独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所(以下「奈文研」という)企画調整部文化財情報研究室 高田 祐一 主任研究員と、国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)デジタルアーキテクチャ研究センター 中村 良介 総括研究主幹および神山 徹 地理空間サービス研究チーム長は共同で、全国文化財情報デジタルツインプラットフォームを開発しました。日本中の文化財の位置情報を網羅する奈文研の文化財総覧WebGIS(注)と、産総研の3次元地理空間情報データベース(3DDB)との連携により、地下空間を含む国土の3次元構造と社会活動の歴史的情報を総合的に記述することが可能となります。建築物のCAD モデルや点群(注)といった多様な3次元データを統一的に扱えるため、地下から地上の情報を一体的に把握することができ、開発事業における意図しない文化財の破壊回避に役立ちます。GIS(注)や3次元データに関する専門的な知識がなくても利用することができるので、地方公共団体や博物館が取得した文化財の3次元データ等を容易に登録できるようになります。また、文化財情報の活用を通じて、スーパーシティーやデジタル田園都市といったスマートシティープロジェクトにも貢献します。
社会的動向
Society 5.0は国が提唱する日本社会の未来像であり、その実現にはサイバー空間とフィジカル空間を結びつけるデジタルツイン技術が不可欠です。この技術を、長期的な未来を予測し、豊かな社会を構築するためのツールとして活用していくには、過去の社会的、文化的な情報を取り込んで時間的な変化を捉えることが重要です。
埋蔵文化財行政の規模と必要性
3万8千年間の長期にわたる社会活動の履歴は、歴史的な文献だけでなく埋蔵文化財(注)という形で残されています。現在、日本では約47万2000件の遺跡があり、年間約8千件の発掘調査を実施しています。発掘調査費用(緊急発掘)は年間約580億円にのぼります。埋蔵文化財は、国や地域の豊かな歴史と文化を生き生きと物語るものです。これらは個性豊かな地域の歴史的・文化的環境を形づくる重要な素材・資産であり、国民共有の貴重な財産といえます。埋蔵文化財の保護と開発事業の円滑な調整を図るため、文化財保護法第93・94条では、周知の埋蔵文化財包蔵地(注、以下「遺跡地図」)において開発事業を行う際には、事前の届出などが求められています。やむをえず遺跡を現状のまま保存できない場合には事前に発掘調査を行って遺跡の記録(記録保存)を残すこととなります。
現在の課題
地下を掘削する開発事業においては、遺跡に影響を与えることがあるため、掘削の場所や深度に配慮が必要です。しかし、過去の発掘調査記録は、これまで主に紙ベースの文献や図表、地図といったアナログ形式で集積されており、工事の際の確認が容易ではありませんでした。そのため、意図しない文化財破壊が発生しています。
一方で、近年、遺跡地図のデジタル化が進み、2021年7月には奈文研が全国の文化財情報61万件を登録した文化財総覧Web GISを公開しました。文化財情報を統合的に扱える環境が整いつつありますが、開発事業で掘削する地下深度の3次元情報データベースや、水道やガス配管といった地下のインフラデータと連携するためのプラットフォームがありませんでした。開発事業者が容易に参照できる地図情報との連携がないままでは、意図しない埋蔵文化財の破壊リスクは高いままです。
また、3次元スキャン手法の普及により、急速にデジタル化が進み、遺跡の立体的な記録も残せるようになってきました。しかし、3次元デジタルデータを公開するプラットフォームがなく、関係機関内で死蔵されるケースが発生しています。
奈文研のこれまでの取り組み
奈文研では、全国の文化財情報を集約し、データベースとして公開しています。これまで埋蔵文化財の発掘調査報告書をデジタル化した「全国遺跡報告総覧」や、位置情報を図上で検索・閲欄できる「文化財総覧 WebGIS」などの開発を行ってきました。文化財総覧 WebGISには61万件以上の情報が蓄積されており、現在も継続的に更新され続けています。
産総研のこれまでの取り組み
産総研は、Society 5.0の中核となるサイバーフィジカルシステムの社会的な実装として、デジタルツインプラットフォームの開発を進めてきました。従来のデジタルツインは、工場のような屋内の完全に管理・制御された空間を主な対象としてきましたが、近年の自動運転技術開発やスマートシティープロジェクトの進展に伴い、その対象領域が屋外や地下空間に広がりつつあります。こうした動向の中で、産総研では、多種多様な地理空間データを、座標系やデータフォーマットの違いに関わらず統合し、その結果をWebブラウザ上で検索・閲覧できる3次元地理空間情報データベース(3DDB)を開発してきました。なお、全国文化財情報デジタルツインプラットフォームのベースとなるこの3次元地理空間情報データベース(3DDB)は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構の「人工知能技術によるスマート社会の実現(2018~2022年度)」事業の一環として開発されています。
3次元地理空間情報データベース 3DDBと文化財情報の連携
