国立研究開発法人海洋研究開発機構(理事長 大和 裕幸、以下「JAMSTEC」という。)海洋機能利用部門 生物地球化学センターの吉村 寿紘(としひろ)副主任研究員と高野 淑識(よしのり)上席研究員、国立大学法人九州大学大学院理学研究院の奈良岡 浩 教授らの国際共同研究グループは、国立大学法人東京大学大学院理学系研究科、国立研究開発法人産業技術総合研究所、株式会社堀場アドバンスドテクノ、株式会社堀場テクノサービス、サーモフィッシャーサイエンティフィック ジャパングループ、国立大学法人北海道大学、国立大学法人東京工業大学の研究者らとともに、小惑星リュウグウのサンプルに含まれる可溶性成分を抽出し、精密な化学分析を行い、その組成や含有量などを明らかにしました。
小惑星リュウグウは、地球が誕生する以前の太陽系全体の化学組成を保持する始原的な天体の一つです。これまではやぶさ2初期分析により、多様な性状や含有物、履歴などが明らかとなってきましたが、可溶性成分のうちイオン性成分の物質情報は、未だ不明のままでした。
そこで本研究では、小惑星リュウグウのサンプルから可溶性成分を抽出し、無機・有機分子レベルの精密な化学分析を行いました。その結果、最も溶解しやすい成分を反映する熱水抽出物は、ナトリウムイオン(Na+)に非常に富んでいることがわかりました。ナトリウムイオンは、鉱物や有機物の表面電荷を安定化させる電解質として働き、一部は、有機分子などと結合することでナトリウム塩(Salt)として析出していると考えられます。また、抽出物からは様々な有機硫黄分子も発見されました。小惑星リュウグウに存在する水に溶存して化学状態が変化することで、多種多様な有機硫黄分子群へと化学進化を遂げたと考えられます。
本成果は、初期太陽系の物質進化を紐解くものであるとともに、それらが最終的に生命誕生に繋がる化学プロセスをどのように導いたかという大きな問題に答える上で、重要な知見となります。
本成果は、2023年9月18日付(日本時間)で科学誌「Nature Communications」に掲載されます。
小惑星探査機「はやぶさ2」が、小惑星リュウグウに存在する塩(Salt)と新しい硫黄分子群の入ったサンプルを地球帰還させる様子(©JAMSTEC)
小惑星リュウグウに含まれる水(H2O)は、太陽系内での進化の過程で凍結/融解を繰り返し、鉱物中に含まれる塩などを溶出し、析出させたと考えられる。可溶性成分を分析することで、最初の「塩」の生成する様子を紐解くことができる。
タイトル:Chemical evolution of primordial salts and organic sulfur molecules in the asteroid 162173 Ryugu
著者:吉村 寿紘1*、 高野 淑識1*、 奈良岡 浩2、 古賀 俊貴1、 荒岡 大輔3、 小川 奈々子1、 フィリップ・シュミットコップリン4,5、 ノルベルト・ハートコーン4、 大場 康弘6、 ジェイソン・ドワーキン7、 ホセ・アポンテ7、 吉川 剛明8、 田中 悟9、 大河内 直彦1、 橋口 未奈子10、 ハンナ・マクレーン7、 エリック・パーカー7、 坂井 三郎1、 山口 美保子11、 鈴木 隆弘11、 横山 哲也12、 圦本 尚義13、 中村 智樹14、 野口 高明15、 岡崎 隆司2、 薮田 ひかる16、 坂本 佳奈子17、 矢田 達17、 西村 征洋17、 中藤 亜衣子17、 宮﨑 明子17、 与賀田 佳澄17、 安部 正真17、 岡田 達明17、 臼井 寛裕17、 吉川 真17、 佐伯 孝尚17、 田中 智17、 照井 冬人18、 中澤 暁17、 渡邊 誠一郎10、 津田 雄一17、 橘 省吾17,19、 はやぶさ2可溶性有機物初期分析チーム
1 国立研究開発法人海洋研究開発機構
2 国立大学法人九州大学 大学院理学研究院
3 国立研究開発法人産業技術総合研究所
4 Helmholtz Zentrum München, Analytical BioGeoChemistry,ドイツ
5 Technische Universität München, Analytische Lebensmittel Chemie,ドイツ
