東京大学大学院新領域創成科学研究科の岡本敏宏准教授、Craig P. Yu大学院生(研究当時)、熊谷翔平特任助教、竹谷純一教授、筑波大学数理物質系の石井宏幸准教授(研究当時: 東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 特任研究員)、北里大学理学部物理学科の渡辺豪講師、産業技術総合研究所 産総研・東大 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ(注2)は、電子輸送性(n型)有機半導体(注3)分子を均等なレンガ塀様式に整列させ、高移動度(注4)有機トランジスタに適したフレームワークを構築することに成功しました。
パイ電子系分子(注5)からなる有機半導体は、低温での製造が可能なことや、軽量性、フレキシビリティに優れるなどの特長を有するため、近未来のハイエンドデバイスへの応用が期待されています。例えばIoT社会(注6)に必須な電子タグやマルチセンサーには論理回路(注7)が必須であり、高性能な有機トランジスタの開発が必要です。特に、正孔(注8)を輸送キャリアとするp型有機半導体(注9)に比べて、高移動度、大気安定性に優れるn型有機半導体の開発は進んでおらず、n型有機半導体の分子構造と集合体構造との関係性を明らかにしつつ、有機トランジスタへの応用を図る必要があります。
今回、以前に報告していたパイ電子系に2つの窒素を持つn型有機半導体BQQDI誘導体(T. Okamoto et al., Science Advances 2020, http://www.k.u-tokyo.ac.jp/info/entry/22_entry866)が形成するレンガ塀(ブリックワーク)型の結晶構造に着目し、新たにかさ高い置換基を持つBQQDI誘導体を開発しました。中でも、環状アルカンであるシクロヘキシル置換基を持つCy6−BQQDIにおいて、レンガ(分子)の配置が整う効果が現れ、理論計算および有機トランジスタで評価すると、等方的かつ高い電子輸送能力が発現することが明らかとなりました。通常、置換基には溶解性向上のために直鎖型または分枝型アルキル基が用いられますが、今回、よりかさ高い環状置換基を用いることで、有機半導体分子が均等な配置となり、高性能化が実現しました。本研究成果により、今後の有機半導体開発において、安価で環境に優しいハイエンドデバイスの開発や、未利用エネルギーを有効活用するエネルギーハーベスト(注10)など、次世代の有機エレクトロニクス分野の研究開発を加速します。
本研究成果は、2021年11月11日付で国際科学雑誌「Communications Chemistry」のオンライン速報版で公開されます。
<研究の背景と経緯>
弱くて可逆的な分子間力によりパイ電子系分子が結びついた固体である有機半導体は、低温で塗布法(注11)による成膜が可能であること、軽量性と柔軟性に優れるなどの特長から、次世代のプリンテッド・フレキシブルエレクトロニクス(注12)において鍵となる材料として期待されています。しかしながら、重なりの小さな分子軌道(注13)を介して電荷輸送が行われること、さらに室温結晶中では分子が熱運動することで分子軌道の重なりが乱されるため、有機半導体は一般に1 cm2 V-1 s-1を下回る電荷移動度の低さが欠点とされています。近年、結晶構造や熱運動(注14)に関する理解が進み、p型有機半導体では10 cm2 V-1 s-1級の正孔移動度を示すものが開発されていますが、n型有機半導体で同等の電子移動度を示すものはありませんでした。
本研究グループが近年開発したn型有機半導体BQQDI誘導体は、パイ電子系骨格に導入した窒素が隣接する分子間に相互作用を与えることで、分子軌道の重なりが二次元的につながったレンガ塀型の結晶構造を形成します(図1)。この相互作用により、最大で3 cm2 V-1 s-1という、従来の一般的な有機半導体よりも高い電子移動度が観測され、BQQDI誘導体では分子の熱運動が抑制されたと考えられます。一方で、このBQQDI誘導体は直鎖アルキル基やフェネチル基を置換基に有していることで、窒素を介した分子間相互作用により一定の長軸ずれが生じるため、ずれたレンガ塀構造を形成していました。このレンガ塀を均等に積み上げることができれば、分子軌道の重なりが均等になることでより一層の移動度の向上につながると考えられたため、それに適した置換基を見出すことが求められていました。
<研究の内容>
本研究では、これまでの直鎖アルキル基などとは異なる性質を持つ置換基として、かさ高い環状アルキル基であるシクロヘキシル基の導入を試みました。ここで、これまでBQQDI誘導体を合成するためにはBQQ−TCDA(注15)が前駆体として用いられてきましたが、この手法では目的物であるCy6−BQQDIを高収率・高純度で得ることができず、今回はBQQ−TCDAの前駆体であるBQQ−TC(注16)を用いた改良合成法を新たに見出すことに成功しました(図2)。
