発表・掲載日:2022/04/26

腸内フローラを利用してマウスの健康状態を迅速に判定する技術を開発

-細菌と接触させたポリマーの蛍光パターンを機械学習により解析-

ポイント

  • 腸内フローラと混ぜるだけで、細菌表面の特性を青色の蛍光に変換できるポリマー群を開発
  • 蛍光強度のパターンを機械学習で解析することで、睡眠障害によるマウス腸内フローラの乱れを判定
  • 患者を傷つけることなく、迅速・簡易・安価に健康状態をモニタリングする技術への応用が期待

概要

国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)健康医工学研究部門 ナノバイオデバイス研究グループ 冨田 峻介 研究グループ付、小島 直 主任研究員、石原 紗綾夏 テクニカルスタッフ、栗田 僚二 研究グループ長、生物プロセス研究部門 生物資源情報基盤研究グループ 草田 裕之 研究員、玉木 秀幸 研究グループ長、生命工学領域 宮崎 歴 副領域長は、細菌と接触すると青色の蛍光を発するポリマーと蛍光強度パターンの特徴を選別する機械学習を用いることで、腸内フローラの細菌組成の特徴を高精度に判定できる分析技術を開発した。

この技術はchemical noseと呼ばれるバイオ分析法を利用しており、開発したchemical noseは凝集すると発光する構造をもつ12種類のポリマーからなる。これらのポリマーを腸内細菌と混ぜることでさまざまな蛍光シグナルを検出することができ、そのパターンから細菌を特徴づけることができる。開発したchemical noseを用いて、マウスから採取した腸内フローラサンプルを比較解析することにより、マウスの健康状態を高精度に判定することに成功した。この技術は、標準的な腸内フローラの解析法であるアンプリコンシーケンス解析とは異なる観点から腸内フローラの状態を特徴づけることを可能にした。また、アンプリコンシーケンス解析よりも迅速、簡便、かつ安価に実施できるという長所をもつ。将来的には、ヒトの腸内フローラサンプルを検体として、健康管理を目的とした診断技術としての応用が期待される。なお、この技術の詳細は、2022年4月26日(英国時間)に英国の学術誌「Chemical Science」にオンライン掲載される。

概要図

開発したchemical noseセンサーによるマウスの腸内フローラ分析


開発の社会的背景

ヒトの腸内には1,000種以上の多種多様な細菌が生息している。これらの細菌の集合は「腸内フローラ」と呼ばれ、宿主であるヒトと相互に作用し、健康状態の維持や疾患の発症に深く関わっている。今日では、睡眠障害や肥満、自閉症スペクトラム症、がんなどの患者で腸内フローラの異常が見つかっている。腸内フローラを構成する細菌組成の特徴を理解し、コントロールすることは、病気の診断や治療だけでなく、日常的な健康管理にもつながるため、予防医学の観点からも重要であると考えられるようになってきた。

腸内フローラを分析する標準的な方法であるアンプリコンシーケンス解析は、PCR増幅したマーカー遺伝子(16S rRNA遺伝子)を読み取ることで、腸内フローラを構成する多数の細菌を検出することを可能にする。しかし、この解析法は、次世代シーケンサーが高額なだけでなく、データの取得・解析のために専門知識と多大な労力を要する。そのため、限られた設備のもとで迅速に腸内フローラの状態を把握したいという産業・医療現場のニーズに合致していない。

 

研究の経緯

産総研は、蛍光性のポリマー群を並べたアレイと機械学習を融合することで、ヒトの嗅覚や味覚といった感覚機能の仕組みを模倣したバイオ分析技術‘chemical nose’の開発に取り組んできた。例えば、正常細胞とがん細胞の識別やタンパク質医薬品の品質評価、細胞の薬剤応答モニタリングは、抗体や酵素に頼る従来技術では困難であった。しかし、chemical noseにより、これらの高精度な評価を実現してきた。また、産総研は培養の困難な嫌気性の腸内細菌のゲノム解析やマウスの睡眠障害と腸内細菌との関連の解析においても知見を有している。本研究では、chemical noseを細菌の分析へと応用し、腸内フローラの複雑な組成を認識することで、睡眠障害の診断技術の確立を目指した。