6 国立大学法人北海道大学 低温科学研究所
7 Solar System Exploration Division, NASA Goddard Space Flight Center, アメリカ
8 株式会社堀場アドバンスドテクノ
9 株式会社堀場テクノサービス
10 国立大学法人名古屋大学 大学院環境学研究科
11 サーモフィッシャーサイエンティフィック ジャパングループ
12 国立大学法人東京工業大学 理学院
13 国立大学法人北海道大学 大学院理学研究院
14 国立大学法人東北大学 大学院理学研究科
15 国立大学法人京都大学 大学院理学研究科
16 国立大学法人広島大学 大学院先進理工系科学研究科
17 国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構
18 神奈川工科大学
19 国立大学法人東京大学 大学院理学系研究科附属宇宙惑星科学機構
* 共同筆頭著者
小惑星リュウグウは、小惑星帯で最も代表的なC型(炭素を多く含む)に属する始原的な小惑星です。初期の太陽系には惑星が存在しておらず、始原的な微惑星やガスが太陽系全体に漂っていました。その後、引力によって惑星が形成されていくなかで、太陽系の内側に形成された第三惑星が「地球」であり、惑星系に取り込まれずに、小惑星帯の一部になったのが、小惑星リュウグウと考えられています。小惑星探査機「はやぶさ2」によるサンプル採取と地球帰還後、初期研究グループが先端的な分析を駆使し、これまでに様々な性状や含有物、履歴などを明らかにしてきました。しかし、リュウグウの可溶性成分の含有量や組成、化学的な性質は不明なままでした。
小惑星リュウグウの化学進化を明らかにする上で、重要なキーワードは、「水、有機物、鉱物、そしてヒストリー(熱史)」です(2023年2月24日既報:2023年5月30日既報)。私たち研究グループは、初期状態の炭素(C)、水素(H)、窒素(N)、酸素(O)、イオウ(S)などの有機物を構成する軽元素組成に物理・化学的な作用が加わった場合、初生的な有機物や分子進化の姿(2023年3月22日既報:2022年4月27日既報)、水質変成(*1)による「始原的な塩(Salt)」(本報告)を観測できると予測していました(2020年11月27日既報)。
本研究では、リュウグウサンプル(図1)の可溶性成分を熱水、有機溶媒、弱酸(ギ酸)、強酸(塩酸)の各溶媒を使って段階的に抽出し、得られた成分をイオンクロマトグラフィーと超高分解能質量分析法により、陽イオン、陰イオン、イオン性有機物について精密な解析を行いました。その結果、最も溶解しやすい成分の化学組成を反映する熱水抽出物は、ナトリウムイオンに富むことが判明しました(図2)。ナトリウムイオンは、鉱物や有機物の表面電荷を安定化させる電解質として働き、また一部は、揮発性の低分子有機物など(2023年2月24日既報)とイオン結合を介したナトリウム塩を形成していると考えられます。
さらに、分析によって検出された硫黄の分子種は、幅広い価数をもつイオン種(図3)や析出する無機塩と共存していることが判明しました。小惑星リュウグウには元々、還元的な鉄やニッケルの硫化物が存在しますが、水質変成を受けることで化学状態が変化し(図4)、親水性や両親媒性をもつ様々な硫黄を含む有機分子へと化学進化を遂げたと考えられます。また難溶性の硫黄同素体へ変化する準安定な親水性硫黄分子群(図5)も新たに発見され、多様な化学反応の痕跡が記録されていました。
今回の成果は、地球が誕生する以前の太陽系において、初生的な物質はどのように存在していたのか、また、それが初期太陽系でどのように進化してきたのかを紐解くものであるとともに、地球や海、そして地球上の生命を構成する物質の化学進化の道筋を探求する上でも、重要な知見となり得ると考えられます。これらは、地球外物質を大気暴露することなく回収した、はやぶさ2プロジェクト(2022年2月11日既報)による“新鮮な小惑星サンプル”がもたらした特筆すべき研究成果です。