その結果、結晶中で隣接する3分子の位置関係は、直鎖アルキル基やフェネチル基を有するこれまでのBQQDI誘導体では崩れた三角形をなすのに対し、Cy6−BQQDIでは二等辺三角形をなすことがわかりました。BQQDI分子が結晶を作る際、できるだけ置換基同士がぶつからないように整列しますが、直鎖アルキル基やフェネチル基などの場合には、置換基がBQQDIのパイ電子系骨格平面に対し一方に張り出した分子構造を持つために、分子同士が縦横にずれて崩れた三角形に並ぶと考えられます。一方で、シクロヘキシル基の場合には、パイ電子系骨格平面に対し置換基が上下均等に張り出すために、均等な三角形を作ったと推察されます。その結果として、Cy6−BQQDIで均等なレンガ塀構造の構築に成功しました。また、バンド計算(注17)により、均等さに由来する等方的な電子輸送能を有することが推定されました。さらに、分子動力学計算を用いることで、崩れたレンガ塀構造を持つPhC2−BQQDIと比較して、Cy6−BQQDIの均等なレンガ塀構造では隣接分子間の分子軌道の重なりが熱運動により乱されにくいことが示唆されました。
以上の理論計算による知見は、塗布型単結晶トランジスタでの検証により、Cy6−BQQDIは結晶方位に依らず1.5から2.0 cm2 V-1 s-1の高移動度を示すことが推定されました。また、真空蒸着型多結晶トランジスタでも最大1 cm2 V-1 s-1の高移動度が観測されたことから、Cy6−BQQDIが有する異方性が小さく均等なレンガ塀構造が、高電子移動度に有望なフレームワークであると期待されます。
<今後の展開>
本成果により、かさ高い置換基の効果により、均等なBQQDI誘導体のレンガ塀構造を構築することができ、高性能n型有機半導体に有望であることが明らかになりました。本成果を基に、かさ高い環状アルキル基の適切な修飾を探索することで、均等なレンガ塀構造を有し、かつ塗布法に適したn型有機半導体を実現できると考えられます。したがって、今後、安価で環境に優しいハイエンドデバイスや、未利用エネルギーを活用するエネルギーハーベストなど、有機エレクトロニクス分野の研究開発を加速することが期待されます。
本研究成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)
研究領域 「微小エネルギーを利用した革新的な環境発電技術の創出」
(研究総括:谷口 研二 大阪大学 名誉教授、研究副総括:秋永 広幸 産業技術総合研究所 ナノエレクトロニクス研究部門 総括研究主幹)
研究課題 「有機半導体の構造制御技術による革新的熱電材料の創製」
研究者 岡本 敏宏(東京大学大学院新領域創成科学研究科 准教授)
研究期間 平成29年10月~令和3年3月
(図1)レンガ塀構造の例。白色点線は3つのレンガが二等辺三角形様に配置されることを表している。
(図2)BQQ−TCDAを用いた従来のBQQDI合成方法と、本研究で開発したBQQ−TCを原料とするCy6−BQQDIの合成方法
(図3)Cy6−BQQDIとPhC2−BQQDIを例にした結晶構造と分子構造の違い。フェネチル置換基とシクロヘキシル置換基を強調している。
岡本 敏宏(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 准教授/
科学技術振興機構(JST) さきがけ研究者 兼務/
産業技術総合研究所 産総研・東大 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ 客員研究員 兼務(研究当時))
Craig P. Yu(東京大学大学院新領域創成科学研究科 博士後期課程3年(研究当時))
熊谷 翔平(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 特任助教)
竹谷 純一(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 教授/
マテリアルイノベーション研究センター(MIRC) 特任教授 兼務/
産業技術総合研究所 産総研・東大 先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ 客員研究員 兼務(研究当時)/
物質・材料研究機構 国際ナノアーキテクトニクス研究拠点(WPI-MANA)MANA主任研究者(クロスアポイントメント))
石井 宏幸(筑波大学数理物質系 准教授/
東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 特任研究員(研究当時))
渡辺 豪(北里大学理学部物理学科 講師)
雑誌名:「Communications Chemistry」(2021年11月11日付)
論文タイトル:“Approaching isotropic charge transport of n-type organic semiconductors with bulky substituents”
著者:Craig P. Yu, Naoya Kojima, Shohei Kumagai, Tadanori Kurosawa, Hiroyuki Ishii, Go Watanabe, Jun Takeya, Toshihiro Okamoto*
DOI番号:10.1038/s42004-021-00583-2.