国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 石村 和彦】(以下「産総研」という)地質情報研究部門【研究部門長 荒井 晃作】地殻岩石研究グループ 野田 篤 研究グループ長、宮崎 一博 副研究部門長、水野 清秀 研究員、長田 充弘 研究員(現所属:国立研究開発法人 日本原子力研究開発機構)は、香川・徳島県境域にまたがる讃岐山脈を中心とし、徳島県三好市を含む地域(阿波池田地域)の地質調査の結果をまとめた5万分の1地質図幅「池田」を刊行した。
中央構造線は世界第一級の大断層であり、九州東部〜関東地方にかけての西南日本を南北に二分する地質学的に重要な境界線である。今回刊行した四国北東部の「池田」図幅は、この中央構造線を境に北側には、1)領家コンプレックスと呼ばれるマグマ由来の花こう岩と高温による変成岩、2)領家コンプレックスをけずるようにして堆積した地層(和泉層群)が分布する。さらに南側には、3)三波川コンプレックスと呼ばれる高圧による変成岩が分布する。これらの岩石は、いずれも同じ後期白亜紀に形成された。このように「池田」地域では、同じ時代の3種の岩石(地層)が、でき方やできた場所が全く異なるにもかかわらず1カ所に隣接して分布することが分かった。それは日本列島などの沈み込み帯に特徴的な地質構造であり、日本列島の成り立ちの謎を理解する重要なヒントになる。また、本地質図には讃岐山脈や吉野川に沿って延びる活断層や地すべりの分布も示されており、防災・減災対策や土木・建築に貢献する基礎資料として地域で活用される。
なお、本プロジェクトについては、産総研のYouTubeチャンネル「かがくチップス:日本の骨格を描き出せ!~地質図作成プロジェクト~」にて紹介され、第62回科学技術映像祭 科学技術館館長賞を受けた。(https://www.youtube.com/watch?v=b16iqokbFgE)
この地質図幅は、産総研が提携する委託販売店(https://www.gsj.jp/Map/JP/purchase-guid.html)より4月19日から委託販売を開始する。
池田地域の地質(左)と3種類の岩石ができた場所(右)
(左)「池田」地域では、中央構造線と3種類の地質(領家コンプレックス、和泉層群、三波川コンプレックス)が明瞭に観察できる
(右)領家コンプレックスは大陸地殻の中のマグマ、和泉層群は大陸地殻の上の堆積盆、三波川コンプレックスは大陸地殻の下の海洋地殻と、3種類の岩石は同じ時代の全く異なる場所でできた
地質図(幅)は、植生や土壌をはぎ取った地面の下の地層・岩石の分布を表した地図のことで、資源開発や防災・減災、土木・建設、観光振興、環境保全対策など幅広い分野で基礎資料として利用される国土の基本情報である。また、日本列島の成り立ちや歴史を探る学術資料としても重要である。5万分の1の地質図幅は、産総研が出版する地質図類の中で最も高精度の地質図であり、日本列島を約1300に分割した区画ごとに地質調査を実施し、その結果をまとめたものである。産総研 地質調査総合センターでは、地質調査のナショナルセンターとして全国各地域の地質を調査・研究し、地質図幅の整備を行っている。
香川・徳島県境に位置する「池田」地域(以下,本地域)は、中心部に讃岐山脈が東西に延び、その南縁には中央構造線と呼ばれる西南日本の地質を内帯と外帯の2つに区分する重要な構造線がある(図1)。本地域は、中央構造線を挟んだ両側の地質帯を観察することができ、また江戸時代にも活動したとされる中央構造線の活断層があるため、学術的にも防災の観点からも重要な地域となっている。
そこで、産総研 地質調査総合センターでは、2015年度から本地域の地表踏査を開始し、述べ252日間の野外現地調査に加え、岩石試料の顕微鏡観察・化学分析や放射年代測定などの室内実験を経て、5万分の1地質図幅「池田」を刊行するに至った。
図1 「池田」地域の位置
中央構造線を境に西南日本の地質は内帯と外帯に区分される
本地域は、四国北東部の香川県と徳島県にまたがる讃岐山脈を中心とする地域であり、讃岐山脈南縁に沿って東西に延びる中央構造線を境に北側の西南日本内帯と南側の西南日本外帯の両方の地質体を含む。本地域の地質基盤となる岩石は、内帯では領家コンプレックスと和泉層群、外帯では三波川コンプレックスであり、そのほとんどは後期白亜紀(約1億年〜6600万年前)にできた岩石である(図2)。
