国立研究開発法人 産業技術総合研究所【理事長 中鉢 良治】(以下「産総研」という)無機機能材料研究部門【研究部門長 松原 一郎】機能調和材料グループ 舟橋 良次 研究グループ長、鎌田 賢司 上級主任研究員、アブリケム アイズィティアイリ 元 博士研究員らは、国立大学法人 岩手大学【学長 岩渕 明】理工学部【学部長 船﨑 健一】葛原 大軌 准教授、国立大学法人 奈良先端科学技術大学院大学【学長 横矢 直和】先端科学技術研究科【研究科長 小笠原 司】山田 容子 教授、国立大学法人 大阪大学【総長 西尾 章治郎】大学院基礎工学研究科【研究科長 狩野 裕】宮坂 博 教授らと共同で、2成分の分子から成り、近赤外光を可視光に変換(光アップコンバージョン(UC))する固体材料を溶液塗布法(迅速乾燥キャスト法)によって作製した。
今回、新たに合成した近赤外光を吸収する金属錯体分子を、発光材料中に均一分散させたままでガラス上に塗布し固体化することで、近赤外光照射で黄色の可視光発光が得られる固体材料を実現した。また、時間分解分光測定などさまざまな方法で解析して、この材料の光アップコンバージョン過程のメカニズムを解明し、各中間過程の効率を特定して、効率向上の指針を得た。今回開発した可視光への光アップコンバージョン固体材料は、セキュリティーインク、ディスプレーなどの表示用途が期待されるほか、この技術を発展させ、効率が向上すれば、ペロブスカイト太陽電池や人工光合成などの太陽光変換デバイスの効率向上につながると期待される。
なお、この技術の詳細は、2019年5月30日(米国東部夏時間)に米国化学会の学術誌ACS Applied Materials and Interfacesに公開される。
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成分分離を防ぐ迅速乾燥キャスト法(左)で作製した固体材料への近赤外光照射による可視光への変換(アップコンバージョン)(中央写真の円内)と照射した近赤外光と発光した可視光のスペクトル(スペクトルはピークの最大値で規格化)(右) |
再生可能エネルギーを活用した持続可能な社会ではさまざまな局面で太陽光エネルギーの有効活用が必要とされる。しかし、今後の発展が期待されるペロブスカイト太陽電池や人工光合成などの太陽光変換デバイスは、750 nmより長波長の近赤外光をほとんど変換できず、利用できる太陽光の成分は限られている。太陽光の長波長成分を効率良く短波長に変換する材料を実現できれば、既存のデバイス自体に手を加えずに長波長成分を利用でき、変換効率の実質的な向上が期待される。長波長の光から短波長の光への変換は光アップコンバージョン(UC)と呼ばれ、いくつかの異なる方法があるが、近年、有機色素分子間の三重項-三重項消滅(TTA)と呼ばれる現象を利用したUC(TTA-UC)が太陽光程度の弱い光にも適応できるため注目されている。従来のTTA-UCは、ほとんどが溶液系であるが、揮発や封止の問題など取り扱いが難しく、デバイスへの応用には不向きである。そのため、近赤外光から可視光へのTTA-UCのデバイスへの応用に向けた固体のTTA-UC材料が求められている。
産総研はガラス表面に従来にない機能性を付与した材料の開発の一環として、低い励起光強度、高い変換効率で動作する固体TTA-UC材料の開発を目指してきた。これまでに塗布した溶液の乾燥過程を工夫することで、成分分子間の効率的なエネルギー移動を可能とする固体化手法(迅速乾燥キャスト法)を開発してきた。これにより、太陽光レベルの照射光強度で動作し、緑から青への可視光間のUC固体材料を開発し、固体TTA-UC材料としては世界最高レベルのアップコンバージョン量子収率(約20 %)を実現した。
一方、太陽光利用で重要な、近赤外光までの長波長域の変換は困難で、特に750 nmよりも長波長の光を変換できる固体材料は真空蒸着膜や有機ナノ結晶によって作製された例しかなかった。そこで、今回、産総研は岩手大学、奈良先端科学技術大学院大学、大阪大学と共同で、迅速乾燥キャスト法を用いて簡便に作製できる近赤外光を可視光に変換する固体材料の開発に取り組んだ。
