トリウム229原子核は、自然界で最小の8.4 電子ボルトの励起状態(アイソマー状態)を持ち、レーザーを使って励起することができる原子核です。この特性を利用して、超高精度時計「原子核時計」(注2)を作ることができます。これを用いることで、測位システムや測地学をはじめとするさまざまな応用に加えて、基礎物理研究のための重要なプラットフォームを実現できると期待されています。
原子核は環境の影響を受けにくいため、固体に埋めこんでも高精度を保つことが可能で、「固体原子核時計」の実現が期待されています。しかし、これまでは固体中のアイソマー状態がどのようにして脱励起する(基底状態に戻る)のか、また、どうやってその寿命を短くする(強制的に基底状態に戻す)のか、が大きな課題でした。
岡山大学異分野基礎科学研究所の吉村浩司教授、吉見彰洋准教授、平木貴宏研究助教、高輝度光科学研究センター(JASRI)の依田芳卓主幹研究員、永澤延元研究員、京都大学複合原子力科学研究所の瀬戸誠教授、北尾真司准教授、理化学研究所の山口敦史専任研究員、重河優大特別研究員、羽場宏光室長、玉作賢治チームリーダー、大阪大学大学院理学研究科の笠松良崇教授、産業技術総合研究所(産総研)の渡部司上級主任研究員、ウィーン工科大学のThorsten Schumm教授らの共同研究グループは、大型放射光施設「SPring-8」(注3)の高輝度X線を用いて、固体結晶中のトリウム229をアイソマー状態に励起し、それが基底状態に戻る際の光を観測することに成功しました。この際、アイソマー状態のほぼすべてが光を発して遷移することを確認し、その寿命とエネルギーを測定しました。さらに、X線照射によってアイソマー状態の寿命を10分の1程度に短くできることを発見しました。これは、固体結晶中のアイソマー状態を外部から制御できることを示すものです。
これらの成果により固体原子核時計の実現に向けて大きく前進が期待されます。本研究成果は、7月16日午後6時(日本時間)、英国学術雑誌「
Nature Communications」にオンライン掲載されます。
<研究の背景>
《トリウム229原子核時計》
自然界には約3300種以上の原子核が存在します。このうち最も低い励起エネルギーを持つ原子核がトリウム229(原子番号Z=90、質量数A=229)です。アイソマー状態と呼ばれるこの状態と基底状態の間のエネルギー差はわずか8.4 eV(注4)であり、レーザーでも励起可能なエネルギー領域にあります。ちなみに、通常の原子核はkeVやMeVの励起エネルギーを持つため、トリウム229のアイソマー状態は極めて特異な存在といえます。
この特異なアイソマー状態のエネルギーは外界の影響を受けにくく、極めて安定なため、これを基準に使うと既存の原子時計を上回る高精度な時計「原子核時計」を構築することができると考えられています。原子核時計は全地球測位システム(GNSS; Global Navigation Satellite System)や地殻変動の観測をはじめとする測地学の進歩を可能にすると期待されています。また基礎科学の観点からは、暗黒物質(注5)の探索や、物理定数の経年変化(注6)を探索する舞台(プラットフォーム)として威力を発揮すると考えられています。
《固体原子核時計》
従来の原子時計では、固体に埋めこんだ原子は内部電場の影響を強く受けるため精度のよい時計を作るのが困難でした。一方、原子核は環境の影響を受けにくいため固体結晶などに埋めこんだ状態でも高精度を保つことが可能になります。これにより、コンパクトで持ち運びが容易な固体原子核時計が実現できると期待されています。その実現のためには、固体内におけるトリウム229原子核の励起・脱励起プロセスおよびその環境の影響を知り、それをコントロールすることが必要です。大きな課題のひとつであるレーザー励起に関しては、つい最近ドイツの研究所によって達成されました(J.Tiedau et al.,Phys. Rev. Lett. 132, 182501 (2024))。今後は脱励起プロセスの解明、その制御が大きな課題となっています。
<研究成果の内容>
本研究では、大型放射光施設「SPring-8」の放射光X線を用いることにより、固体結晶中に埋めこんだトリウム229のアイソマー状態を生成し、その脱励起の詳細を調べ、X線照射によりその寿命が変化する現象(クエンチ現象)を新たに発見しました。
《研究方法の詳細》
本研究は「SPring-8」のBL19LXUの高輝度X線を用いて行われました。図1に示すように、最初にトリウム229は基底状態にありますが、これに約29 keVのエネルギーを持つX線を照射すると、いったん第二励起状態に遷移したのちに、その半分以上はアイソマー状態に遷移します。遷移は原子核共鳴散乱(注7)と呼ばれる手法を使って確認します。この手法は、2019年に我々のグループが開発したもので、産総研が開発したX線エネルギー絶対値測定装置の導入により、X線のエネルギーをわずかに変化させるだけで、アイソマー状態の生成をコントロールできるのがこの手法のメリットです。今回はその手法を固体結晶中に埋めこんだトリウム229に適用してアイソマー状態を生成しました。ここで使用した固体結晶はフッ化カルシウム(CaF2)にトリウム229を埋めこんだもので、ウィーン工科大学との共同研究で開発されたものです。この固体結晶に、第二励起状態のエネルギーに合わせたX線を照射して、固体結晶内のトリウム229をアイソマー状態にし、その脱励起の光を観測しました。この光の波長は、8.4 eVのエネルギー差に相当する148 nmで、真空紫外光と呼ばれ、空気中ではすぐに吸収されてしまいます。使用したフッ化カルシウム結晶はこの波長域の光でも透過可能です。
図2は横軸に入射X線のエネルギー、縦軸に観測した信号を表したものです。上は信号として共鳴散乱したX線(従来の方法)を、下は真空紫外光(新しい方法)を採用したものです。同じX線のエネルギーで信号が増えているのが観測され、固体結晶中にトリウム229のアイソマー状態が生成されており、真空紫外光を発光して基底状態に戻っている(脱励起している)ことが分かります。
