東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻の佐々木裕次教授(産業技術総合研究所先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ特定フェロー兼務)、茨城大学大学院理工学研究科物質科学工学領域の倉持昌弘助教、住友ゴム工業(株)研究開発本部分析センターの岸本浩通センター長らの研究グループは、タイヤゴムをサンプルとし、標識することなく、タイヤゴムに使用されるフィラー(注2)の一つであるカーボン微粒子と高分子の動く様子を、世界最高速度890ナノ秒(10億分の1秒)の時間分解能で計測することに成功しました。計測には、ドイツのハンブルクにある欧州X線自由電子レーザー(European XFEL、注1)を用いました。
タイヤゴムのような複合材料系では、異種成分間の界面付近における微粒子や高分子の動きを把握することが、タイヤの性能を評価する上で重要です。今回、本研究グループは、世界で初めて、ナノ秒レベルで原子サイズの高精度の分子運動計測に成功しました。これにより、タイヤゴムの性能評価をするため、微粒子と高分子の動きの観察が可能となりました。
本計測法の活用によりゴム劣化の早期診断や耐久性を向上させる材料開発などで時間短縮が期待できます。
本研究成果は、2023年9月4日(米国東部夏時間)に米国物理学協会が発行する学術論文誌Applied Physics Letters(APL)のオンライン版へ掲載されました。
回折X線ブリンキング法を用いた成分ごとの分子動態計測の概念
〈研究の背景〉
様々な産業から私たちの日常生活に至るまで幅広く利用されているタイヤゴムには、これまで以上に高い機能性や耐久性が求められます。特に、タイヤのグリップ性能や耐摩耗性能は、分子レベルの構造的特徴や複合材料における微粒子の分散性、母材である高分子(ポリブタジエン)との成分間の相互作用に依存します。そのため、ナノ秒レベルの時間分解能での分子の動きの把握が、構造と機能の関係を理解するための鍵を握っています。
従来の技術では、X線情報が平均化されてしまい、微粒子と高分子それぞれの運動特性を抽出した成分間での動きを厳密に比較することができません。そこで、タイヤゴムの個々の成分の動きについて、高精度で高速度かつ同時計測が可能な技術が求められていました。
〈研究の内容〉
2018年、佐々木教授らは単色X線を利用した回折X線ブリンキング法(Diffracted X-ray Blinking:DXB、注3、図1)を世界で初めて提案し、生体分子をモデルとして1分子の内部運動を高精度に捉えることに成功しました(※1)。DXB法は、生体分子だけでなく、無機・有機の材料が複合的に絡み合い、複雑な動きを示すタイヤゴム系の分子に対しても、原理的に有効です。
図1:回折X線ブリンキング法DXBの原理図
X線2次元検出器で得られたハローを含む回折像において、1ピクセルごとに自己相関解析を行い、検定と信頼性評価を経て分子の運動情報を算出。
本研究では、タイヤゴムの主要成分であるタイヤゴム内部のカーボンブラック(直径50〜80 ナノメートル)と高分子(ポリブタジエン)に着目し(図2)、DXB法を用いて、各成分が動く様子とこれらの相互作用の様子を世界最高速度の890ナノ秒の時間分解能で観察しました。図2のように、ゴム配合状態の異なる2種類の試料を用いてX線回折の時分割測定を行いました。これらの回折像から、カーボンの回折リングと高分子からのX線ハロー(注4)を確認することができました。次に、これら回折領域に対して自己相関解析(Auto-Correlation Function:ACF、注5)を実施し、微粒子および高分子構造の動きに関する減衰係数を抽出しました。
その結果、世界で初めて、カーボンと高分子間の相互作用に関連したそれぞれの分子の動きの変化を同時に検出することに成功しました。この複雑な構成要素から同時計測で得られた減衰係数は、カーボンと高分子で微粒子と高分子構造の動きが大きく異なり、これは各サンプルの分子界面の拘束環境や摩擦条件の違いが原因であることを示しています。異種成分間の界面付近では、各成分の動きが異なることを実証しました。
図2:力学特性の違う二つのタイヤゴム
(A) 結晶性の良い微粒子カーボンブラック(CB)を含有するタイヤゴム。CBと高分子(ポリブタジエン)の間にはほとんど相互作用がない(L3026C)。タイヤゴムが劣化した状態に近い。