なお、今回の開発は、文部科学省 新学術領域研究 高次複合光応答「理論と実験の協奏的アプローチによる複合スピン励起子変換制御」(研究期間:2014~2018年度)によって実施された。
TTA-UC材料には増感剤と発光体の2成分が用いられるが、今回、増感剤には近赤外光を吸収するように設計したポルフィリンという金属錯体を合成して用い、一方、アップコンバージョン発光を担う発光体にはエネルギー準位を揃えた多環芳香族炭化水素を用いた。これまで同様の成分を用いた固体TTA-UC材料があったが、高分子中に増感剤と発光体を分散させた3成分系であったために、光を吸収した増感剤から発光体への三重項-三重項エネルギー移動の効率が低かった。そこで、今回、そのエネルギー移動の効率を向上させるため、発光体からなる固体中に少量の増感剤が均一に分散している構造の固体TTA-UC材料を作り出すこととした。このような構造を作製するには、2成分を含む混合溶液を乾燥させて固体化する際に、2成分が分離しないようにする必要があるため、迅速乾燥キャスト法を用いた。
増感剤と発光体を含む混合溶液を、条件を最適化してガラス基板上にキャストした後、乾燥して直径1 cmほどの増感剤と発光体の混合固体膜を作製した。この固体膜は数十μm程度の多数の丸い固体微粒子から成り、790 nmの近赤外光を照射すると、570 nmをピークとする可視光(黄色)のアップコンバージョン発光を示した(図1)。今回、迅速乾燥キャスト法で作製した固体は主成分が発光体で、その中に増感剤が均一に分散されている。増感剤は発光体に取り囲まれて接触しているため、三重項-三重項エネルギー移動が効率的に生じる。今回の結果は、溶液キャスト法を用いて近赤外光からアップコンバージョン発光する固体材料を初めて得たもので、均一な塗布やスプレーなどの簡便な成膜法での作製も期待できる。
得られた微粒子一粒ごとのアップコンバージョン量子収率を、産総研が開発した顕微分光法で評価したところ、0.5 %程度であった。同波長域の溶液系の効率や、既報の近赤外光を変換できる固体系の効率(2〜7 %)よりも低いが、しきい値光強度は0.1 W/cm2であり、既報(1〜10 W/cm2)よりも低い光強度で動作する。また今回開発した固体TTA-UC材料を脱酸素状態で保管したところ、アップコンバージョン量子収率は140日以上変化しなかった。
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図1 今回用いた分子系と、迅速乾燥キャスト法による固体膜作製の模式図、および固体膜中の微粒子がアップコンバージョン発光(近赤外光照射により黄色で発光)していることを示す顕微鏡写真 |
アップコンバージョンのどの過程がアップコンバージョン量子収率を制限しているかを明らかにし、さらなる効率向上の指針を得るために、フェムト秒およびナノ秒の過渡吸収分光法や時間分解発光分光法などを用いて各過程の励起状態ダイナミクスの解明に取り組んだ。その結果、今回開発した固体TTA-UC材料中では三重項-三重項エネルギー移動過程がナノ秒程度と極めて高速であり(図2)、三重項-三重項エネルギー移動効率が88 %以上と、予想通りに高い値を示した。また、近赤外光を吸収して三重項に変化する過程の効率はほぼ100 %であった。一方、TTA過程は36 %程度の効率であり、最終的に全体の効率を制限している主な過程は発光体の発光量子収率であることが分かった。今後、発光体の発光量子収率とTTA過程の改良によりアップコンバージョン量子収率が向上すると期待できる。
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図2 パルス光を用いてアップコンバージョン(UC)発光の評価した結果(発光強度の時間変化) |
今回得られた知見を元に発光量子収率の向上を進めると共に、均一な塗布膜の作成方法や、太陽電池の変換効率の向上などデバイスとの組み合わせによる応用につなげていく。併せてセキュリティーインクや表示材料など、幅広い応用の可能性も検討する。