熱エネルギーと電気エネルギーの相互変換を可能にする熱電効果は、環境発電技術(3)や電子冷却技術(4)の動作原理として長年盛んに研究されています。これらの技術は主に、温度差に比例した電圧が生じるゼーベック効果や、電流に比例した吸熱・発熱が生じるペルチェ効果によって駆動されます。トムソン効果は温度差を付けた導電体に電流を流すと吸熱もしくは発熱が生じる現象であり、イギリスの物理学者ウィリアム・トムソン(ケルビン卿)によって1851年に発見されました。トムソン効果によって生成される吸熱・発熱は与えた温度差と電流の両方に比例し、2種類の物質の接合を必要とするゼーベック効果・ペルチェ効果とは異なり、トムソン効果による熱電変換は単一物質で動作します。しかし、トムソン効果はゼーベック効果の性能を決めるための補助的な手段として利用されることがあるものの、基礎・応用研究ともに研究報告は限定的でした。
ゼーベック効果・ペルチェ効果・トムソン効果に加えて、磁場を印加した導電体や磁化を持つ磁性体においては、多彩な熱電効果が発現します(図2)。熱流と電流の相互作用に磁場や磁性(スピン(5))の性質を取り入れることで、新たな物理原理や機能性の創出を目指す学問は、スピンカロリトロニクス(6)と呼ばれています。スピンカロリトロニクスは2008年以降急速に発展してきた分野であり、これまでの研究によってさまざまな熱流-電流変換現象が実験・理論の両面から研究されてきました。一方、磁場や磁性がトムソン効果に与える影響はこれまで明らかにされておらず、トムソン効果の計測・評価手法も十分に確立されていないのが現状でした。
図2 熱・電気・磁気の相互作用がもたらす熱電効果の代表例
線形応答現象であるゼーベック効果やペルチェ効果の場合は入力に比例した出力が生じますが、温度差と電流の両方に比例するトムソン効果は非線形の熱電効果に分類することができます。これまでスピンカロリトロニクス分野では磁化やスピンがもたらすさまざまな線形応答現象が研究されてきましたが、非線形熱電変換に関する実験研究は報告されていませんでした。
今回、内田グループリーダーらは、磁場を印加した導電体においてトムソン効果の性能が変調される現象「磁気トムソン効果」の直接観測に世界で初めて成功しました。本研究では、磁気トムソン効果を観測するために、ゼーベック効果が磁場に強く依存することが知られているBiSb合金を試料として用いました。BiSb合金を棒状に加工して、中心部にヒーターを取り付けることで、図1に模式的に示したように試料の領域Aと領域Bで温度勾配の方向が反転する状況を作りました。この試料に電流を流すと、トムソン効果が発現すれば領域Aと領域Bにそれぞれ逆符号の温度変化が生じます。トムソン効果に由来する温度変化が外部磁場によって変化すれば、磁気トムソン効果を実証できたことになります。
本実験では、ロックインサーモグラフィー法と呼ばれる熱イメージング技術を利用することで、BiSb合金試料に電流を流した際の温度分布を測定することにより、磁気トムソン効果を観測しました(図3(a))。磁気トムソン効果の存在を実証するためには、トムソン効果に由来する温度変化と、その他の熱電効果(図2参照)やジュール熱などによるバックグラウンド信号とを分離しなければなりませんが、従来のサーモグラフィー法ではこれらの信号の重ね合わせを測定してしまいます。一方、ロックインサーモグラフィー法では、試料に周期的に変化する電流を印加しながら赤外線カメラを用いて表面の温度分布を測定し、フーリエ解析(7)によって電流と同じ周波数で時間変化する温度変化だけを選択的に抽出することで、熱電効果に由来する信号のみを可視化することができます(図3(a),(d))。トムソン効果に由来する信号は試料に温度勾配と電流の両方を与えた際に生じるのに対し、その他の熱電効果に由来する信号は温度勾配がなくても生じるため、観測された熱画像のヒーター出力依存性を測定することにより、トムソン効果の寄与を正確に評価することができます。この手法を用いて、BiSb合金試料に生じる温度変化が磁場印加によってどのように変化するのか詳細に測定・評価しました。
実験の結果、BiSb合金試料において、正の温度勾配を付けた領域Aと負の温度勾配を付けた領域Bとで符号反転する吸熱・発熱信号が観測されました(図3(b))。この吸熱・発熱信号の符号反転は図1に模式的に示したトムソン効果の振る舞いと整合しており、その特徴である<吸熱・発熱信号の大きさが温度勾配と電流の両方に比例する>という特徴も満たしていたことから、ロックインサーモグラフィー法によりトムソン効果を測定できたことがわかります。磁場を印加しながら同様の測定を行ったところ、図3(c)に示したようにトムソン効果に由来する吸熱・発熱信号が大幅に増大することが明らかになりました。トムソン効果の増強は0.9 Tの磁場で90%以上にも達しており(図3(e))、BiSb合金においては磁気トムソン効果の寄与が磁場に依存しない成分に匹敵するほど大きいことが示されました。
図3 ロックインサーモグラフィー法による磁気トムソン効果の熱イメージング計測
(a) ロックインサーモグラフィー測定の概念図。(b),(c) BiSb合金試料におけるトムソン効果の測定結果。ロックイン振幅像がトムソン効果に由来する温度変化信号の大きさを表し、ロックイン位相像がその符号を表します。磁場を印加することにより、ロックイン振幅像における温度変化が増大します。(d) 矩形波交流電流を試料に流した際に生じるトムソン信号の時間変化。電流と同じ周波数で変動する温度変化のみを抽出した結果が、ロックイン振幅像・位相像として出力されます。(e) BiSb合金試料におけるトムソン信号の磁場依存性。
磁気トムソン効果が初めて観測されたことで、熱電分野やスピンカロリトロニクスの基礎科学・応用技術のさらなる発展が期待されます。これまでトムソン効果の応用対象は限られていましたが、今回磁気トムソン効果が従来の熱電効果(ゼーベック効果・ペルチェ効果)に匹敵する大きな出力を示すことが見出されたため、熱・電気・磁気の相互作用がもたらす新たな熱エネルギー制御技術の創出に繋がる可能性があります。
基礎科学面における重要な進展としては、トムソン効果およびその磁場・磁化依存性を評価するための汎用性・信頼性・再現性の高い計測法が確立されたという点が挙げられます。本研究では非磁性の導電体に外部磁場を与えることによって生じる磁気トムソン効果を観測しましたが、図2に例を示したように、スピンカロリトロニクス分野には未だ観測・開拓されていない物理現象が眠っており、磁性体やその複合構造においては磁化・スピンに依存したトムソン効果が発現すると期待されています。今回確立した計測・評価技術を駆使して、新たなスピンカロリトロニクス現象の開拓と、それに基づく熱電変換機能の実証を今後進めていきます。
題目:Observation of the Magneto-Thomson Effect
著者:Ken-ichi Uchida, Masayuki Murata, Asuka Miura, and Ryo Iguchi
雑誌:Physical Review Letters
掲載日時: アメリカ東部時間2020年9月2日10時(日本時間2日23時)