(B) L3026CサンプルからのX線2次元回折像。外側の明白な回折リングは、CB(002)からの回折ピークリング。その内側のエネルギー幅の広い回折リングは高分子成分(ポリブタジエン)からのX線ハロー。
(C) 微粒子CBを含有するタイヤゴム(L3026F)。CB表面と高分子は、強く結合しており大きな相互作用が存在している。通常のタイヤゴム状態に近い。
(D) L3026FサンプルからのX線2次元回折像。L3026CサンプルのX線回折像と違い外側の明白な回折リングが存在しない。このサンプルのCBが非結晶であることが分かる。その内側のブロードな回折リングは高分子成分(ポリブタジエン)からのX線ハロー。回折像のコントラストが変わっているが、L3026Cサンプルと同様に広い幅を持つX線ハロー領域が確認できる。
(E) L3026CサンプルとL3026FサンプルからのX線回折像の1次元強度表記。CB(002)回折ピーク以外は、ほとんど違いがないことが分かる。
〈今後の展望〉
タイヤゴムの劣化プロセスの重要な現象の一つは、この計測された異種成分間の界面の変化であると考えられています。今回の高速DXB計測により、材料を構成する分子構造の特異的な運動性と、分子の周りの環境でその運動性が変化することが確認できました。今後、これらのデータを基に、より合理的で高い耐久性のある材料設計の指針の提供が可能になるでしょう。
〈文献〉
※1 Sekiguchi
et al.,
Sci. Rep., Vol. 18, 17090 (2018)
Mio et al., Biochem. Biophys. Res. Commun., Vol. 529, 306-313 (2020)
東京大学大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻
佐々木 裕次(教授)〈産業技術総合研究所先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ特定フェロー〉
茨城大学大学院理工学研究科 物質科学工学領域
倉持 昌弘(助教)
住友ゴム工業株式会社 研究開発本部分析センター
岸本 浩通(センター長)
〈雑誌〉 Applied Physics Letters(APL)(オンライン版:9月4日)
〈題名〉 Direct observation of 890 ns dynamics of carbon black and polybutadiene in rubber materials using diffracted X-ray blinking
〈著者〉 Masahiro Kuramochi 1,2*, Henry J. Kirkwood 3, Jayanath C. P. Koliyadu 3, Romain Letrun 3, Raphael de Wijn 3, Chan Kim 3, Tomomi Masui 4, Kazuhiro Mio 5, Tatsuya Arai1, Hiroshi Sekiguchi 6, Hiroyuki Kishimoto 4, Adrian P. Mancuso 3, Tokushi Sato 3* and Yuji C. Sasaki 1,5,6*. 1東京大学大学院新領域創成科学研究科、2茨城大学大学院理工学研究科 物質科学工学領域、3欧州XFEL、4住友ゴム工業(株)研究開発本部分析センター、5産総研・東大先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ、6(財)高輝度光科学研究センター *著者責任者
〈DOI〉 http://doi:10.1063/5.0157359
〈URL〉 https://pubs.aip.org/aip/apl
本研究は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)「計測技術と高度情報処理の融合によるインテリジェント計測・解析手法の開発と応用」(研究総括:雨宮 慶幸・高輝度光科学研究センター 理事長)における研究課題「クライオ電子顕微鏡法のベイズ高度化と他計測との融合(JPMJCR1865)」(研究代表者:光岡 薫・大阪大学 教授)、および戦略的創造研究推進事業 ACT-X「環境とバイオテクノロジー」(研究総括:野村 暢彦・筑波大学 教授/微生物サステイナビリティ研究センター センター長)における研究課題「凍結低温制御分子の構造特異機能の解明および個体丸ごと保存技術の開発(JPMJAX22B7)」(研究者:倉持 昌弘・茨城大学 助教)等の支援を受けて実施されました。