これまで遺跡の状況や出土品の形状は主に平面図として記録・保存されてきましたが、最近では3次元データが取得される事例が増えつつあります。そこで今回の奈文研と産総研の共同研究では、デジタルツインプラットフォームの適用領域を空間方向だけでなく時間方向へも大幅に拡大し、地中に埋まっている遺跡や歴史的建造物といった文化財をターゲットとすることにしました。これまでの奈文研と産総研の成果を連携させることで、日本の国土全体を時間的・空間的に網羅する全国文化財情報デジタルツインプラットフォームが実現しました。このプラットフォーム上では、地下に存在する埋蔵文化財と建物・道路・植生といった現在の地表状況との位置関係が正しく可視化されており、地理空間データを読み解く専門知識が無くてもその位置関係を誰でも容易に調べることができます。
大規模データを対象にAI を駆使した高度な解析を行うことが可能
近年、国土交通省のプラトー(注)や、静岡県ポイントクラウドデータベース (PCDB)(注)といったプロジェクトでは、特定の都市域あるいは県全体をカバーする数十テラバイトを超える3次元データがオープンデータとして公開されています。全国文化財情報デジタルツインプラットフォームは、産総研が開発してきた大規模AI クラウド計算システム ABCI(注)上に構築されているため、こうした大規模データを格納し、3次元点群データの樹木・人工物・地面の自動分類のような高度な解析を行うことができます。
特別史跡 岩橋千塚古墳群(和歌山県)で古墳新発見の可能性
和歌山市東部に位置する岩橋千塚古墳群は特別史跡に指定されています。4世紀末から7世紀にかけて総数約900基にも及ぶ古墳がつくられた全国有数の古墳群です。和歌山県では、昭和46年(1971)に現和歌山県立紀伊風土記の丘を設置し、特別史跡の保存と活用に取り組んでいます。古墳群内の把握は、これまで航空レーザー測量や職員による現地踏査によって行われてきました。しかし、広範囲に古墳が多数存在することから、低墳丘などの古墳によりこれまでの測量や踏査では把握が難しい古墳の存在が想定されていました。
そこで、本プロジェクトのモデル事業として2022年2月にドローンLiDAR計測を実施しました。取得した高精度地形データと現存の古墳分布図を重ね合わせた結果、古墳の可能性がある高まりを新たに確認しました。今後、2023年冬に現地確認を行う予定です。こうしたドローンLiDAR計測により、古墳群の調査方法の大幅な効率化が図られる見込みです。
遺跡地図の高精度化による国土開発/管理の効率化
開発事業の多くは地面を掘削します。その際には、重要インフラであるガス・水道・電気などの地下埋設物を破壊しないよう注意するとともに、埋蔵文化財にも配慮する必要があります。しかしながら、地下埋設物は不可視であり掘削しないことには正確に把握できません。そこで、AR(拡張現実)技術により地下の物体を可視化することで、意図しない破壊を防止するとともに工事の効率化が図れます。また工事設計段階で、文化財の存在も考慮した開発計画を立案することで、予防的に文化財を守り、工期および費用の縮減にも貢献します。さらに発掘調査や各事業の工事の中間生成物として作成された3次元データも3DDBに追加登載が可能であり、深さ方向を加味した遺跡地図を高精度化させていくことが可能となります。
街づくりと文化財保護の両立
2020年、JR東日本の品川開発プロジェクトにおいて、明治初期に鉄道を敷設するために当時の海上に敷設された重要な遺構が発見されました。高輪築堤跡と呼ばれる重要な遺構の発見に伴い、保存と開発の両立が課題となりましたが、関係者の尽力で、既に史跡指定されている「旧新橋停車場跡」への追加指定や、遺構の移設などが図られました。
今後、偶発的な発見ではなく、発見を事前に予見し、定量的に評価できる基盤を構築していくことは、街づくりと文化財保護の両立につながります。発掘調査に起因する開発計画の変更に伴う工期の延長や工事費用の抑制にも貢献します。また、現物保存できなかった遺構を3次元記録することで、バーチャル空間上に残せるようになります。文化財情報デジタルツインプラットフォームは、日本全国文化財情報を現在の情報と結合することで開発計画立案の効率化/精緻化に貢献し、日本の歴史に関わる文化的な価値と、現代社会における経済的な価値の両立に貢献します。
さらに、業種や分野に関わらず、誰もが容易に文化財情報にアクセスできる基盤を提供することで、住民が自らの地域にどのような文化財が存在するのか、それがどのような歴史的・文化的な価値を有するのかを認識・評価することを支援します。
従来の文化財3次元データ測定は高価な測定機器を必要としていたため、そのほとんどが大学などに所属する研究者によって行われてきました。しかし近年になって、個人レベルでもLiDARを搭載したスマートフォンなどで詳細な3次元データを取得することが可能となり、地方自治体が定常的に行っている発掘などへの適用事例が増加しつつあります。今後は、文化財行政に携わる各地の教育委員会や博物館の関係者が、より多くの文化財3次元データを登録し広く公開できるようにするための技術開発を実施します。具体的には3次元データをxR デバイス(注)へ直接配信する機能、安全なデータアクセスを実現するための認証・認可機能などを実装し、さらに複数のプラットフォームに分散している地理空間データをワンストップで検索するためのメタデータ標準化を進めます。