発表・掲載日:2022/07/06

量子計算機のハードウェアとアルゴリズムのエラーを抑制できる手法を開発

-演算を高精度化する一般的な枠組みを提唱-

発表のポイント

  • 量子計算機(注1)を用いた量子多体計算(注2)のエラーを効率的に除去する手法を開発した。
  • 低精度の量子状態同士に量子もつれ(注3)を導入することで演算を高精度化する一般的枠組みを提唱した。
  • 本研究成果は、量子情報技術の発展に貢献するだけでなく、量子多体現象を深く理解する上でも大きな役割を果たすものと期待される。

発表概要

東京大学大学院工学系研究科の吉岡信行 助教、NTTコンピュータ&データサイエンス研究所の徳永裕己 特別研究員、鈴木泰成 研究員、遠藤傑 研究員、産業技術総合研究所の松崎雄一郎 主任研究員、大阪大学量子情報・量子生命研究センターの箱嶋秀昭 特任助教(常勤)は、量子計算機による量子多体計算アルゴリズムに伴う起源不明のエラーを効率的に除去する手法を開発しました。

量子計算機とは、量子的な状態(量子状態)の重ね合わせおよびその干渉(注4)によって、計算を実行する装置の総称です。量子計算機を用いて演算を精密に実行するためには、多くの技術的障害を乗り越える必要があります。中でも、最も大きな課題として挙げられるのが、外部環境との相互作用やハードウェアの不完全性などによって生ずる、エラー(誤り)の抑制です。量子ビット(注5)などのリソースが限られたデバイスにおいても威力を発揮する効率的な計算手法の研究が進められていますが、実用的な観点からはいまだ発展途上の段階にあるのが現状といえます。

本研究グループは、起源不明のノイズの影響を受けた量子状態を複数個並列に準備した上で干渉させれば、ハードウェアにおけるノイズの影響とアルゴリズム自体に内在する誤差のいずれも抑制できることを発見し、ハードウェアへの負担を最小限に抑えて計算エラーが抑制できる新たなフレームワークを構築しました。この手法は、演算精度が比較的低い量子ビットを多数備えている量子計算機において、大きな威力を発揮するものと期待されます。

本研究は、2022年7月6日(米国東部夏時間)に米国科学雑誌『Physical Review Letters』のオンライン版に掲載されます。


発表内容

研究の背景

電子や原子が関係したミクロなスケールの自然現象は、量子力学によって支配されています。身近な例では、トランジスタや半導体といった部品・素材の動作原理を理解するには、量子力学的(量子的)な記述が不可欠です。つまり、パソコンやスマートフォンなど、現代情報技術の根幹をなす電子機器のいたるところに量子力学が潜んでいることになります。

量子力学によって制御する範囲が、個々の部品にとどまらず、装置全体の動作原理にまで及ぶ装置が作れれば、演算性能を飛躍的に向上できる。そんな一見奇抜に思えるアイディアが、1982年に米国物理学者リチャード・P・ファインマン(注6)によって提案されました。その代表格である量子計算機は、量子状態の重ね合わせおよびその干渉によって計算を実行する装置の総称です。量子計算機の入力や演算を完全に制御することが可能になれば、機械学習や物質探索に必要なアルゴリズムを高速化できることが、理論的に証明されています。提案当初は夢物語だったアイディアですが、近年の量子技術の発展によって、少しずつ実現性が高まっていることから、大きな注目を浴びています。

演算を精密に実行するための最も大きな障壁が、外部環境との相互作用やハードウェアの不完全性などによるエラー・ノイズの抑制です。メモリの最小単位である量子ビットや演算の構成単位である量子ゲート(注5)の実行回数が限られる中で、効率的に精度を高める方法の模索が続けられています。特にノイズの情報が一切得られない場合に、いかにしてその影響を除去できるのかが、ノイズありの中規模な量子計算機(NISQ)を活用する上での課題となっています。

 

研究内容(具体的な手法など詳細)

共同研究チームは、起源不明のノイズの影響を受けた量子状態であっても、複数個を並列に準備して互いに干渉させれば、ノイズを実行的に打ち消すことが可能であり、特に、量子多体系(注2)のエネルギー固有状態のシミュレーションにおけるエラーを効率的に抑制できることを発見しました(図1)。