図1 小惑星リュウグウ(162173)から採取された2つのチャンバーの初期サンプルの写真(左が第1タッチダウンで採取したAチャンバーサンプルのうち、サンプルID:A0106、右がリュウグウの地下物質を含む第2タッチダウンで採取したBチャンバーのうち、サンプルID:C0107)。このうち、A0106(13.08mg)とC0107(10.73mg)というサンプルIDを本研究の多段階抽出に用い、精密な化学分析を行った。写真は、サンプル配布前にJAXAキュレーション施設のクリーンチャンバーで撮影。
図2 抽出液に含まれるマグネシウム、カルシウム、ナトリウムとカリウムのモル濃度の総和に対する各陽イオンのモル比を示す。それぞれ青い矢印の方向に向かって濃度の増加を示す。リュウグウA0106とC0107は赤色、地球に落下したCI隕石(リュウグウと同じ隕石タイプに属するオルゲイユ隕石)は黄色、その他の代表的な炭素質隕石(Cung隕石、CM隕石)は水色、対照実験で用いた地球の蛇紋岩をオリーブ色で示す。抽出に用いた溶媒と抽出物の種類は右上の凡例に示す。参考のため太陽系全体の存在比を星印で示す。リュウグウの熱水抽出物は左下にプロットされ、非常にナトリウムに富んだ組成であることが明らかになった。
図3 天然に存在する硫黄の化学種と、本研究のイオンクロマトグラフィーと超高分解能質量分析法によって検出されたリュウグウの硫黄化学種(オレンジの枠)。紺の矢印は予想される化学反応経路(矢印)、赤線は無機イオンからこれらの含硫黄有機物へのエステル化などの反応経路、紫色の線は硫黄同素体(S8)に安定化する反応経路を示す。
図4 小惑星リュウグウサンプルの抽出液の水素イオン濃度(pH)。パネル(A)には、サンプルA0106とC0107を用いた極微小スケールのpH測定結果を示し、パネル(B)には、酸性・中性・アルカリ性の同スケールの標準水溶液の結果を示した。今回の水素イオン濃度(pH)の極微小スケール測定(マイクロリットルスケール)は、海洋研究開発機構・株式会社堀場アドバンスドテクノ・株式会社堀場テクノサービスの共同研究として実施した。
図5 小惑星リュウグウサンプルの熱水抽出画分から新たに発見した有機硫黄分子群の構造。イオンクロマトグラフィー/高分解能質量分析法で同定されたポリチオン酸、アルキルスルホン酸、アルキルチオスルホン酸、ヒドロキシキルスルホン酸、ヒドロキシアルキルチオスルホン酸のうち、いくつかの代表的な構造を示した。イオン性有機物群からの新規化合物探索の開発は、海洋研究開発機構とサーモフィッシャーサイエンティフィック ジャパングループの共同研究として実施した。
本成果の鍵の一つは、極微量スケールかつ分子レベルかつ元素レベルで高精度に評価するという先鋭的な分析技術です。このような技術基盤は、学術的研究への波及効果に限らず、例えば、性状未知サンプルの品質検定等の社会的な要請、革新的な研究開発を生み出す知識基盤の醸成に貢献すると考えられます。
はやぶさ2プロジェクトの共同機関であったNASAでは、現在、米国主導の小惑星サンプルリターン計画「OSIRIS-REx」(*2)が進行中です。一方、日本のJAXAが主導する火星衛星サンプルリターン計画「MMX」(*3)を含め、新たな地球外サンプルリターンプロジェクトが進行しています。今後、地球が誕生する前の太陽系物質科学として、「塩」を含めた可溶性成分の組成や新しく発見された有機硫黄分子群の性状を含め、分子進化の統合的な理解(図6)を深めることが期待されます。
図6 炭素質小惑星リュウグウの有機宇宙化学的なサイエンス概要と多角的なアプローチの概念としての「水、有機物、鉱物、そしてヒストリー(熱史)」相互作用(*4)。これまでにリュウグウサンプルから発見されたラセミ体アミノ酸や核酸塩基の分子情報、可溶性有機物(Soluble Organic Matter: SOM)と不溶性有機物(Insoluble Organic Matter: IOM)の性状を含めた。はやぶさ2可溶性有機チームによる文献(2023年5月30日既報:このうち、本報告は文献17、 Yoshimura et al. に相当)に基づいて作成。