現在の超伝導量子プロセッサには数百個の量子ビットが集積されていますが、真に有用な量子コンピュータの実現にはこれより桁違いに多くの量子ビットが必要です。東京医科歯科大学教養部の越野和樹准教授、産業技術総合研究所量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター量子デバイス計測チームの猪股邦宏チーム長の研究グループは、マイクロ波光子を超伝導人工原子に1回反射させるだけで両者のもつ量子ビットを交換できることを実証しました。これは、マイクロ波光子を用いて複数の量子プロセッサをつなぎ、量子ビット数を飛躍的に増やす分散型量子コンピュータの鍵となる技術です。この研究は、科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発プログラム目標6「2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現」(JPMJMS2061、 JPMJMS2062、 JPMJMS2067)、文部科学省科学研究費補助金(22K03494)、ならびに科学技術振興機構(JST)さきがけ研究(JPMJPR1761)の支援の下で行われたもので、その研究成果は、国際科学誌Physical Review Appliedに、2024年5月23日正午(米国東部時間)にオンライン版で発表されます。
近年、大規模量子コンピュータの実現を目指して、量子情報の担い手である量子ビットを多数集積した量子プロセッサの国際的な開発競争が進んでいます。量子ビットの物理的実装にはさまざまなものがありますが、超伝導回路を用いる超伝導量子ビットは最も開発の進んでいるものの一つであり、現在では数百個の超伝導量子ビットを内包する量子プロセッサが作製されています。しかし、真に有用な量子コンピュータを実現するには、これより桁違いに多い量子ビット数が必要となります。ところが、配線や発熱といった技術的問題のため、一つの量子プロセッサに集積できる量子ビット数には上限があり、現状からの劇的な改善は期待できません。そこで、光子のように動く粒子を量子ビットとして用いて、複数の量子プロセッサを接続することにより、量子ビット数を飛躍的に増大させる分散型量子コンピュータが有力な解決策として期待されています。
超伝導人工原子は超伝導状態にある非線形LC回路※1によって実現され、回路の基底状態|g>と第一励起状態|e>を量子ビットとして用います。つまり、超伝導量子ビットの状態は、両者の重ね合わせとしてα1|g>+α2|e>と表されます(α1,α2は複素係数)。一方、マイクロ波光子としては二種類のキャリア周波数(10.208および10.266ギガヘルツ)をもつ単一光子※2を用い、低周波状態|ωL>と高周波状態|ωH>を量子ビットとして用います。つまり、マイクロ波光子の状態は、両者の重ね合わせとしてβ1|ωL>+ β2|ωH>と表されます(β1,β2は複素係数)。今回の研究で用いたデバイスでは、超伝導人工原子が共振器を介して導波路に結合しています(図1)。超伝導人工原子を適切な周波数および強度をもつマイクロ波でドライブし、それに合わせてマイクロ波光子を導波路から入射すると、反射後に両者の量子情報が交換します。すなわち、反射後の超伝導量子ビットは状態β1|g>+ β2|e>に、マイクロ波光子量子ビットは状態α1|ωL>+ α2|ωH>にそれぞれ変化します。量子コンピューティングの言葉では、これは二量子ビットの交換(SWAP)ゲートと呼ばれる動作です。
今回の研究では、超伝導人工原子とマイクロ波光子の間で双方向の量子状態転送が実際に起こっていることを実験的に確認しました。これまでに、超伝導人工原子からマイクロ波光子へ、あるいはマイクロ波光子から超伝導人工原子へと、一量子ビットを一方向へと転送するスキームの報告はありますが、二量子ビットを交換する双方向転送は今回初めて実証されました。
