国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 石村 和彦】(以下「産総研」という)計量標準総合センター 物理計測標準研究部門【研究部門長 島田 洋蔵】時間標準研究グループ 小林 拓実 主任研究員、赤松 大輔 主任研究員、同研究部門 保坂 一元 副研究部門長らは、国立大学法人 横浜国立大学と共同で、光格子時計の長期間にわたる高稼働率運転を世界で初めて達成した。
光格子時計は圧倒的に短い計測時間で高い正確さが得られる優れた時間周波数標準であることが、国内外の研究によって実証されてきた。これらの成果を受け、メートル条約関連会議にて、時間の単位「秒」を、光の周波数を用いて再定義することが検討されている。一方、将来新しい定義に基づき国際原子時や協定世界時を運用するには、セシウム原子泉方式一次周波数標準器のように長期間高い稼働率で運転することが求められるが、光格子時計は多数のレーザーを必要とする複雑な装置であるため、これまで長期間にわたる高稼働率運転は困難であった。
今回、レーザーの周波数オートリロック技術を開発し、周波数安定化システムに導入することで、光格子時計の無人運転を実現した。これにより、2019年10月から2020年3月までの半年間で、稼動率80 %以上の高稼働率運転を達成した。これは、これまでに報告された1か月間程度の高稼働率運転を大きく上回る結果であり、周波数標準器として世界で最も安定な運用が可能な光格子時計が実現したことになる。この結果、メートル条約関連会議傘下の作業部会は、この光格子時計が国際原子時に貢献することを勧告した。今後もさらに高い稼働率を継続し、国際原子時に寄与することで「秒」の再定義に向けた活動を推進する。
なお、この技術の詳細は、2020年11月2日(協定世界時)に発行される学術誌Metrologiaで発表される。
無人運転を可能にしたことで長期間の高稼働率運転を達成した光格子時計の概念図
産総研 計量標準総合センターは、日本の国家計量標準機関としてさまざまな「ものさしの基準」(計量標準)を開発し、社会に供給する役割を担っている。2019年5月に、国際単位系(SI)の、質量、電流、熱力学温度、物質量の単位、キログラム(kg)、アンペア(A)、ケルビン(K)、モル(mol)の4つの定義が同時に改定された。この定義改定に伴い、時間の単位、秒(s)は、他のSI基本単位(m, kg, A, K, cd)を実現する際に必要な単位となり、時間標準はひときわ重要な標準となった。
現在、秒(s)はセシウム原子に共鳴するマイクロ波領域の周波数(約9.2 GHz)を用いて定義されているが、マイクロ波よりも周波数が4~5桁高い光を用いると、1秒のさらなる細分化が可能になり、時計の精度が向上する。このため、光格子時計をはじめとする光を用いた原子時計(光時計)の研究が世界各国で推進されてきた。これまで、国際度量衡局で開催されたメートル条約関連会議で、秒の二次表現(新しい秒の定義の候補)として、光格子時計を含む8種類の光時計が推奨されたが、どの時計が最も適しているかの結論は出ていない。最近のメートル条約関連会議では、秒の再定義に向けた要求精度などの条件が具体的に設定された。その条件の1つに、光時計の貢献による国際原子時の精度向上が挙げられ、高精度な時計を継続して運用し、時間標準として社会へ供給することが求められている。ところが、基準となる原子の状態を正確にコントロールするために、極めて高精度のレーザーを複数用いる光時計の長期連続運転は大変困難で、現状では25日間で80 %程度の稼働率にとどまっていた。
産総研は、2009年に世界に先駆けてイッテルビウム光格子時計を開発した。また、安定に動作し、周波数雑音の極めて小さい世界最高水準の光周波数コムも開発してきた。光周波数コムは、長期間安定に動作し、高い精度でレーザー周波数を制御することにも応用できる。2018年には、これまで問題であったレーザー周波数の不安定性を解決するため、光周波数コムを応用してレーザーを安定化する手法を採用し、長期運転が可能なイッテルビウム光格子時計の開発を進め、数か月で60時間以上の運転を実現した(2018年9月21日産総研プレス発表)。
