピングすることで、各成分の不均一な分布を鮮明にイメージングすることに成功しました。それぞれのマップには10 nm以下の微細構造が多く含まれており、粗視化MD計算と組み合わせることで、この微細構造がレプテーションモデルにおいて高分子鎖が運動するチューブの太さに由来している可能性が示唆されました。DNAなどの生体高分子と比べてチューブが細い合成高分子においては、レプテーションチューブの直接観察は既存の分析技術では不可能であり、その存在を実験的には実証できていませんでした。本研究成果は、高分子科学の根幹をなすレプテーションモデルの実証に向けた非常に大きな一歩です。

図3. ブロック共重合体の分析例2
今後の展開
本研究で開発した分析手法は、レプテーションモデルのような基礎理論の実証にとどまらず、産業界における有機材料開発にも多大な貢献をもたらす可能性があります。例えば、高分子産業では樹脂やゴムなどの材料の物性や加工性を精密に制御するため、通常2~7成分程度の化学物質を混合しています。今回開発した手法を応用することで、こうした複雑な構造中においても、特定の化学結合や化学物質の空間分布を高精度で同定できるようになると予想されます。このような分子レベルの構造情報を得ることで、これまで解明が困難であった高分子材料の巨視的な物性や破壊特性の微視的起源を明らかにできる可能性があり、その結果、より高性能かつ高機能な材料の開発につながると期待されます。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST(JPMJCR1993、JPMJCR20B1)、同 さきがけ(JPMJPR2009)、日本学術振興会(JSPS)科研費(JP21H05235、JP22H00329、JP23H00277)、European Research Council “MORE-TEM”の助成を受けて行われました。中性子散乱実験は、東京大学物性研究所 附属中性子科学研究施設が運営するJRR-3全国共同利用一般課題(21404)において実施されました。
タイトル:Nanoscale C–H/C–D mapping of organic materials using electron spectroscopy
著者:千賀亮典*、萩田克美*、宮田智衆、王孝方、眞弓皓一、陣内浩司*、末永和知
*責任著者:東北大学 多元物質科学研究所 教授 陣内浩司、産業技術総合研究所ナノ材料研究部門 主任研究員(大阪大学 産業科学研究所 招へい准教授 兼任)千賀亮典、防衛大学校 応用物理学科 講師 萩田克美
掲載誌:Nature Nanotechnology
DOI:10.1038/s41565-025-01893-5
URL:https://www.nature.com/articles/s41565-025-01893-5