マイクロ波光子から超伝導人工原子への転送実験では、任意の始状態(β1|ωL>+ β2|ωH>)にあるマイクロ波光子を基底状態|g>にある超伝導人工原子に入射し、反射後の超伝導人工原子の量子状態を測定します。本来の交換ゲートではマイクロ波として単一光子を入射しますが、本研究では微弱コヒーレント光※2パルス(平均光子数0.1程度)を入射し、反射後の超伝導人工原子状態の平均光子数依存性から単一光子入射に対する結果を推定しました。図2は6種類の入射マイクロ波状態に対する反射後の超伝導人工原子の密度行列※3を示しています。マイクロ波光子の始状態と超伝導人工原子の終状態がよく一致しており、確かに量子ビットが転送されていることを確認できます。6種類の入力状態に対する忠実度※4の平均値は0.826です。
超伝導人工原子からマイクロ波光子への転送実験は次のように行います。まず予備的に、超伝導人工原子およびマイクロ波光子の始状態を|g>および|ωL>(|e>および|ωH>)とした場合について、反射後のマイクロ波パルスの振幅ζL(ζH)を測定しておきます。次に任意の始状態 α1|g>+ α2|e> に準備した超伝導人工原子に対し、単色のマイクロ波光子|ωL>(|ωH>)を入射し、反射後のマイクロ波パルスの振幅ξL(ξH)を測定します。これら4種類の出力振幅の重なり積分を計算することにより、反射後のマイクロ波光子の終状態を推定できます。図3は6種類の超伝導人工原子の始状態に対する反射後のマイクロ波光子の密度行列を示しています。超伝導人工原子の始状態とマイクロ波光子の終状態がよく一致しており、確かに量子ビットが転送されていることを確認できます。6種類の入力状態に対する忠実度の平均値は0.801です。
図1 本研究で用いたデバイス。(a)概念図。超伝導人工原子と共振器が結合しており、それぞれに導波路が結合している。ポート2から超伝導人工原子へのドライブ波を印加し、それと同時にポート1からマイクロ波光子を入射する。|0>,|1>,|2>は共振器中の光子数状態をあらわす。(b)顕微鏡写真。右下挿入図は超伝導人工原子の拡大写真。
図2 マイクロ波光子から超伝導人工原子への転送実験結果。異なる6種類のマイクロ波光子始状態に対する、超伝導人工原子終状態の密度行列(実部および虚部)を示している(正値は赤,負値は青,ゼロは点線)。各パネル右上の数字Fは転送の忠実度を表す。
図3 超伝導人工原子からマイクロ波光子への転送実験結果。異なる6種類の超伝導人工原子始状態に対する、マイクロ波光子終状態の密度行列(実部および虚部)を示している(正値は赤,負値は青,ゼロは点線)。各パネル右上の数字Fは転送の忠実度を表す。
近年の集積化技術の進展により、一つの量子プロセッサに数百個の量子ビットを搭載できるようになりました。今回の成果は、超伝導量子ビットと伝搬性のあるマイクロ波光子量子ビットの容易な交換方法を実証するものであり、複数の量子プロセッサを接続する分散型量子コンピュータの実現に向けた具体的方法を提供するものです。今回実証した超伝導人工原子とマイクロ波光子との相互作用方式には次のような特長があります。(1)今回のデバイスで用いた超伝導人工原子-共振器結合系(図1)は、超伝導量子プロセッサでは標準的に採用されている構成です。つまり、今回実証した相互作用方式を、最新の超伝導量子プロセッサに直ちに適用することができます。(2)超伝導人工原子に印加するドライブ波の周波数・強度を調整することで、ゲートの種類を自在に制御することができます。一例として、今回の相互作用方式を「量子ビット交換」から「量子もつれ生成」に容易に変更することができます。これらの特長を活かした「分散型」超伝導量子計算に向けたさまざまな応用が期待されます。
掲載誌:Physical Review Applied
論文タイトル:Bidirectional state transfer between superconducting and microwave-photon qubits by single reflection
越野 和樹 (コシノ カズキ) Koshino Kazuki
東京医科歯科大学 教養部
物理学分野 准教授
・研究領域
量子デバイス理論
猪股 邦宏 (イノマタ クニヒロ) Inomata Kunihiro
産業技術総合研究所
量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター 量子デバイス計測チーム チーム長
・研究領域
超伝導量子回路実験