本研究の一部は、日本学術振興会の科学研究費助成事業(JP17H04884, JP19H05679, JP19H05683, JP20H02774)、科学技術振興機構(JST) ERATO「野村集団微生物制御プロジェクト」(JPMJER1502)、日本医療研究開発機構(AMED)の革新的先端研究開発支援事業(PRIME)(JP18gm6010019)の支援を受けて実施した。

 

研究の内容

(1) chemical noseのための材料設計

多種類の細菌からなる腸内フローラの特徴を捉えるchemical noseを開発するために、ポリエチレングリコールとポリリジンが連結したポリマーを骨格として、12種類の水溶性ポリマー群を合成した。これらは、二つの機能ユニットをもつ(図1)。その一つはリポ多糖や脂質、ペプチドグリカン、タンパク質などからなる腸内細菌表面の特性に応じて、さまざまな強さで結合させるための認識ユニットであり、もう一つはポリマーと細菌の結合情報を蛍光シグナルに変換させるための出力ユニットである。認識ユニットには、荷電性や疎水性が異なる多様な構造の官能基を導入した。出力ユニットには、細菌と結合すると蛍光を発する凝集誘起発光性の蛍光色素を導入した。

図1

図1 腸内フローラ分析のために設計したポリマー群。
認識ユニットの図において、青色部分は正電荷、赤色部分は負電荷を示す。

(2) Chemical noseを用いた腸内由来細菌の同定

作製したポリマーアレイの基礎特性を調べるために、初めに16種類の単離された腸内由来細菌株の判別を試みた。これらの細菌株は、腸内に存在する細菌の97%を占めるといわれる主要な系統(Actinobacteria門、Bacteroidetes門、Firmicutes門、およびProteobacteria門)から選択された(図2A)。Chemical noseによって得られた細菌株の蛍光パターン(図2B)を線形判別分析という機械学習技術によって解析した。その結果、蛍光パターンを二次元空間上で視覚化した判別スコアプロットにおいて、細菌株毎のパターンに対応する点の集まり(クラスター)が重なることなく分布した(図2C)。実際に、交差検証法によって識別の精度を調べたところ、ほぼ100%の精度で細菌株の“種”を識別できることが判明した。これに加え、chemical noseは、より高位の系統である“門”レベルの特徴をも認識することに成功した(図2D)。この結果は、細菌の種や門に共通する特徴をchemical noseが感知できることを示唆している。本技術を細菌全般に対して適用できるかどうかを明確にするためには、より多くの細菌種を検討する必要があるものの、細菌の系統と相関のある情報を取得できたことから、本技術には高い汎用性があることが期待される。

図2

図2 Chemical noseを用いた腸内由来細菌株の判別。
図2Cおよび2Dは判別スコアプロットと呼ばれ、横軸の判別スコア(1)は各細菌のデータの集まり(クラスター)を最もよく分けられる軸、縦軸の判別スコア(2)はその次に分けられる軸である。

(3) 腸内フローラ分析によるマウスの健康状態の検出

腸内フローラサンプルは非侵襲的に採取できるため、健康状態の日常的なモニタリングへの利用が期待される。そこで、マウスの糞便中の腸内フローラをchemical noseによって分析し、マウスの健康状態を判定できるかを調べた。8 週齢のマウスを10日間、通常の状態で個別に飼育した後で二群に分け、一方はそのままの環境で飼育を継続し、もう一方は、活動リズムの乱れによる影響を評価するためのモデルマウス作成用ケージに移し、さらに28日間飼育した(図3A)。通常ケージでは、マウスは夜間に活動的であったが、モデル作製用ケージに移したマウスはその直後から昼夜を問わず活動し、睡眠の断片化を引き起こした(図3B)。これらの正常マウスおよび睡眠障害モデルマウスから、28日経過後に糞便サンプルを採取し、chemical noseによって分析した。その結果、正常マウスと睡眠障害モデルマウスの応答パターンに差異が認められ、交差検証からマウスの健康状態を高精度に診断できることが示された(図3C)。

