オリーブに含まれる希少成分「オレアセイン」に、神経炎症モデルマウスのうつ行動を抑制する効果があることを見いだしました。この効果は、脳内における神経栄養因子レベルの上昇および神経炎症の抑制によりもたらされることが示唆されました。
効果が不安定な現行の抗うつ薬を代替しうるものとして、天然由来化合物の探索が進められています。中でも、神経炎症やうつ病の予防・治療に関与するとされる脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現を誘導する受容体TrkBを活性化する化合物への期待が高まっています。オリーブに含まれる希少成分「オレアセイン(OC)」は、抗炎症作用を有する化合物「オレオカンタール」と類似の構造であることから、炎症から誘導されるうつ病に対して有望だと考えられます。そこで、本研究では、OCが神経炎症およびうつ病に与える影響の解明を目的に、分子生物学的解析に取り組みました。
その結果、ヒト神経細胞モデルSH-SY5YへのOC処理により、BDNF遺伝子発現量が上昇しました。その網羅的遺伝子発現解析では細胞周期や神経新生/成熟が活性化し、炎症応答性が低下しました。また、マウスへのOC経口投与においても脳内BDNF発現量が上昇し、OCがTrkBに対し高い結合親和性を有することが明らかになりました。OCを10日間毎日経口投与したマウスに、神経炎症性のうつを誘発させるリポ多糖(LPS)を腹腔内投与したところ、OC投与によるうつ行動抑制が確認されました。OC投与は、脳海馬において、LPSが誘導した炎症性サイトカイン(TNFα、IL1β、IL6)の遺伝子発現量上昇を抑制し、同時にBDNF発現量低下も抑制しました。脳海馬の網羅的遺伝子発現解析では、OC投与はLPSにより誘導された神経栄養因子シグナル伝達経路関連遺伝子発現量の低下を抑制することが示唆されました。以上から、神経炎症性のうつに対するOCの抑制作用が明らかになりました。
筑波大学 生命環境系
礒田 博子 教授
産総研・筑波大 食薬資源工学オープンイノベーションラボラトリ
富永 健一 副ラボ長
うつ病は世界中で多くの患者が存在し、現在も増え続けている精神疾患です。重度のうつ病は自殺の主要な原因にもなります。うつ病の対症療法である抗うつ薬の主なものは、脳内における神経伝達物質(ドーパミン、セロトニン、ノルアドレナリン)の量を上昇させる機能を持ちますが、これによりうつ病が緩和する割合は半数程度で、効果が高いとは言えない上、重篤な副作用も示すこともあります。
神経炎症はうつ病の原因の一つとして広く知られています。オリーブ由来化合物であるオレオカンタール(OL)は、イブプロフェンと同様に強力な抗炎症作用を示すことから、OLと構造が似ているオレアセイン(OC)は抗炎症活性が期待されていましたが、OCは希少であるため、その機能性に関する研究は遅れていました。近年、本研究グループは、この希少成分OCを、オリーブ葉に豊富に含まれているオレウロペイン(ポリフェノールの一種)から、固体触媒を用いて簡便に直接製造する技術の開発に成功しました。
脳由来神経栄養因子(BDNF)は、脳海馬で神経炎症と神経新生を制御する重要な神経ペプチドです。BDNFは、その高親和性受容体であるトロポミオシン受容体キナーゼB(TrkB)を介して作用し、さらなるBDNFの発現を誘導するに伴い、神経可塑性の維持、神経成熟、神経分化、生存を制御する上で重要な役割を果たしています。また、脳海馬におけるBDNFはうつの発症と関連しており、炎症によりBDNF発現量が著しく低下すると、うつを発症します。一方で、うつ病の予防・治療ではBDNF発現量が上昇するため、脳内でのBDNF/TrkBシグナル伝達とうつ病との関連性が指摘されています。これらの知見から、BDNF/TrkBシグナル伝達経路を標的にすることで、うつ病の予防・治療が可能になると考えられます。今回、本研究グループは、OLを含め保有する多種多様な天然由来化合物群の中からTrkBアゴニスト注1)をスクリーニングし、特にOCの活性が高いことを見いだしました。さらにヒト神経細胞モデル注2)、ヒト神経炎症細胞モデルおよび神経炎症モデルマウスを用いて、OCの作用機序の解明を試みました。
