強相関電子系において電荷とスピンの自由度の相互作用(電荷―スピン相互作用)は重要な役割を果たすことが知られており、さまざまな特徴的物性が現れる要因となっています。例えば、銅酸化物高温超伝導体におけるクーパー対(注9)の形成は、スピン間に働く反強磁性交換相互作用Jによる引力に起因することが指摘されています。高温超伝導体の母物質である二次元モット絶縁体では、光励起によってダブロンとホロンという電荷キャリアが生成しますが、この両者の間にもクーパー対の形成と同様の機構による引力の効果で励起子的な束縛状態が形成されると予想されていました。しかし、これまで、その実験的な証拠は得られていませんでした。
産業技術総合研究所 産総研・東大先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ有機デバイス分光チーム(兼東京大学大学院新領域創成科学研究科客員研究員)の寺重翼産総研特別研究員(研究当時)、東京大学大学院新領域創成科学研究科の宮本辰也助教、貴田徳明准教授、岡本博教授(兼産業技術総合研究所 産総研・東大先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ有機デバイス分光チーム ラボチーム長)、産業技術総合研究所電子光技術研究部門強相関エレクトロニクスグループの伊藤利充研究グループ長、東京工業大学科学技術創成研究院フロンティア材料研究所の笹川崇男准教授、東京理科大学理学部第一部応用物理学科の遠山貴巳教授らの研究グループは、テラヘルツパルスを利用した電場変調反射分光法(注10)を異なるJの値を持つ三種の銅酸化物Nd2CuO4、Sr2CuO2Cl2、La2CuO4に適用することにより、二次元モット絶縁体中のダブロンとホロンの引力の起源を調べました。そして、三種の物質において、電場印加による反射率スペクトルの変化を解析することにより、Jの増加に伴いダブロン―ホロン間の引力(束縛エネルギー)が増加することを明らかにしました。実際に、このような傾向をt-Jモデル(注11)による理論計算によって説明することができました。本研究の結果は、ダブロンとホロンが高温超伝導体のクーパー対と同様にスピン間に働く反強磁性交換相互作用の効果で束縛状態を形成することを明確に示しています。
この発見は、強相関電子系における光励起状態の非平衡ダイナミクスや高温超伝導体の発現機構など未解明の問題に対する深い理解につながることが期待されます。
本研究成果は2019年6月7日付けで、米国科学誌「Science Advances」にオンライン掲載される予定です。
① 研究の背景・先行研究における問題点
強相関電子系では、電荷―スピン相互作用によって特徴的な物性が現れます。例えば、ペロブスカイト型マンガン酸化物の超巨大磁気抵抗効果や、銅酸化物の高温超伝導はその典型例です。また、電荷―スピン相互作用は光学的性質にも大きな影響を与えています。これまでの理論研究では、反強磁性的スピン配列を持つ二次元モット絶縁体において光励起された電子とホール(ダブロンとホロン)が、クーロン相互作用だけでなく、電荷―スピン相互作用を介して互いに影響し合い、励起子的な束縛状態を形成することが予想されていました(図1)。この機構は、ドープされた銅酸化物におけるクーパー対に働く引力相互作用の機構と似通っており、電荷―スピン相互作用による励起子効果が存在することが示唆されます。
励起子効果を調べるための有効な手法として試料に電極を付けて交流電場を印加し、反射率変化を測定する電場変調反射分光法がしばしば用いられています。しかし、銅酸化物モット絶縁体では、電気抵抗が比較的小さいため、強い電場を印加すると大きな電流が流れて試料が破壊されてしまいます。そのため、電場変調反射分光を適用することができず、励起子効果を詳しく調べることは行われていませんでした。
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(図1)二次元モット絶縁体において、スピン間に働く反強磁性交換相互作用により生じるダブロン(D)―ホロン(H)間の引力の概念図。(A)基底状態。隣接サイト間のスピンが互いに反平行であり、反強磁性交換相互作用Jのエネルギー利得が生じている。(B)ダブロンとホロンが離れたサイトに存在する状態。ダブロンとホロンの位置でスピンが消滅することで、これらと隣接サイトとの反強磁性交換相互作用の利得がなくなり、エネルギーが8J上昇する。(C)ダブロンとホロンが隣接サイトに存在する状態。ダブロンとホロンが隣接しているため、スピンが消滅することによるエネルギーの上昇は7Jとなる。この値は、(B)の場合よりも小さい。このように、スピン間に働く反強磁性交換相互作用の効果でダブロンとホロンの間にJ程度の束縛エネルギーが生じる。 |
② 研究内容
上記の問題を克服するために本研究グループは、テラヘルツパルスをポンプ光として利用したポンプ―プローブ分光法を開発しました。時間幅がわずか1ピコ秒の電場パルスである、ほぼ単一サイクルのテラヘルツパルスを外部電場として利用することで、ほとんど電流を流さずに100 kV/cmを遥かに超える電場を印加することが可能です。この手法によって、従来の電場変調分光が適用できなかった物質においても電場を印加したときの反射率スペクトルの変化を測定することが可能となりました。