エネルギー固有状態とは、量子力学の基礎方程式であるシュレーディンガー方程式のもとで、時間発展をしない状態を指します。物性物理学・量子化学・素粒子物理学をはじめとして、量子多体現象を理解するためには、エネルギー固有状態の計算が欠かせません。そのため、量子計算機の応用先の中でも特に重要なトピックに数えられています。

変分量子固有値ソルバ(VQE)をはじめとした、エネルギー固有状態を計算する変分量子アルゴリズム(注7)では、計算対象となる波動関数(注8)を量子計算機に直接埋め込む方式が主流となっていました。つまり、計算対象とする量子状態を量子計算機内部で再現することが目的でした。一方で、量子多体系を調べる上で最終的に重要なのは、量子状態の性質を抽出する点にあり、状態を直接実現することではありません。実際、これまでに提案されてきた量子ハードウェアへ負荷を極力かけず計算エラーを抑える、量子エラー抑制と呼ばれる一連の手法は「低精度な演算結果をうまく組み合わせることで、高精度な演算結果を引き出す」という思想に基づいています。

問題は、低精度な演算結果の組み合わせ方によっては、全く意味のない答えが得られてしまうという点にあります。そこで、いかにして数学的に正当な組み合わせを選びつつ、効率的なエラー除去を行えるかが焦点となります。研究チームは今回、「量子部分空間展開法」(注9)と呼ばれる枠組みを拡張することにより、これまで提案されてきた複数の量子エラー抑制法を最も一般的な形で統合した「一般化量子部分空間展開法」を提案しました。

その効果が最も顕著に発揮される状況として、ノイズの影響を受けた量子状態が複数準備された状況が挙げられます。例えば、さまざまな種類のノイズを受けた量子状態について、演算結果を読み出す直前に互いを干渉させます。このような状況で得られた演算結果を組み合わせると、ハードウェア由来のノイズとアルゴリズム由来のノイズが同時に抑制され、量子部分空間展開法や仮想蒸留法(注10)などといった従来の手法に比べ、精密な計算が可能になることを示しました(図2)。その結果、VQEを実行した場合、従来手法に比べてはるかに高精度に計算を行えることが示されました(図3)。

 

社会的意義・今後の予定

今回の研究は、演算回数などのリソースが限られた量子計算機をより堅牢に利用するための重要な一歩といえます。今後の方向性として、実時間発展などエネルギー固有状態以外の量子多体計算への拡張、量子誤り訂正(注11)に基づく計算における実装手法の開発、本手法によりノイズの性質自体を調べるような手法の開発などが考えられます。

これらの手法が発展することで量子アルゴリズムによる計算アドバンテージが得られるようになれば、基礎科学・機械学習・材料科学など幅広い分野での計算の効率化に貢献すると期待されます。

 

謝辞

本研究は、以下の支援により実施されました。
- JSTさきがけ研究「ヘテロジニアスな設計と制御に基づく誤り耐性量子計算(課題番号:JPMJPR1916)」
「完全秘匿性を実現する量子IoTアーキテクチャの構築(課題番号:JPMJPR1919)」
「量子エラー抑制の基礎理論の構築および実用的手法の提案(課題番号:JPMJPR2114)」
「量子並列回路を用いた計算基盤の構築(課題番号:JPMJPR2119)」
- NEDO委託業務「量子計算およびイジング計算システムの統合型研究開発(JPNP16007)」
- JST「共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)政策重点分野(量子技術分野)量子ソフトウェア研究拠点(JPMJPF2014)」
- ERATO「中村巨視的量子機械プロジェクト(JPMJER1601)」
-文部科学省光・量子飛躍フラッグシッププログラム(Q-LEAP)「知的量子設計による量子ソフトウェア研究開発と応用(課題番号:JPMXS0120319794)」
「超伝導量子コンピュータの研究開発(課題番号:JPMXS0118068682)」
- ムーンショット型研究開発事業「誤り耐性型量子コンピュータにおける理論・ソフトウェアの研究開発(課題番号:JPMJMS2061)」


本プレスリリースの図2、3は原論文の図を改変したものを使用しています。

図1

図1:ノイズの強さが異なる複数の量子状態を用いた量子多体計算の概念図。本研究で提案された手法では、複数の状態を干渉させた結果の適切な組み合わせ方法を、古典コンピュータ上で補助的に計算した上で、最終的な計算結果を出力する。

