国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)集積マイクロシステム研究センター【研究センター長 松本 壮平】光マイクロナノシステム研究チーム 穂苅 遼平 研究員、製造技術研究部門【研究部門長 市川 直樹】表面機能デザイン研究グループ 栗原 一真 主任研究員は、菱江化学株式会社【代表取締役 築地 永治】、東海精密工業株式会社【代表取締役 伊藤 寛】、伊藤光学工業株式会社【代表取締役 伊藤 寛】と共同で、現在主流の二色性色素偏光シートよりも高耐久で、透明性が高く、反射率を従来のワイヤーグリッド偏光素子の51 %から1/10以下に低減したワイヤーグリッド偏光素子をシート状に形成した低反射率・高耐久性ワイヤーグリッド偏光シートを開発した。
今回、金属インクでワイヤーグリッド偏光素子の構造を形作り、適切な焼成により、世界に先駆けて偏光度99 %以上、反射率5 %以下の低反射率ワイヤーグリッド偏光シートを実現した。従来のワイヤーグリッド偏光素子は、偏光度が高い、透過率が高い、薄い、といった特長を兼ね備えているが、緻密に成膜された金属を用いているため反射率が高く、その用途は液晶プロジェクターなどに限られていた。開発した技術により従来のワイヤーグリッド偏光素子の特長を活かしつつ、反射率を低減できた。また、耐熱性、耐湿性、耐光性、耐スクラッチ性も備えているため、これまで応用が難しかった眼鏡業界、自動車業界などへの展開も期待できる。
なお、この技術の詳細は、2019年7月4~5日に東工大蔵前会館(東京都目黒区)で開催される応用物理学会次世代リソグラフィワークショップ(NGL2019)で発表される。
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開発した低反射率で高耐久性のワイヤーグリッド偏光シート |
偏光素子は、液晶ディスプレーのみならず、液晶プロジェクターなどの光学機器、ヘッドアップディスプレーなどの車載機器、液晶露光装置などの製造装置、偏光サングラスなど広い分野に欠かせない偏光制御技術を支える光学素子である。車載機器や液晶プロジェクターなどでは、高温高湿の環境や常に高輝度の光が照射される環境での使用が想定されるため、製品を構成する偏光素子にも高い耐久性(耐熱性、耐湿性、耐光性)が求められる。一方、液晶プロジェクターやディスプレーなどの光学系では、迷光の抑制が依然として課題であり、反射率の低い偏光素子が求められている。しかし、これまで高い耐久性と低い反射率を兼ね備えた薄型の偏光素子はなく、そのような偏光素子を実現できれば、これまで応用が難しかった分野への展開も可能になり、偏光素子の新たな局面を迎えることが期待できる。
産総研は、従来の加工技術では困難なナノメートルスケールで高アスペクト比の構造の実現や、それによる新機能の創出を目指して、表面微細構造を利用した高精細印刷技術の開発に取り組んできた(2016年9月12日 産総研プレス発表)。その結果、印刷パターンとしては世界最小線幅の80 nmパターンの形成を実証してきた。さらに、微細で厚みのあるインクパターンが形成できる特長を活かして、エレクトロニクス素子のみならず光学素子への応用可能性を検証してきた。
ワイヤーグリッド偏光素子は、高偏光度、高透過率を兼ね備えているが反射率が高いため偏光サングラスへの応用は難しいと考えられてきた。今回、産総研は菱江化学株式会社、東海精密工業株式会社、伊藤光学工業株式会社と共同で、印刷技術で簡便に作製できる低反射率で高耐久性の可視光用ワイヤーグリッド偏光シートとそれを用いた偏光サングラスの開発に取り組んだ。
なお本研究開発の一部は、科学技術振興機構事業研究成果最適展開支援プログラム A-STEP 機能検証フェーズの支援を受けて行った。
今回、耐久性の高い金属を用いたワイヤーグリッド偏光素子の低反射率化によって、低反射率で高耐久性の可視光用偏光シートを実現することとした。可視光用のワイヤーグリッド偏光素子には可視光の波長(400 nm〜800 nm)よりも十分に細い幅のワイヤー構造が求められ、ワイヤー構造を細く、厚くすることでその偏光特性を高めることができ、これまでに実証してきた80 nmよりも細い線幅のワイヤー構造が必要である。新たにナノインプリント技術・ぬれ制御技術・印刷技術をうまく融合させて、線幅50 nm以下、アスペクト比10以上の金属インクパターンが形成できる厚膜ナノ印刷技術を開発し、世界で初めて金属インクで可視光用ワイヤーグリッド偏光シートを実現した。図1に開発したワイヤーグリッド偏光シートの作製方法を示す。まず、ストライプ形状の凸構造を持つモールドを用いてナノインプリント技術により樹脂シートに溝を形成する。次に、ブレードを用いて溝部分だけに金属インクを充填する。最後にオーブンで焼成して、ワイヤーグリッド偏光シートを作製する。すでに75 mm角の偏光シートを形成する技術を確立しているが、より大きな面積のモールドを用いることでさらなる大面積化も可能である。
