- 非対称性構造をもつ二種類の触媒を共存させる新しい触媒的有機合成法の開発に成功
- 二つの触媒が二つの原料を別々に活性化する反応機序により、自在な異性体選択性の発現が可能
- 複雑な光学異性体への構造変換が可能となることで、創薬研究の加速に貢献
パラジウム(Pd)とルテニウム(Ru)の二つの触媒が共同する新しい光学活性化合物合成
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)触媒化学融合研究センター 官能基変換チーム 田中 慎二 主任研究員、佐藤 一彦 研究センター長は国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学(以下「名大」という)大学院創薬科学研究科 北村 雅人 教授(研究当時。現在は名古屋大学名誉教授)、博士後期課程3年Le Phuc Thien氏(研究当時)と共同で、連続する三つの不斉炭素をもつ化合物を合成し、これまで不可能とされてきたそれらの構造を選択的に制御することができる新しい有機合成手法を開発しました。
この新手法の鍵工程として、パラジウム(Pd)触媒とルテニウム(Ru)触媒を同時に用いることにより、通常では反応しないアセト酢酸エステルとアリルアルコールを結合させることができます。これは、水以外の副生成物を排出しない反応です。新手法は、二つの触媒の構造をそれぞれ使い分けることで、生成物の不斉炭素に結合する成分をそれぞれ右側あるいは左側に選んで配置できます。これまでの合成法では、この成分が勝手に左右で移動してしまい、必ず混合物として得られるため、一種類だけを選択的に作り出すことは不可能とされていました。新手法は不可能を可能にした世界で初めての成功例です。酸・塩基を用いない中性条件で進行することがこの反応の特徴です。さらに、還元反応で作られる成分も左右に自由に配置できるため、八つの異性体を選択的に設計合成ができるようになりました。このような、不斉炭素に結合する成分の左右を選択的に合成することは、医薬品開発に重要な薬理活性獲得の要とされており、創薬研究の発展に貢献します。
なお、この技術の詳細は、2022年10月12日(現地時間)に「Nature Communications」に掲載されます。
「すべての人に健康と福祉を」がSDGsの一つに挙げられている通り、病気に困る人のない社会の実現は極めて重要な課題です。さまざまな病気の治療に対応するためには、医薬品の開発が欠かせません。生物活性を示す化学物質のなかには、不斉炭素を有する光学活性分子も多くみられ、医薬品にもよく使われています。ただし、光学活性分子の構造を設計通りに作るのは、通常は困難であることに加えて、サリドマイド事件に象徴されるように、一部の異性体は重篤な薬害を引き起こす可能性があります。光学活性分子の選択的かつ効率的合成の技術は重要です。
アセト酢酸エステルは、医薬品の基礎骨格の一つであり、有機合成反応の基礎的な原料として現在でも広く利用されています。これまで多くの有機合成化学者により、これをもとにした天然物や生物活性分子の合成法の開発が続けられてきました。しかし、従来型のアセト酢酸エステル合成法では、酸や塩基の添加が必須なため、得られた生成物の光学活性が、酸性および塩基性条件下で速やかに失われる「ラセミ化」という課題がありました。そのため、この合成法の光学活性分子合成への展開は十分に達成されていませんでした。
産総研は名大と共同で、光学活性分子合成におけるすべての反応から、触媒を活用した反応へと転換することを目指しています。これまで、ルテニウム(Ru)触媒によって、水以外の不要な副産物を排出しない結合形成反応を開発してきました。今回、この技術を共同触媒系に組み入れて、アセト酢酸エステルを原料とした合成において、複数の不斉炭素の構造を制御する手法を初めて開発しました。
なお、本研究開発は、国立研究開発法人科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業「先導的物質変換領域(ACT-C)(2012~2018年度)」、独立行政法人日本学術振興会の科学研究費助成事業「基盤研究A(2016~2020年度)」「基盤研究C(2021~2025年度)」による支援を受けています。
今回は、産総研が名大と共同で、アセト酢酸エステルを原料として光学活性分子を合成する手法を考案し、パラジウム(Pd)錯体・ルテニウム(Ru)錯体の共同触媒系を開発するに至りました。図1に示すように、これらの触媒の協働により、アセト酢酸tert-ブチルエステル(1)とアリルアルコール(2)が反応し、付加生成物(3)が作られます。この反応は、水しか副生成物を生じません。生成物である(3)はC(α)、C(β)の連続する二つの不斉炭素をもち、二つの成分(COOtBu(黄)、CH=CH2(赤))がそれぞれの左または右に配置され理論上四つの異性体(左左型、右左型、左右型、右右型)を作ります。従来の合成法では、これらの混合物を生じてしまいます。しかし、この手法はPdとRuの二つの触媒の右・左構造を適切に使い分けることによって、望みの異性体の選択的な合成を可能とします。酸や塩基を用いないで実施できることが、高い選択性を実現する要因です。
図1 Pd触媒とRu触媒の構造および二種類の触媒を用いるアセト酢酸エステル(1)とアリルアルコール(2)の配置選択的結合形成反応
得られた(3)内にあるカルボニル基の還元反応を検討した結果、さらに不斉炭素が一つ増えたアルコール化合物(4)へと、選択的に変換できます。理論的に合成可能な異性体は合計八つになりますが、反応剤を使い分けることで設計通りに自在に作り分けることが可能です(図2)。
図2 付加生成物(3)の還元反応によるアルコール化合物(4)の設計合成
この手法により、これまで適用不可能と思われてきたアセト酢酸エステルも不斉反応に用いることが可能であり、ラセミ化を伴うことなく光学活性体に変換できることを明らかにしました。合成が可能となった生成物(4)は、小さな分子構造中に左右に自在配置できる三つの成分(アルコール(OH)、エステル(COOtBu)、オレフィン(CH=CH2))をもち、これらは互いに独立して化学反応によって異なる成分へと変換できます。そのため、有用な合成素子として期待され、医薬品候補化合物の効率的な合成に役立ちます。実際に、抗腫瘍活性を示すパンクラチスタチンの前駆体の合成を達成しました。
※本プレスリリースの図1と図2は原論文「Stereodivergent Dehydrative Allylation of β-Keto Esters Using a Ru/Pd Synergistic Catalyst」の図を引用・改変したものを使用しています。
生成物をさらに化学反応により構造変化させることにより、有用物質合成を実施します。例えば、これまで合成できなかった生物活性物質の合成を行います。さらに、難易度の高い複雑構造を持った光学活性化合物の選択的合成に挑戦します。
将来的には、企業との共同研究を通じて、新しい骨格をもつ化合物の立体異性体を系統的に合成し、その活性試験を行いながら、医薬品として有望な新しい有用分子の発見と社会実装を目指します。
掲載誌:Nature Communications
論文タイトル:Stereodivergent Dehydrative Allylation of β-Keto Esters Using a Ru/Pd Synergistic Catalyst
著者:Thien Phuc Le, Shinji Tanaka*, Masahiro Yoshimura, Kazuhiko Sato, Masato Kitamura*