図2

図2:ノイズ強度制御が不完全な状況における(a)固有エネルギーの計算結果と(b)その精度。従来の手法は制御の揺らぎを反映して計算精度が悪化してしまう一方で、本手法はほとんど影響を受けていないことから、実際の実験においても堅牢に動作すると予想される。

図3

図3:変分量子アルゴリズムの一種である、変分量子固有値ソルバ(VQE)による演算自体が不完全、かつ量子コンピュータ上にノイズが発生した場合の計算精度。発生エラー数が1程度以下の場合には、計算されるエネルギー精度が大きく異なる。つまり、エラー抑制手法による性能差が顕著に現れることが読み取れる。特に本手法を用いた場合には、VQE自体の演算よりも精度の良い計算が可能となる。すなわち、VQEに内在する誤差も抑制することができる。これは、仮想蒸留法や量子部分空間展開法といった従来手法では達成できない領域である。

発表雑誌

雑誌名:「Physical Review Letters」(オンライン版:7月6日)
論文タイトル:Generalized Quantum Subspace Expansion
著者:Nobuyuki Yoshioka*, Hideaki Hakoshima, Yuichiro Matsuzaki, Yuuki Tokunaga, Yasunari Suzuki, Suguru Endo*

 

発表者

吉岡 信行(東京大学 大学院工学系研究科物理工学専攻 助教)
箱嶋 秀昭(大阪大学 量子情報・量子生命研究センター 特任助教(常勤))
松崎 雄一郎(産業技術総合研究所 主任研究員)
徳永 裕己(NTTコンピュータ&データサイエンス研究所 特別研究員)
鈴木 泰成(NTTコンピュータ&データサイエンス研究所 研究員)
遠藤 傑(NTTコンピュータ&データサイエンス研究所 研究員)


用語解説

(注1)量子計算機
量子力学的な原理に基づいて演算の制御を行うような計算機のこと。従来の計算機は古典力学的な原理に基づくため、「古典計算機」として区別される。[参照元へ戻る]
(注2)量子多体系、量子多体計算
量子力学に従う多数の粒子が相互作用しあう系、もしくはその相互作用の本質を模型化した系を量子多体系と呼ぶ。量子多体計算とは、量子多体系のシミュレーションを指す。[参照元へ戻る]
(注3)量子もつれ
古典力学だけでは説明できないような相関のこと。エンタングルメントともいう。[参照元へ戻る]
(注4)干渉
量子力学に従う系同士が、相互作用を媒介として状態を変えること。[参照元へ戻る]
(注5)量子ビット、量子ゲート
量子計算機を構成する情報の最小単位を量子ビットと呼び、量子ビットに作用する演算は量子ゲートと呼称される。[参照元へ戻る]
(注6)リチャード・P・ファインマン(1918 ~ 1988)
米国の理論物理学者。素粒子の反応過程を計算する「ファインマン・ダイアグラム」を発明した。量子電磁力学の発展に大きく貢献した業績により、1965年にノーベル物理学賞を受賞。[参照元へ戻る]
(注7)変分量子アルゴリズム
量子計算機の測定結果を元に量子ゲートの種類を逐次的に更新することで、所望の演算を近似するアルゴリズム。量子計算機と古典計算機を協働させることから、量子古典ハイブリッドアルゴリズムの一つとして数えられる。代表的なものとして、変分量子固有値ソルバ(Variational Quantum Eigensolver, VQE)がある。[参照元へ戻る]
(注8)波動関数
量子状態に対して定められる、複素振幅を用いた数理的表現のこと。[参照元へ戻る]
(注9)量子部分空間展開法
量子計算機を用いた量子多体計算手法の一つ。目的とする量子状態を量子計算機上で直接実現するのではなく、古典計算機を活用して重ね合わせの一部(部分空間展開)を表現する。[参照元へ戻る]
(注10)仮想蒸留法
量子計算機におけるエラー抑制手法の一つ。ノイズの影響により「混合」してしまった量子状態同士のコピーを干渉させることで、「純粋」な量子状態へと蒸留する操作を指す。 [参照元へ戻る]
(注11)量子誤り訂正
量子計算機におけるエラーを制御する手法の一つ。複数の量子ビットを組み合わせて冗長化することで、エラー耐性を持つ量子ビットを構成する。[参照元へ戻る]


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