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図1 低反射率で高耐久性のワイヤーグリッド偏光シートの作製方法 |
従来のワイヤーグリッド偏光素子は、真空成膜技術で緻密に堆積された金属膜を用いてワイヤーグリッド構造を形成してあり、ワイヤーの向きに平行な偏光の入射光は鏡面で反射するように高い反射率で反射する。一方、開発した偏光シートは、銀ナノ粒子インクの低温焼成体によるワイヤーグリッド構造でその偏光機能を発現しているが、低反射率化のため、ワイヤーの表面と裏面に凹凸形状を形成し、さらにテーパー形状を付与してある(図2(上段)模式図、(下段)電子顕微鏡像(SEM)写真)。表面側の凹凸形状は、焼成条件の制御により形成される。裏面側の凹凸も同様に焼成条件を制御して形成できるが、モールドの断面電子線顕微鏡像(図2下段)から分かるように、モールド先端をテーパー形状にし、さらに凹凸形状を付加してあり、樹脂シートの溝の形状に反映される。今回、凹凸の形状をうまく制御することで、5 %以下の反射率を実現できた。
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図2 ワイヤーグリッド偏光シートおよび開発に用いたモールドの構造 |
開発した低反射率ワイヤーグリッド偏光シートと、従来の二色性色素偏光シートやワイヤーグリッド偏光シートの性能を比較したものを表1に示す。ここで、透過率と反射率は、それぞれ視感透過率と視感反射率である。開発した偏光シートの特性は、ワイヤーグリッド構造、焼成条件により調整でき、例として2種の開発品(A、B)を示している。信頼性耐久試験の規格に即して、過酷な車載環境や高輝度光照射環境を想定した耐久試験を行った。開発品は、焼成工程で形成された金属焼成体により偏光素子機能が発現しており、またシート表面の深い溝に金属焼成体が埋め込まれているため、高温、高湿度、光に対して強く、試験前後で光学特性の変化はごくわずかであり、耐久性が高いと言える結果であった。一方、二色性色素偏光シートは、色素を用いているため熱耐性が低く、厳しい条件では変色が見られた。また、従来のワイヤーグリッド偏光シートでは、金属層自体は熱や光に強いが、金属層と基材を積層してあるため、厳しい条件ではカールや黒ずみが見られた。開発品の光学特性は、従来製品のワイヤーグリッド偏光シートに比べて、偏光度、透過率は劣るが、反射率は1/10以下に低減できている。また、二色性色素偏光シートと比較すると、光学特性は既に同程度の値が得られており、耐久性の面で有利である。今後の光学特性の目標は偏光度99.9 %以上、透過率40 %以上、反射率5 %以下であるが、現状の特性でも高耐久性、耐スクラッチ性などの特長から、製品としての仕様を満足する用途もあると考えている。また、すでに光学特性向上の指針、反射率の制御指針は見出しており、用途に応じた研究開発を進める準備ができている。
表1 開発品と従来製品の性能比較 |
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従来の二色性色素偏光シートは一軸延伸により二色性色素の配向を制御して偏光素子として機能させるため、素子面内に偏光度の分布を持たせることは困難であった。開発した技術は枚葉プロセスによる少量多品種生産にも対応でき、モールドのデザインにより、面内の偏光度分布を自由に制御でき、モールドを作製する工程以外は、そのままの工程で簡便に実現できる。図3に試作したグラデーション偏光シートを示す。従来のグラデーションフィルムは、透過率の階調に限られていたが、今回の技術により偏光度の階調も合わせて制御できるため、視認性確保と表示機能を両立したヘッドアップディスプレー、高度な偏光制御によって周囲からの覗き見を防ぐなどのセキュリティー対策、3D-TV用の眼鏡などのアミューズメントなどへの応用が期待でき、デザイン性・機能性の拡張が期待できる。
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図3 試作したグラデーション偏光シート(面内の偏光度分布を自由に制御可能) |
今回は印刷技術を応用することでワイヤーグリッド偏光素子の低反射率化を達成したが、今後は偏光度と透過率を両立すべく研究開発を推し進める。開発した技術が多くの産業分野で使われることを目指して、サンプルの提供や共同研究など企業連携を推進し、技術の高度化に注力していく。