自然界には約3300種以上の原子核が存在しますが、この中で最小の励起エネルギー(注1)をもつ原子核がトリウム229です。この励起状態(アイソマー状態と呼ばれる)は、レーザーを用いて励起することができる唯一の原子核励起状態であり、これとレーザーを組み合わせることにより超精密時計(”原子核時計”、注2)を実現することが可能となります。またトリウム229は宇宙膨張の謎の解明など、基礎物理研究の舞台(プラットフォーム)としても有益であると予想されています。
トリウム229アイソマー状態に関する研究は40年以上にわたる歴史を持ちますが、大まかなエネルギー準位はわかっているものの、いまだレーザー励起には成功していません。困難な理由の一つが、この状態の生成方法にありました。すなわち、これまではウランからの放射線に伴う複雑な崩壊を利用する以外にその生成手段が存在しませんでした。
岡山大学、産業技術総合研究所(産総研)、理化学研究所、大阪大学、京都大学、東北大学、ウィーン工科大学、高輝度光科学研究センター(JASRI)の共同研究グループは、世界で初めてアイソマー状態を人工的に生成することに成功しました。本方法は大型放射光施設(SPring-8、注3)の高輝度X線を用いるもので、放射線の少ないクリーンな環境下でアイソマー状態を自在に生成できるという利点があります。これによりアイソマー状態の研究が進展し、原子核時計の実現に向けて大きく前進するものと期待されます。
本研究成果は英国時間9月11日午後6時(日本時間9月12日午前2時)、英国学術雑誌「Nature」のオンライン版に掲載されます。
<研究の背景>
《トリウム229とは?》
自然界には約3300種以上の原子核が存在します。このうち最も低い励起エネルギーを持つ原子核がトリウム229(原子番号Z=90、質量数A=229)です。アイソマー状態とよばれるこの状態と基底状態の間のエネルギー差はわずか数eV(注4)であり、レーザーでも励起可能なエネルギー領域にあると考えられています。通常原子核の励起エネルギーは少なくともkeVやMeVのエネルギーをもち、トリウム229のアイソマー状態は極めて特異な存在といえます。
《なぜ注目を浴びているのか?》
トリウム229のアイソマー状態は世界中の研究者の非常に熱い視線を浴びています。例えばヨーロッパでは、”nuClock”という8つの大学や企業からなるコンソーシアムを設立し、その研究に注力してきました。なお、岡山大学と理化学研究所もnuClock associatesとして参画しています。何故これほどの注目を浴びているのでしょうか?その理由は、トリウム229が自然界で唯一レーザーによる励起制御が可能な原子核であるということに加えて、日常生活への応用の面でも基礎科学の世界でも重要な役割を果たしうると期待されているからです。
現在、セシウム原子の周期的振動を用いた原子時計に基づき、時刻・時間が決定されています。これに対しトリウム原子核の周期的振動を基礎にすると、より高精度な時計(“原子核時計”)を構築することができ、全地球測位システム(GNSS; Global Navigation Satellite System)や地殻変動の観測を始めとする測地学の進歩を可能にすると期待されています。また基礎科学の観点からは、暗黒物質の探索(注5)や、物理定数の経年変化(注6)を探索する舞台(プラットフォーム)として威力を発揮すると考えられています。
《40年来の課題解決への突破口!》
トリウム229のアイソマー状態の研究は40年以上の長い歴史を持ちます。この努力の中でおおよその励起エネルギーが判明し、レーザーでも励起可能な領域にあるとの結論を得ています。しかしながら、いまだにレーザー励起の実現に必要な精度のエネルギー情報は得られておらず、またアイソマー状態の寿命についてもほとんど分かっていません。また、これまでにアイソマー状態からの光遷移の観測についても数多く試みられましたが、成功した例はありません。これらの困難な理由の一つはアイソマー状態を生成するのに放射線を伴う複雑な過程を用いなければならないことが挙げられます。実際、過去の実験はウラン233からの崩壊を用いてアイソマー状態を作り出すことを主な実験手段としてきました。
<研究成果の内容>
本研究では世界で初めてトリウム229のアイソマー状態を人工的に生成することに成功しました。本方法は大型放射光施設(SPring-8)の放射光を用いるもので、クリーンな環境でアイソマーを自在に生成できるという利点があります。
《研究方法の詳細》
本研究は SPring-8のBL19LXUとBL09XUの高輝度X線を用いて行われました。図1は、トリウム229の主要な状態を表します。通常トリウム229は基底状態にありますが、これに約29 keVのエネルギーを持つX線を照射すると、第二励起状態に遷移します。この状態への遷移は原子核共鳴散乱(注7)と呼ばれる手法を使って確認しました。図2は横軸に入射X線のエネルギー、縦軸に原子核共鳴散乱を起こした事象数を表します。図からも分かるように、入射X線エネルギーが、第二励起状態のエネルギーにピッタリ一致すると原子核共鳴散乱を起こす事象数が増加します。