今回、JSPS科研費 若手研究B (No. 17K14367)、基盤研究A (No. 17H01151)、JST未来社会創造事業 (No. JPMJMI18A1)による支援を受け、さらに長期間にわたる高稼働率運転が可能なイッテルビウム光格子時計の開発を行った。
イッテルビウム光格子時計では、イッテルビウム原子減速用のレーザー(399 nm)、原子冷却用のレーザー(399 nm, 556 nm)、光格子用レーザー(759 nm)、時計レーザー(578 nm)など多種多様なレーザーを複数用いており、継続して光格子時計を正しく動作させるには、これら全てのレーザーの周波数やパワーを極めて高い精度で制御し続ける必要がある。イッテルビウム光格子時計には周波数ロックなどの多数のフィードバック制御が組み込まれているが、現在の制御方法ではわずかな気温や気圧の変化、振動や音響ノイズなどの外的要因により制御が中断される場合があり、光格子時計の運転時間を短くする要因となっていた。そのため、光格子時計を運転する際には、中断した装置を再起動するために対応できる担当者が実験室内にいる必要があった。今回の開発では、無人連続運転を可能にするために各レーザーの周波数オートリロック機能を開発し制御システムに導入した。この機能により、各レーザーの周波数ロックが何らかの理由で中断しても、その異常を瞬時に検知して自動で元の周波数に戻せるため、光格子時計の運転を継続でき、その結果無人運転が可能になった(図1)。
図1 イッテルビウム光格子時計の周波数オートリロック機能の概念図
周波数オートリロック機能によりレーザーの周波数制御が途切れることなく無人運転ができるようになった。また、光格子時計の状況は実験室外からリモートで監視することが出来、部分的にリモート制御が可能なシステムとなっている。光格子時計の動作に問題が発生した場合は、自動で担当者宛にメールが送信され異常を知らせる。
2019年10月から、これらの機能を導入したイッテルビウム光格子時計の運転を開始し、2020年3月までの半年間(185日間)の稼働率は80.3 %に達した。稼働状況を1か月程度の時間でみると、稼働率90 %を超える高稼働率運転を実現している月もあり、図2に示すように、時間周波数国家標準の周波数の揺らぎをリアルタイムで観測できた。185日間はこれまでの記録を大幅に更新しており、現時点では世界で最も安定して運用できる光時計といえる。また、高稼働率運転の実現により、人工衛星を介して行われる時計の遠距離比較精度も大きく改善され、16桁の精度で国際原子時の監視を実現した。
これまで困難であった光格子時計の無人運転を実現したことで、現在、国際原子時の運用に大きく貢献しているセシウム原子泉方式一次周波数標準器などと同様に、光格子時計が高い稼働率を継続して国際原子時へ寄与できることを示した。今後、メートル条約関連会議などで、秒の再定義に向けた検討がさらに加速されることが期待される。
また、時間・周波数は、あらゆる計測量の中で最も正確に計測できるため、時計の精度の向上、時計の比較技術の高度化により、ごく小さな環境外乱(電磁場、重力場)による時計周波数への影響の観察が可能となる。長期間高い稼働率で運転できる正確な時間周波数源を、基礎物理定数の恒常性の検証や相対性理論の検証に用いることにより、基礎科学の発展への貢献も期待される。
図2 イッテルビウム光格子時計の高稼働率運転データの一例(25日間の測定)
上の図の縦軸はイッテルビウム光格子時計の相対周波数と時間周波数国家標準UTC(NMIJ)の相対周波数の差(6.8 秒平均)を表す。白い筋に見える部分はデータの欠損部分。下の図は、一日毎の稼働率。
今後の予定
今後は、継続的に国際原子時へ貢献することを目指す。また、秒の定義改定に向けて、イッテルビウム光格子時計の精度と信頼性をさらに向上させ、周波数標準器としての完成度を高めていく。また、光周波数の驚異的な精度を標準時の高度化に反映させ、その恩恵を社会が享受できるようなシステムや制度を構築することも検討していきたい。