領家コンプレックスは、主に花こう岩と高温低圧型変成作用を受けた変成岩からなる。花こう岩は大陸地殻の中の地下深くで、マグマが冷え固まってできた岩石であり、放射年代測定によって約9400万年〜8800万年前の約600万年間にわたってマグマが供給されていたことが分かった(図2)。変成岩は、そのときのマグマの高熱によってできた岩石であり、そのもとになった岩石(原岩)は約2億6000万年前に海底で堆積した砂や泥からなる(図2)。
同じく内帯の和泉層群は、沈み込み帯に沿う大陸斜面や前弧海盆に発達した海底扇状地の堆積物であり、地層の厚さは本地域だけでも見かけで10 km以上に及ぶ。地層に含まれる火山灰粒子の放射年代測定の結果、この地層は後期白亜紀のごく限られた期間(約8000万年〜7800万年前の間)に堆積したことが分かった(図2)。また、和泉層群は領家コンプレックスをけずるようにして、その上に堆積しており、領家コンプレックスの花こう岩や変成岩の礫を含んでいる。このことから、和泉層群が堆積していたときには、領家コンプレックスの岩石は大陸地殻の中から地表まで隆起していて、陸上で侵食されて砂や礫になる部分と、海底に沈んで和泉層群に覆われる部分とがあった。このように活発な地殻変動による山脈の隆起や侵食が多量の土砂を前弧海盆に供給して和泉層群を作ったと考えられる。
三波川コンプレックスは、低温高圧型変成作用を受けた変成岩からなる。調査によって採取した岩石試料の放射年代や顕微鏡観察の結果、後期白亜紀(約9300万年〜7400万年前)に海溝で堆積した砂や泥が付加体となり、それがジュラ紀(約1億5000万年前)の海洋地殻とともに深さ約40 km程度(大陸地殻の下でマントルとの境界付近)まで沈み込んで、その高い圧力によって変成した岩石であることが明らかとなった。この変成岩は、その後、約7400万年〜6200万年前に地下深部から上昇を始め、中央構造線を境にして内帯の岩石(領家コンプレックスや和泉層群)と接することになった(図2)。
この後、約1500万年前(中新世)の日本海が開く時期に、領家コンプレックスの分布域でも火山活動が起こり、そのときに噴出した火山岩の一部が花こう岩の上に残っている(図2の瀬戸内火山岩類)。さらに、三豊層群・野呂内層・土柱層と呼ばれる地層が讃岐山脈の隆起に合わせて堆積しており、ここに含まれる火山灰の放射年代測定から、第四紀の初め(約240万年前)には山脈の隆起が始まっていたことが明らかとなった(図2)。
讃岐山脈の南縁には中央構造線活断層系の池田断層・箸蔵断層・三野断層があり、いずれも第四紀の地層を切る活断層である(図3)。讃岐山脈の北縁にも竹成断層・江畑断層・樫原断層などの断層があり、このうち江畑断層が活断層となっている。また、讃岐山脈の徳島県側には地すべり堆積物が数多く見られ、特に山地の傾斜と地層の傾斜が同じ方向になっているところに大規模な地すべりが多い(図4)。
このように、本地域は西南日本の基盤を構成する外帯・内帯の地質体を含む、つまり異なる場所でできた異なる種類の岩石が隣接して分布するという沈み込み帯に特徴的な地質構造を示している。「池田」図幅は、沈み込み帯に位置する日本列島のなり立ちの解明につながる情報が詰まった重要な地域の地質図であるため、さまざまな種類の地質が観察できる利点を生かした地学教育や観光産業の基礎資料としての活用が見込まれる。また、活断層や地すべりなどの地震・土砂災害に対する防災・減災の観点からも地質図幅の利用が期待される。
図2 「池田」地域の地質総括図
図3 池田地域の断層
活断層は赤字で示している
図4 讃岐山脈の地すべり堆積物(徳島県三好市三野町)
山の斜面と地層が同じ方向(北東側)に傾斜しているところに大規模な地すべり(ls)が多い
中央構造線を含む地域の地質をさらに調べるために、令和2年度より、四国東部の5万分の1地質図幅「鳴門海峡」と四国西部の5万分の1地質図幅「松山北部」の調査を開始している。今後も地質図幅の整備を通じて、日本列島のなりたちを解き明かしていくとともに、地質災害の軽減に資するための基本的な地質情報を提供し、安全・安心な生活や産業振興への貢献を図っていく。