本研究では、産総研が開発した高精度X線絶対エネルギーモニター(注8)を用いた測定を行うことで、第二励起状態のエネルギーやその寿命を世界最高精度で決定することに成功しました。また第二励起状態からアイソマー状態への遷移確率(分岐比)を決定することができました。これによりアイソマー状態が大量に生成されていることを実証することができました。
<本研究の意義と今後の発展>
一般に対象物の性質を詳細に知るには、対象物を数多く用意する必要があります。このとき実験の障害となる不純物が存在しないことが重要です。今回の研究の第一の意義は、トリウム229アイソマー状態を、制御された状態で自在に生成することに成功した点にあります。これに加えて、第二励起状態のエネルギーやその寿命、またアイソマーへの遷移確率などを正確に決定することができ、トリウム229原子核に対する理解が格段に進みました。
今後の目標は、アイソマー状態から基底状態への光遷移の観測です。これにより正確なアイソマー励起エネルギーの決定が可能となります。さらにはレーザーによる励起、高精度原子核時計の実現、物理定数の経年変化探索などを目指す計画です。
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図1 トリウム229準位図(関係する基底状態及び励起状態) ①-②の順番でアイソマーを生成。今後は③に示したアイソマー状態からの光遷移を観測する計画。 |
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図2 共鳴曲線(原子核共鳴散乱法によるトリウム229第二励起状態への遷移を確認) |
論文名:X-ray pumping of the 229Th nuclear clock isomer
掲載紙:Nature
著者:Takahiko Masuda1, Akihiro Yoshimi1, Akira Fujieda1, Hiroyuki Fujimoto2, Hiromitsu Haba3, Hideaki Hara1, Takahiro Hiraki1, Hiroyuki Kaino1, Yoshitaka Kasamatsu4, Shinji Kitao5, Kenji Konashi6, Yuki Miyamoto1, Koichi Okai1, Sho Okubo1, Noboru Sasao1*, Makoto Seto5, Thorsten Schumm7, Yudai Shigekawa4, Kenta Suzuki1, Simon Stellmer7,10, Kenji Tamasaku8, Satoshi Uetake1, Makoto Watanabe6, Tsukasa Watanabe2, Yuki Yasuda4, Atsushi Yamaguchi3, Yoshitaka Yoda9, Takuya Yokokita3, Motohiko Yoshimura1 & Koji Yoshimura1*
1Research Institute for Interdisciplinary Science, Okayama University, Okayama, Japan.
2National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST), Tsukuba, Japan.
3RIKEN, Wako, Japan.
4Graduate School of Science, Osaka University, Toyonaka, Japan.
5Institute for Integrated Radiation and Nuclear Science, Kyoto University, Kumatori-cho, Japan.
6Institute for Materials Research, Tohoku University, Higashiibaraki-gun, Japan.
7Institute for Atomic and Subatomic Physics, TU Wien, Vienna, Austria.
8RIKEN SPring-8 Center, Sayo-cho, Sayo-gun, Hyogo, Japan.
9Japan Synchrotron Radiation Research Institute (JASRI), Sayo-cho, Sayo-gun, Hyogo, Japan.
DOI:10.1038/s41586-019-1542-3
本研究は、独立行政法人日本学術振興会(JSPS)「科学研究費助成事業」(JP15H03661, JP17K14291, JP18H01230 and JP18H04353)、松尾財団、EU FET-Open project(No.664732 (nuClock))の支援を受けて実施しました。