本研究では、スピン間に働く反強磁性交換相互作用Jが異なる三種の二次元モット絶縁体Nd2CuO4、Sr2CuO2Cl2、La2CuO4を対象とし、電場印加による反射率スペクトルの変化を系統的に測定しました。その結果を三次の非線形光学効果(注12)の枠組みで解析し、三次の非線形感受率χ(3)スペクトルを計算しました。得られたχ(3)スペクトルを、基底状態|0〉、奇の対称性を持つ一光子許容の励起子状態|1〉、偶の対称性を持つ一光子禁制の励起子状態|2〉の三つの準位を考慮したモデルを用いて解析しました。その結果、偶の対称性を持つ励起子状態は奇の対称性を持つ励起子状態の低エネルギー側に位置することが明らかとなりました(図2)。これは、スピンの自由度と電荷の自由度が分離される一次元モット絶縁体において二つの励起子状態のエネルギー準位がほぼ縮退することとは対照的であり、二次元モット絶縁体の特徴を表しています。この二つの励起子状態のエネルギー差は、偶の対称性を持つ励起子を構成するダブロン―ホロン対の束縛エネルギーに対応しますが、これがJの増加と共に増大することが明らかになりました(図3)。実際に、この傾向は、t-Jモデルを用いた理論計算によって再現することができました。t-Jモデルによる計算では、奇の対称性を持つ励起子はp波の対称性(注13)を持ち、偶の対称性を持つ励起子がs波の対称性(注13)を持つことが予測されていましたが(図2)、本研究の実験結果はそれに合致するものとなりました。
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(図2)銅酸化物モット絶縁体のエネルギー準位構造と励起子の波動関数の概念図。一光子禁制である偶の対称性の励起子状態がs波対称性を持ち、最低エネルギー励起状態となり、一光子許容である奇の対称性の励起子状態がp波対称性を持ち、より高いエネルギーの励起状態となる。後者はダブロン―ホロン連続状態に近接しているため、二つの励起子状態のエネルギー差が最低の偶の励起子状態の束縛エネルギーの目安となる。 |
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(図3)三種類の銅酸化物モット絶縁体における奇と偶の励起子状態のエネルギー差。これが最低エネルギーの偶の対称性を持つ励起子状態の束縛エネルギーの目安となる。反強磁性交換相互作用Jが大きいほど束縛エネルギーが大きくなることが分かる。 |
③ 社会的意義・今後の予定
本研究では、二次元モット絶縁体において、スピン間に働く反強磁性交換相互作用を介してダブロン―ホロン間に引力が働くことを実証しました。これは、銅酸化物高温超伝導体のクーパー対に働く引力相互作用と類似した機構であるため、クーパー対の形成機構の理解につながると期待されます。
モット絶縁体においては、これまでに超高速の光非線形性や光誘起金属化など、興味深い光誘起現象が見いだされてきました。これらの現象を解明するには、光励起後の電子系の非平衡ダイナミクスに本質的な効果を及ぼす電荷―スピン相互作用の役割を明らかにする必要があります。さらに本研究グループでは、銅酸化物の一つであるNd2CuO4において、光キャリアの生成に伴って生じるスピン系の超高速ダイナミクスを捉えることにも成功しています。本研究で明らかとなったダブロン―ホロン対のエネルギー準位構造は、この非平衡ダイナミクスを解明するにも役立つと考えられます。今後は、情報科学的な手法を取り入れた理論解析手法を用いることにより、光照射や電場印加によって生じる反射率スペクトルの変化を可能なかぎり正確に再現し、電子(スピン)系の非平衡ダイナミクスの詳細な理解を目指します。
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)「計測技術と高度情報処理の融合によるインテリジェント計測・解析手法の開発と応用」(研究総括:雨宮慶幸 東京大学大学院新領域創成科学研究科 特任教授)における研究課題「強相関系における光・電場応答の時分割計測と非摂動型解析」(課題番号JPMJCR1661、研究代表者:岡本博 東京大学大学院新領域創成科学研究科 教授、研究期間 : 平成28~33年度)、および日本学術振興会科学研究費助成事業(課題番号:JP25247049)の一環で実施されました。
寺重 翼(研究当時:産業技術総合研究所 産総研・東大先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ有機デバイス分光チーム 産総研特別研究員/東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 客員研究員(現:株式会社キーエンス))
宮本 辰也(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 助教)
貴田 徳明(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 准教授)
伊藤 利充(産業技術総合研究所電子光技術研究部門強相関エレクトロニクスグループ 研究グループ長)
笹川 崇男(東京工業大学科学技術創成研究院フロンティア材料研究所 准教授)
遠山 貴巳(東京理科大学理学部第一部応用物理学科 教授)
岡本 博(東京大学大学院新領域創成科学研究科物質系専攻 教授/産業技術総合研究所 産総研・東大先端オペランド計測技術オープンイノベーションラボラトリ有機デバイス分光チーム ラボチーム長)
雑誌名:「Science Advances」(2019年6月7日付け)
論文タイトル: Doublon-holon pairing mechanism via exchange interaction in two-dimensional cuprate Mott insulators
著者:T. Terashige, T. Ono, T. Miyamoto, T. Morimoto, H. Yamakawa, N. Kida, T. Ito, T. Sasagawa, T. Tohyama, and H. Okamoto
DOI番号:10.1126/sciadv.aav2187