アイソマー状態の脱励起の時間変化を示したのが図3の右で、横軸は、X線を照射してからの時間、縦軸は真空紫外光の信号になります。アイソマー状態の数が半分になる時間(半減期)が約450秒で、信号が減少しているのが見えます。図3の左図はX線の照射時間を変化させたときの、照射直後の信号(アイソマー生成量に相当)の変化を表しています。点線のように半減期に応じた曲線で徐々に増加すると予想していましたが、実際はすぐに一定値に達して増加しなくなりました。これは、X線照射中にアイソマー寿命が減少していることを表しており、アイソマー状態がX線照射により強制的に脱励起していることを表しています。我々はこれをクエンチ現象と呼んでいます。図4はX線のビーム強度を変化させたときのクエンチ現象を、照射するX線量を変えることで、クエンチ現象の倍率、すなわちアイソマー寿命を制御できていることを示しています。
図1 トリウム229準位図(関係する基底状態及び励起状態)
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図2 上:第二励起状態からのX線散乱信号(図1-①)、
下:アイソマー状態からの真空紫外光信号(図1-②)
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図3 右:アイソマー状態からの真空紫外光の時間変化、左:X線照射直後の真空紫外光(アイソマー状態の生成数に相当)のX線照射時間による変化。下はフィットからのずれ(残差)。
図4 ビーム強度を変化させたときの、クエンチ倍率(寿命がQF分1になる)の変化
<本研究の意義と今後の発展>
本研究の意義のひとつは、固体結晶中に埋めこんだトリウム229をX線によって励起することに成功し、その脱励起光を観測した点にあります。固体結晶中に埋めこむと、光を出さずに電子を放出する遷移(内部転換過程)で脱励起する可能性もありましたが、今回の観測により、ほぼすべてのアイソマー状態が光遷移で基底状態に戻ることが示されました。またX線照射によりアイソマー状態の寿命が制御可能なことが分かりました。これらは固体原子核時計の実現に必要な情報であり、その実現に大きく前進したということができます。今後、この手法を進化させて、さらにその詳細を明らかにして、高精度のレーザー(開発中)と組み合わせることで、原子核時計を実現していくことを目標にしています。
論文名:Controlling 229Th isomeric state population in a VUV transparent crystal
掲載紙:Nature Communications
著者:Takahiro Hiraki1, Koichi Okai1, Michael Bartokos2, Kjeld Beeks2, Hiroyuki Fujimoto3, Yuta Fukunaga1, Hiromitsu Haba4, Yoshitaka Kasamatsu5, Shinji Kitao6, Adrian Leitner2, Takahiko Masuda1, Ming Guan1, Nobumoto Nagasawa7, Ryoichiro Ogake1, Martin Pimon2, Martin Pressler2, Noboru Sasao1, Fabian Schaden2, Thorsten Schumm2, Makoto Seto6, Yudai Shigekawa4, Kotaro Shimizu1, Tomas Sikorsky2, Kenji Tamasaku8, Sayuri Takatori1, Tsukasa Watanabe3, Atsushi Yamaguchi4, Yoshitaka Yoda7, Akihiro Yoshimi1 & Koji Yoshimura1
1Research Institute for Interdisciplinary Science, Okayama University, Okayama, Japan.
2Institute for Atomic and Subatomic Physics, TU Wien, Vienna, Austria.
3National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST), Tsukuba, Japan.
4RIKEN, Wako, Japan.
5Graduate School of Science, Osaka University, Toyonaka, Japan.
6Institute for Integrated Radiation and Nuclear Science, Kyoto University, Kumatori-cho, Japan.
7Japan Synchrotron Radiation Research Institute (JASRI), Sayo-cho, Sayo-gun, Hyogo, Japan.
8RIKEN SPring-8 Center, Sayo-cho, Sayo-gun, Hyogo, Japan.
DOI:10.1038/s41467-024-49631-0
本研究は、独立行政法人日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(JP18H04353, JP18H01230, JP19K14740, JP19K21879, JP19H00685, JP21H01094, JP21H04473, JP22K20371, and JP23K13125)、伊藤科学振興会、稲盛財団、EU-ERC(No.856415 (nuClock)), 20FUN01-TSCAC, FWF(I5971 (REThorIC) and P 33627(NQRclock ))の支援を受けて実施しました。