始めにOCのTrkBアゴニスト活性を検討しました。ヒト神経細胞モデルSH-SY5YにOCを24時間処理したところ、BDNF遺伝子発現量が上昇しました。さらにBDNF/TrkBシグナル伝達経路活性の阻害下で、OCのBDNF遺伝子発現量上昇が抑制されたことから、この経路へのOCの関与が強く示唆されました。また、BDNF発現の状態を非侵襲で観察するためBdnf IRES AkaLucマウス注3)へOCを単回経口投与したところ、投与後8時間で脳内BDNF発現量が上昇しました。表面プラズモン共鳴(SPR)注4)解析によりOCのTrkBへの結合親和性を検討したところ、天然のTrkBアゴニストとしてすでに知られている7,8-DHFよりも高いTrkB結合親和性が確認されました。さらに、OCのTrkB結合部位は、Trp317、Ile334、Leu324、Glu326、Thr332のアミノ酸残基で構成され、水素結合を形成していることが、ドッキングシミュレーション注5)で示唆されました。DNAマイクロアレイ注6)によるOC処理SH-SY5Y細胞の網羅的遺伝子発現解析から、細胞周期関連遺伝子や神経新生/成熟関連遺伝子の発現量が上昇し、炎症応答性関連遺伝子発現量が低下していることが分かりました。
次に神経炎症下でのOCの影響を検討しました。OCをマウスへ10日間毎日経口投与した後、神経炎症誘導活性を持つリポ多糖(LPS)を腹腔内投与しました。その翌日、うつ行動を評価するため尾部懸垂試験(TST)注7)を行った結果、このマウスのうつ行動が抑制されました。さらに、マウスから脳海馬を採取し、OCの作用機序を解析しました。OC経口投与は、LPSから誘導された炎症性サイトカイン(TNFα、IL1β、IL6)の遺伝子発現量上昇を抑制し、同時にBDNF発現量低下も抑制しました。脳海馬の網羅的遺伝子発現解析を行ったところ、OC投与はLPSにより誘導された神経栄養因子シグナル伝達経路関連遺伝子発現量(PI3K/AktやMAPK等)の低下を抑制し、炎症性サイトカイン産生関連遺伝子発現量の上昇を抑制していると考えられました。また同様にSH-SY5Y細胞でもLPSが誘導したNF-κBシグナル伝達経路の活性化を介したTNFα発現量の上昇がOCにより抑制されることが網羅的遺伝子発現解析で示唆されました。以上のことから、OCはTrkBを介してBDNF発現を誘導し、また炎症性サイトカイン発現を抑制することで、うつ行動を抑制することが示唆されました(参考図)。
本研究により、マウスにおける神経炎症誘導性うつに対するオレアセイン(OC)の抑制効果が明らかになりました。今後、OCを活性成分とした食品素材の開発を視野に入れ、ヒト介入試験を行う予定です。
図 オレアセインの抗うつ活性メカニズム(概要)
オレアセイン(OC)はTrkBを介して、PI3K/AktおよびMAPK(MEK/ERK)のシグナル伝達経路を活性化し、脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現量を上昇させ、神経新生、神経可塑性、生存維持、神経成熟へ寄与することが示唆された。産生したBDNFはさらにTrkBを介してBDNF発現を促進する。一方、リポ多糖(LPS)はToll様受容体4(TLR4)を介し、NF-κBシグナル伝達経路を活性化することで炎症性サイトカイン(TNFα、IL6、Il1β)の産生を誘導する。それらが脳の神経炎症を誘導し、うつを発症させる。OCによるTrkB活性化は、NF-κBシグナル伝達経路活性化を抑制し、続く炎症性サイトカイン産生を抑制することで、神経炎症性のうつを抑制すると考えられる。
本研究は、科学技術振興機構(JST)「共創の場形成支援プログラム(課題番号:JPMJPF2017)」の支援を受けました。
【題名】A rare olive compound oleacein functions as a TrkB agonist and mitigates neuroinflammation both in vitro and in vivo
(オリーブ希少成分オレアセインはTrkBアゴニストとして機能し、in vitroおよびin vivoの両方で神経炎症を緩和する)
【著者名】Daiki Wakasugi, Shinji Kondo, Farhana Ferdousi, Seiya Mizuno, Akira Yada, Kenichi Tominaga, Satoru Takahashi, and Hiroko Isoda
【掲載誌】
Cell Communication and Signaling
【掲載日】2024年6月4日
【DOI】10.1186/s12964-024-01691-x