図3

図3 Chemical noseによる腸内フローラ分析にもとづくマウスの睡眠障害の検出。
図3Bでは回転かごの回転頻度を黒色で表している。睡眠障害モデルマウスについては、10日経過時点で専用ケージに移した。図3Cの下図は線形判別分析による判別スコアをヒストグラムとして表している。

今後の予定

ポリマーや解析法を腸内フローラ分析にさらに適した形に改良し、睡眠障害以外のマウスの健康異常やヒトの糞便試料への適用の可能性を検討する。個人の健康状態のモニタリングや腸内フローラの改善を目的とした食品開発のためのスクリーニング技術などへの応用を目指す。さらに、他の体部位や環境中の細菌および物質生産などに利用される各種細菌への適用も検討する。また、企業との共同研究を通して、本成果の社会実装を目指す。

 

論文情報

掲載誌:Chemical Science
論文タイトル:Polymer-based chemical-nose systems for optical-pattern recognition of gut microbiota
著者:冨田 峻介、草田 裕之、小島 直、石原 紗綾夏、宮崎 歴、玉木 秀幸、栗田 僚二


用語の説明

◆機械学習
画像や音声などのデータから一定の特徴や規則のパターンを選別して取り出す情報処理技術。その応用例は、画像認識や文字認識、生体認証など多岐にわたる。線形判別分析は「教師あり学習」と呼ばれる代表的な機械学習法の一つであり、新しく得られたデータが、どのグループに該当するかを判別するための基準を与える。[参照元へ戻る]
◆腸内フローラ
ヒトやマウスなどの動物の腸内には多種多様な細菌が集団として生息しており、これを腸内フローラと呼ぶ。腸内細菌叢とも呼ばれる。腸内フローラは、宿主の免疫調節や物質代謝など重要な役割を果たしている。この腸内フローラを構成する細菌組成のバランスが乱れると、消化器系疾患、生活習慣病、がん、精神疾患などにつながることが報告されている。[参照元へ戻る]
◆chemical nose
ヒトは、感覚細胞の種類と比べて膨大な数の匂いや味を判別することができる。この機能は、感覚細胞によって生成された匂いや味のパターンを脳が処理し、過去の経験と照らし合わせることで実現されている。Chemical nose(またはchemical tongue)は、この仕組みを人工的に模倣することで、複雑なバイオ試料を理解するために開発された分析技術である。[参照元へ戻る]
◆アレイ
「配列」や「整列」を意味する。バイオ分析の分野では、DNAマイクロアレイなどといった異なるセンサー要素を並べたセンシング用の基板を意味することが多い。ここでは、多数のくぼみのついたマイクロプレートと呼ばれる実験器具に異なる構造の蛍光ポリマーの水溶液を配置したものを指す。[参照元へ戻る]
◆凝集誘起発光(Aggregation-Induced Emission, AIE)
希薄な溶液状態では発光しない色素分子が、凝集すると強く発光するようになる現象。こうした特性を示す色素はAIEgenと呼ばれ、代表的なものとして、tetraphenyl ethylene (TPE)や1,1,2,3,4,5-hexaphenylsilole (HPS)などが知られている。[参照元へ戻る]
◆アンプリコンシーケンス解析
ポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase Chain Reaction, PCR)を用いて細菌の16S rRNA遺伝子の特定領域を増幅し、その増幅した遺伝子を高速シーケンサーで解析する手法。腸内フローラ解析の一般的な手法であり、糞便などのサンプルに含まれる細菌種とその割合を可視化することができる。[参照元へ戻る]
◆交差検証法
得られたデータセットの性能を評価するための手法の一つ。データセット全体を二つに分割し、一方を用いてモデルを作成し、残るデータでそのモデルを評価する。[参照元へ戻る]
◆非侵襲的
生体を傷つけないこと。血液検査や細胞診は痛みを伴う侵襲的な診断法であるのに対し、糞便や尿、唾液は非侵襲的に検体が得られるため、これらを用いた診断技術は患者の負担を抑えることができる。[参照元へ戻る]


お問い合わせ

お問い合わせフォーム