水は、ありふれた存在ですが、特異な物性を示す奇妙な液体であり、多くの自然現象を支配しています。
東北大学多元物質科学研究所の新家寛正助教、北海道大学低温科学研究所の木村勇気准教授、東京大学大学院総合文化研究科 広域科学専攻/附属先進科学研究機構の羽馬哲也准教授と産業技術総合研究所環境創生研究部門の灘浩樹研究グループ長を中心とする研究グループは2年前、水と高圧氷注1との界面にできる、通常の水と混ざり合わない高密度な未知の水(高密度水)を発見しています※。今回、一般的に知られている氷(氷Ih注1)と水の界面に低密度な未知の水(低密度水)ができることを新たに発見しました。高密度水を1種目とすると今回発見した低密度水は2種目の未知の水となります。さらに、この2種類の未知の水の流れやすさを示す物性値(表面張力と粘性の比で表される特徴的速度)を決定することに世界で初めて成功しました。
この成果は、長年にわたる大きな謎である水の特異な物性を説明するために提唱された、“構造の異なる2種類の水が存在する”とする仮説の検証に道を拓くものです。本成果は、アメリカ化学会が発行するThe Journal of Physical Chemistry Letters誌に5月11日(水)付でオンライン掲載予定です。
〇研究背景
水は地球上において普遍的に存在し、私たちにとって身近な液体です。その一方で、他の液体と比べて特異な性質を示すことが知られています。その例として、一般的に液体の密度は温度に対し直線的に単調変化するのに対し、水の密度は4°Cで最大値(体積は最小値)をとるという性質が挙げられます。水の物性は地球上の様々な自然現象を支配するため、このような特異な性質の原因を理解することは非常に重要です。
しかし、水がなぜこのような性質を持つのか、その理由は未だ明らかとなっていません。水の特異的な物性を説明するため、“水が2種類の構造の異なる低密度液体(Low-Density Liquid, LDL)と高密度液体(High-Density Liquid, HDL)へ分離する”という仮説がこれまでに提唱されてきました。この仮説では、水の分離が起こる温度圧力条件に向かって水の物性が発散すると解釈することで、水の特異な性質を説明します。従って、もし、物性の発散が起こる温度圧力条件で水の分離を直接観察することができれば、仮説の実証となります。しかし、この分離は、水が瞬間的に凍ってしまうような低温高圧の条件で起こると考えられており、その直接観察は困難です。そのため、水の特異物性の原因解明は行き詰まっていました。このような背景から、今日では水の構造に関する研究が重要視されています。
本研究グループはこれまでの研究で、アンビル型高圧発生装置注2を用いて、水よりも高密度な高圧氷と水との界面に通常の水とは混ざり合わない高密度水ができることを光学顕微鏡その場観察で発見しました。これに対し、今回、本研究グループは、普段私たちが目にする氷(水よりも低密度な六方対称の氷Ih)と水の界面の光学顕微鏡その場観察を試みました。
○成果の内容
研究グループは、普通の氷である氷Ihを研究対象としました。北海道大学低温科学研究所にある低温室内(−10°C)にアンビル型高圧発生装置と観察用の微分干渉顕微鏡注3を設置し、水を107 MPa(1056気圧)以上の低温高圧の条件におきました。この水を減圧することで氷Ihの結晶を作り、その成長と融解の過程を顕微鏡でその場観察しました。減圧により成長する氷Ihと水の界面を詳細に観察することで、周囲の水に対してはっきりとした界面を持ち、周囲の水から分離した液体の膜や微小な液滴ができていることが明らかになりました(図1)。また、加圧により融解する氷の界面には、やはり周囲の水から分離した微小な液滴が形成することが分かりました(図2)。液滴の濡れ角から、これらの未知の水は周囲の水と比較して低密度であることが示され、水/氷Ihの界面にはこれまで知られていなかった未知の水ができることが示されました。研究グループがこれまでに水/高圧氷の界面に発見した高密度水に対し、水/氷Ihの界面に2種目の未知の水である低密度水が存在することが今回明らかとなりました。このことは、LDLとHDLという通常の水とは異なる2種類の水が存在するという仮説と類似して、水/氷の界面には、通常の水とは異なる少なくとも2種類(低密度および高密度)の水が存在することを示しています。
さらに、今回発見した低密度水の動きを解析することにより、液体の流れやすさの指標となる特徴的速度(表面張力と粘性の比)の値をおよそ20 m/sと測定することができました。この値は、空気と氷Ihの界面にできる疑似液体層注4の示す値(2 m/s~0.2 m/s)とは異なるため、今回発見した低密度な未知の水は、通常の水とも疑似液体層とも異なる液体であることが分かりました。また、高圧氷と水の界面にできる高密度水の動きの解析から、その特徴的速度もおよそ100 m/sと測定しました。LDLの粘性は、HDLの粘性よりも1桁大きいことが分子動力学計算注5により示されています。今回決定した低・高密度な水の特徴的速度の関係は、LDLとHDLの粘性の関係と類似していることが分かりました。今後、低・高密度な未知の水とLDL・HDLの関係を明らかにしていくことで、水の特異物性の謎に迫ることができます。
○意義・課題・展望
水の物性は、地球における様々な自然現象を支配します。また、宇宙においても氷天体の地質現象、小惑星内部での水―鉱物―有機物の相互作用、氷表面での有機化合物の生成などに直接かかわります。そのため、水の性質を明らかにすることは極めて重要です。本研究成果により、水の隠れた性質がまたひとつ新たに明らかとなりました。本研究の、水/氷界面における“未知の水”の多様性の発見は、未だ謎に包まれた奇妙な液体である水の物性の原因解明だけでなく、私たちがこれまで理解できなかった水の関わる現象の解明にも分野を問わず貢献することが期待できます。
図1: 水/氷Ih界面に形成する低密度な未知の水の顕微鏡その場観察像。A:減圧により成長する氷Ih単結晶。B:図Aの拡大像。a–dは図A中の点線で示された領域a–dの拡大像。白い矢印は低密度な未知の水の液滴を示す。C:各顕微鏡像の模式図。
図2: 水/氷Ih界面に形成する低密度な未知の水の微分干渉顕微鏡その場観察像。A:加圧により融解する氷Ih単結晶。B:図Aの拡大像。a–dは図A中の点線で示された領域a–dの拡大像。図a,c中の白い矢印は低密度な未知の水の液滴を示す(液滴を見やすくするため、図b,d中の液滴には矢印を付していない。)C:各顕微鏡像の模式図。
本成果は、東北大学多元物質科学研究所の新家寛正助教、北海道大学低温科学研究所の木村勇気准教授、香内晃教授、山崎智也特任助教、東京大学大学院総合文化研究科 広域科学専攻/附属先進科学研究機構の羽馬哲也准教授、産業技術総合研究所環境創生研究部門の灘浩樹研究グループ長との共同研究によるものです。また本研究は、北海道大学低温科学研究所共同利用・共同研究課題番号18K001、公益財団法人日本科学協会笹川科学研究助成課題番号2021-2001の支援を受けて実施されました。
タイトル:Low- and High-Density Unknown Waters at Ice-Water Interfaces
著者:Hiromasa Niinomi, Akira Kouch, Tetsuya Hama, Hiroki Nada, Tomoya Yamazaki and Yuki Kimura
掲載誌:The Journal of Physical Chemistry Letters
DOI: 10.1021/acs.jpclett.2c00660
※関連URL(2020年8月7日付プレスリリース):
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2020/08/press20200807-01-water.html